JR九州 全線完乗への道!その30 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「急流・球磨川」沿いの「幽玄な風景」を楽しんでいるところなのですが、「大分駅」から乗車して来た「九州横断特急」は終着「人吉駅」(熊本県人吉市)に到着しました。


趣のある「のれん」です。「椿」が有名なのでしょうか。
 

 
駅構内の様子です。
いまではもう、見かけることが難しいくらいの「昭和ムード」が漂っていますね。
「球磨焼酎」のネオンサインが実にいい雰囲気を醸し出しています。
 
 
さて、この「人吉駅」に降り立ったところ、「べんと~べんと~」と大きな、それもよく通る声が耳に「気持ちよく」入って来ました。
こちらも、貴重な「駅弁の売り子さん」です。


ここ「人吉駅」からも、さらに「肥薩線」は続くので乗り継ぎ。
30分ほど待ち時間があるので、改札を出ます。

 

雨にしっとりと佇む「人吉駅」。
駅舎の「白いデザイン」は、かつての「人吉城の櫓」を模したものだそうです。


駅舎向かって右側の様子です。いろいろと気になるものがあります。

 
まずはこちら、「汽車駅弁」の看板がレトロな、「人吉駅」の「駅弁」を製造・販売している「人吉駅弁やまぐち」さんの社屋です。

先ほど、駅ホームで弁当を立ち売りしていましたね。
この「人吉駅」では「栗めし」の駅弁が有名です(容器も「栗の形状」をしています)。


その横には、「人吉城」の「櫓」を模した立派な「時計塔」がありました。
近くで見上げると、結構大きいです。


しばらく観察していますと、時刻が「午後1時」になりました。そうすると・・・

 
 
 
賑やかな民謡(「曲名」は分かりませんでしたが)とともに、このような「からくり人形」が出て来ました。
「祭り行列」と、「自宅で焼酎をお酌している夫婦」、といったところでしょうか。

しかし、「夫婦」の「二人の表情」が何とも、いいですよね。
お酒が入ると、いつの時代でも、いずこでも気持ちが良いものですね(笑)


さて、この「人吉市」には、「球磨川」を中心としてこの「イラストマップ」にあるようにさまざまな史跡、観光名所がたくさんあります。
歴史も古く、さまざまな歴史的な由来があるようです。
 
これについては、毎度おなじみの、
「各駅停車全国歴史散歩44 熊本県」
(熊本日日新聞社著 河出書房新社編 昭和58年初版 絶版)
のお力をお借りしたいと思います。

九州の小京都 人吉
ホームに「五木の子守唄」
 九州の小京都と呼ばれ、日本三大急流の一つに数えられる球磨川が中を貫流する落ち着いたたたずまいの人吉市。この人吉市の表玄関であり、上球磨地方へと延びる湯前線(※注釈:現在の「くま川鉄道湯前線」。沿線には貴重な鉄道構造物が点在していることで知られている)の分岐点としての主要駅である。
 急行列車が着くと、プラットホームには、全国的に知られる「五木の子守唄」(時には♪阿蘇は火の山の…の「火の国旅情」)のメロディが流れ、旅の客を迎えてくれる。
 駅の開業は明治四一年六月一日。八代から山間部を縫い、人吉に達する線名を当初は鹿児島線といった。鹿児島線は翌四二年一一月、矢岳(※注釈:やたけ)トンネルの完成により、門司ー鹿児島間が開通している。海岸線(注釈:水俣、川内方面まわりの路線。現在は「肥薩おれんじ鉄道」、「鹿児島線」となっている)に先立ち人吉経由の線路が走ったのは、球磨郡出身代渋谷禮(※注釈:「しぶや れい」。当時の「熊本県議会議員」)の尽力ととに、内陸開発と物資輸送の軍事的考慮が背景にあったため、という(※注釈:「海岸線」を「メインルート」にすると、敵艦から「艦砲射撃」を受ける可能性があったため、また、先述のように県議会議員、国会議員などの影響力があったこと、などが理由と推測される)。昭和二〇年一〇月、八代ー川内間により鹿児島本線が誕生し、線名も現在の肥薩線に改称している。

