JR九州 全線完乗への道!その44 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「18年振りの鹿児島」、午前中に時間が出来たので「著名な観光地」を巡っているところです。

「天文館」を抜け、「照国神社」前の「昭和初期建築」が並ぶ「旧官庁街」の反対側、今なお残る「古い民家」の並びを進んでいます。


いよいよ、「鹿児島」と言えば「この方」、というところに到着しました。



「鹿児島の英雄」、それだけにとどまらず、同郷の「大久保利通」や「木戸孝允」らと並び、「維新の三傑」と称される「西郷隆盛公」です。



いまなお、「鹿児島」では「英雄」の「西郷さん」です。
こちらは「軍服姿」で、大変いかめしい印象を受けます。

「こちらは」と記したのは、実は「西郷隆盛公」の銅像は「3箇所」あり、その所在地は「鹿児島市(ここです)」、「鹿児島県霧島市」、「東京都台東区」です。
 
そのうち、「東京都台東区 上野恩賜公園内」にある「西郷像」は「上野の西郷さん」と呼ばれるもので、「服装や表情」は「ラフな感じ」を受けます。
具体的には、「寝巻きを着て飼い犬を散歩させている」姿なのですが、この「上野の西郷像」が建立された際には、夫人が「主人はこんなみずぼらしい姿ではなかった」と発言されたそうで、当時の「鹿児島県民」も「あの西郷さんにこんな粗末な格好をさせて…」と、「異論」が巻き起こったそうです。

ちなみに、「上野の西郷さん」はこちらです。
 
 



なるほど・・・やはりかなり印象が異なりますね。
「鹿児島」では「西郷さん」は「郷土の英雄」で、なおかつ「軍人さん」というイメージが強いそうなので、この「寝巻き風」はそぐわなかったのでしょうか。


「西郷さん」を語る上でのキーワード、「敬天愛人(けいてんあいじん)」。
「天を敬い、人を慈愛する」と言う意味で「西郷さん」が「生涯貫いた精神」なのだそうですが、いろいろ調べて見ましたら、この言葉には、「簡単に語れない深い意味」が込められているようです。

「詳しく解説されているサイト」も多数あるようですので、ここではここまでとしたいと思います(^^)v


しかし、それにつけても「鹿児島の人々」にとっては「西郷さん」は「身近な存在」でありながら、「敬意を表される、特別な存在」なのですね。

 
さて、「西郷像」から道をひとつ入ります。
次は、「鹿児島市内」が一望出来る「城山(しろやま)」の「展望台」へ向かうことにしています。
 

その途中にあった、お馴染み「コイン式駐車場」の「タイムズ」。
「名称」がなんとも「そのまま」で、珍しいですね。
 

この山を登って行きます。
 

ただ、「山」と言っても、山頂までは「遊歩道」が整備されていて、市民や観光客が気軽に登山出来るようになっているようです。さっそく向かってみたいと思います。
 

その「城山遊歩道」への途中に、この「銅像」がありました。
 
 
「島津忠義(しまづ ただよし)公」(1840-1897)のものでした。
「大政奉還」(たいせいほうかん、1867)や「版籍奉還」(はんせきほうかん、1869)、「明治改元後」の「廃藩置県」(はいはんちけん、1871)など、「新政府」の政策に寄与し、「江戸」から改名されたばかりの「東京」に主な拠点を置き、晩年は鹿児島へ帰郷し、「新生・鹿児島県の発展に寄与した人物」なのだそうです。


「○」と「十」の「島津家の紋章」が存在感を示しています。
 

「忠義公」の銅像からしばらく進むと、今度は「庭園」に出ました。


「池」の向こうに鎮座されていたのは、「島津久光(しまづ ひさみつ)公」でした。


「島津久光公」(1817-1887)は、幕末期の「薩摩藩」の中枢にあった人物で、「公武合体」(こうぶがったい、「1850-60年代」に起こった、「朝廷」と「幕府」の「体制の合体」を行うことにより、「江戸幕藩体制の強化」を図ろうとした「政治論」)を推進したひとりで、「明治新政府」においても影響力を及ぼした人物です。

ちなみに、「曾孫」に「香淳皇后」が居られるそうで、ということは「玄孫」は「今上天皇」になられます(近年の「今上天皇」の「ご会見内容」や「ご詠歌」などを拝見していますと、「薩摩」や「島津家」に言及されているものが見られるのは、その影響がおありなのでしょうか)。

 
「久光公」のものにも、やはり印象的な「○十」の紋章が存在感を示していました。


さて、「西郷像」から寄り道して歩くこと20分ほど、「城山公園」の「遊歩道入り口」に到着しました。


先ほども触れましたが「遊歩道」で比較的容易に頂上まで登れるようです。
また、「西南戦争(西南の役)」での「西郷隆盛公最期の地」としても知られています。
 

さっそく「遊歩道」に入って行きます。まだまだ平坦な道のりです。


途中には、「島津家統治時代」から「明治維新」の間のものという、当時の「遺産」があちらこちらと残されていました。一部をご紹介したいと思います。


こちらは「享保8(1723)年」に建築された、「近衛の水」という現在で言う「上水道」。

「すばらしいなあ」と思ったのは、「武士階級」だけでなく「庶民」も「自由に利用出来た」、という説明書きでしょうか。画期的ですね。


「近衛の水」を出ると、急に「遊歩道」は険しくなります。

 

カメラの焦点がぶれるほどバテています(+_+) 
普段の運動不足を後悔するひと時でした(笑)

「なぜ、城山に登る?」、「そこに城山があるから」…
などという冗談を言う余裕もないのですが(笑)「日頃の無精」を反省しつつ、歩を進めます<(`^´)>


それでも休み休み、登りになってから20分ほどでしょうか、ようやく「展望台」に到着しました。
 

「遊歩道」が「ヘアピンカーブ状」になっていて、険しいのがわかります。


「城山展望台視点場」・・・
「鹿児島を代表する眺め」が愉しめるところなのですが、果たしてどうでしょうか?
 
次回に続きます。
今日はこんなところです。