JR九州 全線完乗への道!その49 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


「新鳥栖(しんとす)駅」(佐賀県鳥栖市)から西へ、「長崎本線」の「特急みどり11号 佐世保ゆき」に乗車します。
ここから西の路線は、10年ほど前に3回に分けて乗りつぶしした区間です。

こちらも「グリーン車」を押えておいたのですが、さてどうか・・・


やはり、この列車も「貸切状態」でした。



この列車も、「やはりグリーン車」と言うべきか座席は重厚で、座り心地は言うことなしでした。


また、目についたのがこの「最前部の座席」に据え付けられた「足置き」。
「フットレスト」がないためですが、これはさりげない心遣いですね。


さて、指定された「5号車1番C席」ですが・・・このような感じでした。
「展望車両」ではなかったのですね。

と言いますか、「勉強しなさい」と促されているような(笑)



列車は、すっかり「晴れ」になった「佐賀平野」を突き進みます。
「緑に映える陽光」が車内からもよく感じられ、爽快な気分になります。


「佐賀駅」(佐賀県佐賀市)に到着。
反対側の「鳥栖・博多方面」のホームには、たくさんの乗客が列を成していました。

ここから「博多駅」までは「特急でおよそ40分ほど」と、大変便利なところです。



さて、乗車しているこの「5号車」は、けさ「都城駅」から乗車した車両と同じく、「グリーン車」と「普通車指定席」が半分ずつの、いわゆる「半室グリーン車」でした。


デッキには「車両番号」と、「改造暦」を示す数々の「プレート」がありました。
製造は「JR発足直後」の平成元(1989)年、それから「小倉工場」で「数々の改造暦」があるのですね。


「肥前山口(ひぜんやまぐち)駅」(佐賀県杵島郡江北町)に到着。

この「肥前山口駅」ですが、かつての「ブルートレイン全盛期を見聞した鉄道好きな人」であれば「どこか記憶に残っているであろう駅」ではないかと思われます。

「長崎本線を走るブルートレイン」と言えば、時代によって異なるのでしょうが、わたしの世代では「東京発」は「さくら号」、「大阪発」は「あかつき号」、という記憶があります。
そして、それらの列車はここ、「肥前山口駅」で「長崎ゆき」と「佐世保ゆき」に「分割・併合」されていました。
それゆえ、かつては「乗車したこともなければ下車したこともない」のに「肥前山口駅=ブルートレインの切り離し・連結駅」だと、小さい頃からはっきり記憶していました。

ですので、この駅に到着した時には「長らく会っていない旧友に出会った気分」になりました(>_<)

現在では「ブルートレイン」は全廃されてしまい、「分割・併合」はごく一部の列車のみになったとのことで、実質は「長崎本線」とこれから乗車する「佐世保線」との「乗換駅」、という存在になっています。


「肥前山口駅」を発車。
「長崎本線」と別れ、その「佐世保線」に入って行きます。




徐々に、まるで「名残惜しそうな感じ」で左へと分かれて行きました。
「長崎本線」とは、後ほど再会する予定です。

さて、ここからの「佐世保線」は「単線区間」が連続し、先ほどの「長崎本線」と比べてスピードも控えめになったような感を受けます。


のどかな風景の中を走ること1時間弱、列車は「長崎県」に入った「早岐(はいき)駅」(長崎県佐世保市)に到着しました。ここで下車します。



乗車して来た「特急みどり号」です。
「先頭車両」をこうして見てみますと「通勤電車」のような印象ですね。



運転士さんが降車しています。
ここで列車の進行方向が変わり、こちらが「最後尾」になり「佐世保駅」へ向かいます。



さて、そんな「早岐駅」で目に入ったのは、この「HUIS TEN BOSCH」、「ハウステンボス」というロゴの入った列車です。
「大型リゾート施設」として人気の「ハウステンボス」には、博多方面から特急列車も直通運転されているなど、「遠方からのアクセス」は便利なようです。


