みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「雨にけぶる薩摩路」を旅しています。

「16時12分」、再度「肥薩(ひさつせん)線」に乗車し、「隼人(はやと)駅」(鹿児島県霧島市隼人町)を出発しました。
まずは先ほど乗り換えた、「吉松駅」(鹿児島県姶良郡湧水町)へと戻ります。

「2両編成」の「吉松経由都城ゆきディーゼルカー」は、ご覧のようにがらがら。
「学生の帰宅時間」にかかっているような時間帯なのですが、それらしき姿は見られません。

そんな中、列車は淡々と走ります。こちらは「茶畑」でしょうか。

山を抜けると、そこには立派な「高架橋」がそびえ立っていました。
「九州の大動脈」、「九州自動車道」です。

いわゆる「ローカル線」に乗車していますと、このような風景をよく目にすることが多くなりました。
同じ「交通機関」でも、「鉄道」は「赤字」ならば必ずと言っていいほど「存廃問題」がクローズアップされることが大なり小なりありますが、「高速道路」に関しては「新路線」が全国津々浦々、建設が進んでいるような印象を受けます。
わたしが「鉄道好きだから判官びいきをする」訳ではないですが、「地方の交通機関の整備・拡充」が「目的」としてあるならば、もともとある「鉄道」を「より活用する」ということも十分「選択肢」としてあるのではないのかな、と思ったりします。
素人のひとりごとでした(>_<)

さて、列車はあいかわらず「貸切状態」です。
ぼんやり車窓を眺めるのにはちょうどいいような感じです。
「単線」なので、反対列車と行き違い。あちらは「単行(1両編成)」ですね。

駅構内に「桜」と「菜の花」が見えました。「南国ならでは」といったところでしょうか。
「大隅横川(おおすみよこがわ)駅」(鹿児島県霧島市横川町)にて。

その隣駅は「栗野駅」(鹿児島県姶良郡湧水町)。
ここは、「名所案内」にもあるように「ラジウム泉」の「栗野岳温泉」が有名ですね。また、かつてはこの駅から「水俣駅」(熊本県水俣市)へ抜ける「山野線」があったそうです。


そして、再び「吉松駅」(鹿児島県姶良郡湧水町)に到着しました。
「いさぶろう」号の「到着時」、そして「はやとの風」号の「発車時」の賑わいはどこへやら、ホームは人っ子ひとり居ません。

この駅からは「未乗線区」である「吉都(きっと)線」で「鹿児島県」をいったん離れ、「都城駅」(宮崎県都城市)へと向かいます。

この駅で「小休止」。
しばしの停車時間がありますので、さきほどは出来なかった「駅ホームの散策」をしてみます。

「1・2番のりば」の屋根を見上げたところ。「天井を支える古レール」が特徴ですね。


ホームから「隼人駅方向」を望む。少々、薄暗くなって来ました。

さて、ホームにはこのようなものが設置されていました。これはいったい…
と言いますか、「鉄道好きなら必ず食い付くこれほどすごいもの」を見たのははじめてなのですが…

これは、現在乗車している「都城ゆき」の「行先板(通称 サボ、サイドボード)」です。
現代では「幕式」や「LED式」のものがほとんどなのですが、ここ周辺ではいまだ現役で使用されている、全国的に見ても「稀有な存在」になっています。

実はこの「箱」、その「行先板」の「収納箱」なのです。

よくよく見てみますと、この「吉松駅」を発着する列車に使用される「行先板」が、「列車ごとに整然とセッティング」されています。





「小箱ごと」に枚数が異なるのは、おそらくは「列車の両数の違い」だからなのでしょうか。
しかし、先ほども触れましたが、これは「はじめて見る貴重な光景」でした。
ただ、これもいつまで使用されるのか、気になります。

いいものを拝見することが出来ました。これも「旅の収穫」ですね。

寒くなって来たので、ここで車内に戻ります。

「2両」とも覗いてみたのですが、ご覧の通り。人の姿はありません。
ここまで来ると、もはや「不思議な気分」と言うか、「旅をしている時に感じる、独特な『寂寥感』のような心境」になります。

このような状況で「吉松駅」を出発。
「肥薩線」が離れて行きます。
次回に続きます。
今日はこんなところです。