城の櫓模した駅舎
 昭和五二年、現在の駅舎がオープン。丸みを帯びた薄墨色の屋根、薄いン色の狭間は、かつての人吉城大手門の櫓になぞらえたものという。
村山盆地の緑をバックにした静かな雰囲気は、相良七○○年の歴史を誇る”城下町人吉”の玄関にふさわしいもの、と好評。
(以下略)

南九州の要衝
 モダンな時計塔が立ち、整備された駅前広場を出ると、そこはもう市街地。南九州の大動脈・国道219号線をはじめ221号線(宮崎・えびの市方面へ)、267号線(鹿児島・大口市へ)など国道の整備が進み、さらに六二年度に予定いる九州縦貫自動車道八代ー人吉間開通により、陸の孤島は”南九交通の要衝”へと飛躍し、町並みもこの変容に即応するように変化している。
 アーケードが設けられ、近代的な都市型ホテルが立ち並ぶ目抜き通りを過ぎ、駅から二○分も歩くと人吉城址。球磨川に影を落としてひっそりと城壁が残る。球磨川と支流胸川(※注釈:「むねがわ」。「球磨川」の支流に相当)を然の堀とし、背後に迫る険しい山を巧みに利用した要塞。建久九年(一一九八)に相良長頼(※注釈:「さがら ながより」(1177-1254)。「相良氏」は江戸期、「肥後人吉藩主」として「肥後国南部」を領地としていた)が相良初代の城主となり、以来、築城や改修が試みられたが、ついに天守閣は完成しなた。(中略)
  
 五日市川岸から、肥薩線開通により交通機関としての使命を終えた川舟が、観光川下りとして急流に漕ぎ出している。年間利用者は約一三万人。 
(出典同 P144-145)
 
今も昔も、「交通の要衝」としての重要なところである訳ですね。
それも、「球磨川」という「水運」、そして現在では想像しがたい点ですが、「鉄道」としても「肥薩線」は「熊本以南のメインルートであった時代」があったのですね。

 
 
まだ次の列車まで時間があります。
幸い、小雨になって来たので駅前を少し歩いてみます。


「各駅停車」の記載にもありましたが、主要な国道や県道が整備されており、交差点の道路案内にも「広域地名」が見られます。


その中に見つけた「五木(いつき)」の文字。
「五木の子守唄」で有名な、「五木村」(熊本県球磨郡五木村)ですね。

娘と同じ名前なので、以前から気にはなっていました(笑)

 

また、改札外の「待合」には、立派な「ひな人形」が設えられていました。
ちなみに、この日は「3月3日」。ちょうどというか良いものが見られました。


乗り継ぎの「肥薩線」の発車時刻が近づいて来ました。改札を入ります。


先ほどまで乗車して来た「九州横断特急」は、同じ道のりを引き返し「別府駅」へと向かいます。
次に乗車するのは、「午後1時21分発」、「肥薩線」の「普通 いさぶろう3号 吉松ゆき」です。

実は、今回の旅の旅程を立てるに当たり、一番難渋したのがこの「人吉→吉松間」でした。
と言うのも、この区間の列車は「1日5本」…
一本乗り遅れると、次は「午後5時台」まで列車はないので、乗り遅れないように…


改札を入ったところに、何とこの先向かう「肥薩線各駅」の「駅スタンプ」がまとめて置かれていました。
いずれも「無人駅だからではないか」と思われますが、得したような気分ですね(笑)



この「いさぶろう」号、「普通列車」なのですが「愛称」が命名されている、という珍しい列車です。
また、これから乗車する「人吉→吉松間」の列車は「いさぶろう」号、反対の「吉松→人吉間」の列車は「しんぺい」号、という名称になっています。

「同じ区間を走行するのに名称が異なるとはこれ如何に」というところですが、これについてはまた後日の記事で取り上げたいと思います。


さて、雨はせっかく「小雨」におさまっていたのですが、発車間際になるとこのように「じゃじゃ降り」に戻ってしまいました…


ここからの区間、実は「日本三大車窓」と称される「名勝地」が連続するのですが、これではちょっと…ですね。

ただ、「雨の日ならではの風景が愉しめる」と気分を切り替えてみます。プラス思考です(笑)



定刻、「午後1時21分」、「人吉駅」を発車しました。
「観光協会」の方でしょうか、「幟を振っての盛大なお見送り」を受けて出発です。

次回に続きます。
今日はこんなところです。