改札口へ向かいます。



初めて下車する駅ですが、構内は結構広いですね。

「早岐駅」については、毎度おなじみ、
「各駅停車全国歴史散歩42 長崎県」
(長崎新聞社編 河出書房新社刊 昭和55年初版 絶版)
から拾ってみたいと思います。

西海橋は海峡の「駅」 早岐
巨大な無線塔が三本
(前略) 「早岐駅」へ。駅の待合所に「渦潮のみえる西海橋の駅・佐世保線早岐駅」の記念スタンプが置いてある。
  早岐は「茶市」で名高い。毎年五月八日を中心に三日間開催される物々交換の珍しい市。最もにぎわうのは五月一八日で、自然の産物に、人と人とがふれ合う、ふれあい市場である。
  西海橋(さいかいばし)へ向かう途中で高さ一三七㍍の三本の巨大な無線塔を見る。大正一二年、海軍が建てたもの。当時としては東洋一の高さを誇ったほどで現在は海上保安庁や自衛隊が使っている。太平洋戦争の火ぶたを切った「ニイタカヤマ ノボレ」(※注釈:「昭和16年12月8日午前零時を以って米国・真珠湾を総攻撃せよ」という意の「暗号文」として知られている)の無電はここから発信された。(後略)

景観に映える西海橋
  西海橋は佐世保市と西彼杵郡西彼町の境界にかかる長さ三一六㍍、幅七・五㍍、海面からの高さ四三㍍のアーチ型大橋。わが国最高の技術と四年の歳月、当時五億五○○○万円を投じて昭和三○年一○月完成した。架橋計画の当初は長崎と佐世保を結ぶ産業道路(一般国道二○二号線)として立案されたが、開業後は産業経済効果はもちろんのこと、むしろ観光名所として国内外の名声を得ている。
  風光絶佳を誇る大村湾県立自然公園と日本三大急潮で知られる伊之浦瀬戸の海に銀色の橋姿を大きく映し出している。これを”夢のかけ橋”という。
伊之浦瀬戸は水深四○㍍、最大潮流九㌩、一本の支柱もつくらず、両岸の絶壁から組み立てた最新技術と工法は世界の注目を浴びた。
  ダイナミックな鉄の力。そして海と両岸壁の自然美との調和は、ここを訪れる人々の心に不思議といえる勇気と壮大さを与えてくれる。西海橋一帯には多くのレストラン、ホテル、みやげ品店などが軒をならべている。
  わが国の文化黎明期に貢献したシーボルトは「駅場のある土地には旅館、宿屋あり。旅客の安息と慰安のために幾多の設備をなす」と『シーボルト江戸参府紀行』(※注釈:1826年・文政9年に「5ヶ月にわたり長崎・出島から江戸へ往復した旅道中の様子」を詳細に記した著)に記している。それらを考え合わせてみても西海橋は、古くから”海峡の駅”としての役割を果たしていることになる。
(出典同 P62-63 記載内容は刊行当時のもの)

著述を見ていますと、このあたりがもう「海が近い」ことがわかります。
しかし、「早岐の茶市」の「物々交換」とは、なかなか面白そうですね。
「目利きがものを言う」といったところでしょうか。


さて、次に乗車する列車は「発車案内の一番右下」、この駅が起点の「大村線」、「快速シーサイドライナー 長崎ゆき」です。
30分ほど時間があるので、例によって駅前をふらふらしてみましょう。


駅構外へ出て来ました。真新しい「跨線橋」ですね。


ところで、この「早岐駅」の売店で、このような「和菓子」が売られていました。気になったので購入してみたのですが…


「ケーラン」という「生和菓子」です(@108円)。
売店のおばちゃんに詳しく聞いたところ、「うるち米の餅を棒状にして、こしあんを包んだもの」で、「ケーラン」というのは「帰らない、帰れない」という意味で、「これと、名産の『新茶』を手にしないと家に帰れない」という、この周辺の昔ながらの風習によるものだとのこと。


食してみましたが、非常にあっさりしていてお茶受けに良さそうです。
ちなみに、「赤色に入った斜めの模様」は「いかだのイメージ」なのだそうです。


「ケーラン」をおいしく食したのちホームに戻りますと、これから乗車する「大村線」からやって来た「快速シーサイドライナー 佐世保ゆき」が到着したところでした。



こちらは、「ハウステンボスラッピング車両」でした。
車両は「旧・国鉄時代」からのものですが、「はっ」とさせられる色彩ですね。


車体側面にも「HUIS TEN BOSCH」と大きく記されていますが、個人的には「センスの良さ」というか「格好良さ」を感じました。


次回に続きます。
今日はこんなところです。