JR九州 全線完乗への道!その48 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


「JR九州全線完乗」を果たし、到着したのは「新鳥栖(しんとす)駅」(佐賀県鳥栖市)です。


時刻は「午後0時半」を回った頃。コンコースは閑散としていました。


構内にあった「新鳥栖駅」の「俯瞰模型」です。


画面左右に横切っているのが「九州新幹線」(左が「博多方向」、右が「鹿児島方向」)。上下に走っているのが「長崎本線」です。

「新幹線駅」の方は、「ガラス張り」が「特徴的」ですね。


こちらがその「新幹線駅」の「実物」(?)です。


天気の良い日は陽が良く入りそうですね。開放的な感を受けます。



さて、この「新鳥栖駅」の周辺なのですが、ご覧のように「空き地」が目立つ印象を受けます。
というのも、「鳥栖市」の「中心駅」は、ここから東へ1駅行った「鳥栖駅」だからです。

この「新鳥栖駅」は、「九州新幹線」と「在来線(長崎本線)」との交点に「乗換駅」として設置されている経緯があります。
ただ、「博多方面」から「長崎本線」で「長崎・佐世保方面へ向かう」、となると「博多駅」からの「在来線特急」が便利なので「この駅で乗り換える」という乗客は少ないようです。



ところで、この「新鳥栖駅」の両隣の駅、「博多」・「久留米」はともに「福岡県」に所在しています。
都合、「佐賀県をかすめて通る」という地勢になっています(在来線も同様です)。

さて、この「鳥栖」ですが、古くから鉄道のみならず「九州各方面への交通の要衝」として知られているところです。


こちらは「JR九州」の路線図です。

「赤い○印」のところが「鳥栖駅」。
改めて地図を見てみますと「九州各地への距離が一番近いところ」とも言える場所に位置しており、古くから開けていたことも合点が行きます。

この「鳥栖」については、毎度おなじみ、
「各駅停車全国歴史散歩42 佐賀県」
(佐賀新聞社編 河出書房新社刊 昭和55年初版 絶版)
から拾ってみたいと思います。

九州交通の要衝 鳥栖
政治・軍事・交通の要地
  鳥栖は九州交通の要衝であるとともに、佐賀県の東の玄関口でもある。国道、九州縦貫自動車道(※注釈:「九州自動車道」)、建設が待たれる九州横断自動車道(※注釈:「大分自動車道」と「長崎自動車道」)など道路網の発達で、内陸工業地帯としての新しい姿が生まれようとしているが、鳥栖市を語るには国鉄(※注釈:当時)鳥栖駅を抜きにして語れない。鹿児島・長崎の両主要本線を抱え、さらには九州新幹線の分岐駅設置をも目指している(※注釈:現在、建設が進められている「九州新幹線・長崎ルート」に相当。「九州新幹線」から「長崎方面」へ向かうにあたり、その「分岐駅」としての検討がなされている)。陸上交通の要衝としての重要性はますます高まりつつある。
 鳥栖市は、昭和二九年に鳥栖町を中心に、田代、基里、麓、旭の五町村が合併して誕生した。鳥栖の名の起こりだが、『肥前風土記』(※注釈:「奈良時代」に編纂された、当時の「肥後国」にまつわる「地誌」)によれば、応神天皇(二七○年)ころ、この地方には鳥屋(とや)があり、いろいろな鳥を飼育して天皇に献上していた。のちにこのことから「鳥栖」になったと伝えられている。
  さて、鳥栖市の交通の要衝としての位置付けは、いまに始ったことではない。
『鳥栖市史』をひもといてみると、古代はもちろん江戸時代の参勤交代のコース、さらに明治七年の佐賀の乱(※注釈:「明治新政府とその政策」に反対する「不平士族」らの反乱)で大久保利光は博多―田代間を乗馬、田代―轟木(※注釈:現在の「鳥栖市」の一部に相当)間は人力車を使い、轟木に四、五日間本営を置いて滞在している。
  これは鳥栖市が当時、政治、軍事の要地であると同時に久留米、御井(※注釈:「みい」。現在の「福岡県久留米市付近」)、その他の地方への交通の要地であったことがわかる、と記されている。ただ、要衝として飛躍する要因となったのは、明治二二年、九州鉄道(※注釈:現在の「鹿児島本線」などを建設した鉄道会社)の開業ではあるが…

九州の鉄道・道路輸送の十字架
  博多ー久留米間に鉄道が敷かれ鳥栖駅が開業すると、鉄道輸送は文字通り急速度で走り出した。明治二四年には鳥栖ー佐賀間が開通、鳥栖駅は鹿児島本線、長崎本線の分岐駅となった。そしていまでは、この主要線のほかに貨物列車の分解蘇生の駅として重要な拠点になっている。敷地が四二万平方㍍にも及び、構内の線路の延長は六六・六㌔。この膨大な規模をみても、鉄道が果たしてきた役割がどれだけのものであったかがわかろうというもの。
  年配者にきくと、「鳥栖には黒いスズメがいる」といわれたそうだ。業務機関も多く、鳥栖市民の約三割、一万五○○○人が国鉄職員とその家族である。
  一方、鉄路にあわせ道路交通が発達してくると、北九州、長崎、熊本、鹿児島など主要都市を結ぶ分岐点としての機能ももつようになった。同市永吉町には九州縦貫自動車道の鳥栖インターチェンジが出来た。クローバー型の当時は東洋一ともいわれ、建設が近い九州横断自動車道の分岐点にもなる。もちろん国道3号、34号沿いは流通基地として注目を集める所となり、3号線の同市藤木町には鳥栖商工団地が造成され、企業が進出してきている(※注釈:記載内容は出版当時のもの)。
(出典同 P38-39)


ということで、「九州の大動脈」である「九州新幹線」・「鹿児島本線」、「九州自動車道」(文中では「九州縦貫自動車道」)と「大分自動車道」・「長崎自動車道」(同じく「九州横断自動車道」)が分岐する、「重要な結節点」であることがわかります。

また、このような「地の利」を活かして、この周辺に「九州国際空港建設構想」というものも存在しているそうです。
詳しくはこちら↓
Wikipedia 「九州国際空港」

「九州国際空港(佐賀空港地区)誘致期成会」
公式ホームページ

繰り返しになりますが「九州各方面からのアクセスがしやすい位置」なので、「鉄道や道路だけ」ではなく「空港も」と言った構想が浮上するのも、何とはなしに頷ける気がします。


その「九州交通の結接点・鳥栖」から、今度は、上の「路線図」にありますように「西九州方面」へ向かってみようかと企んでいます。

せっかくの「フリーきっぷ」ですし、長崎方面などはなかなか来られないところなので充分に活用したいと思います(^o^)


さて、この駅に乗り入れている「在来線」は「長崎本線」です。
日中は、「長崎・佐世保方面」への「特急列車」が頻繁に運転されています。

次に乗車する予定にしているのは「特急みどり11号 佐世保ゆき」です。


少々待ち時間があるので、ここで「昼食」にしました。
いかにも食欲をそそる「暖簾」です。


こちらがその「鳥栖駅名物 かしわうどん」です。

一見すると「シンプル」な印象を受けますが、この「かしわ」の味!そして「だし汁」…
「味が染み入って、噛めば噛むほど…」という感じでしょうか。
実においしかったです。

ところで、「かしわ」と言うと「折尾駅」(福岡県北九州市八幡西区)の「かしわめし」も有名ですが、「弁当」と「うどん」という差異こそあれ、かなり趣が異なりますね。
しかし、ともに「おいしい」という事実は変わりません(^o^)

店先に置かれていたテレビで、ちょうど放送されていたNHK連続テレビ小説「マッサン」の「再放送」を見ながら食しました(ちょうど、ヒロインのエリーさんが戦争中の「敵国人という世情」から解放され、「ストーリーが佳境にかかっていた頃」でした)。


さて、「長崎・佐世保方面」へのホームにやって来ました。
乗車するのは「みどり号」ですが…


ん?これは?
「4両編成」なのに「5号車」とは、これ如何に?
「指定券の発行上で何か関する事情がある?」あるいは、「増結する時があるから?」でしょうか。

次回に続きます。
今日はこんなところです。