JR九州 全線完乗への道!その7 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

「折尾駅」(福岡県北九州市八幡西区)の「歴史的に貴重な駅舎・駅構内」を細見して参りました。

個人的には、「これほど歴史のあるものが、日常的に、大切に使用されている」ということに大変深い感慨を覚えた次第です。
近年中に、解体の上で「新駅舎」に生まれ変わる、ということですが、その際にもぜひ再訪してみたいと思います。


さて、ここからは「乗り鉄」に戻ります(>_<)
「筑豊本線」の「末端区間」である、通称「若松線」に乗車するため、「1番のりば」に戻って来ました。

ちょうど、反対側の「2番のりば」に「直方ゆき」の「電車」が入線して来ました。
が、あれ?この駅から先は確か「非電化区間」だったような…


よくよく見てみますと、「2番のりば」の線路には「架線」が張られていますが、それに対して、こちら側の「1番のりば」には「架線」がありません。

都合、「1番線」には「電車」は入線出来ず、この駅で乗り換えが必要、ということになるのですね。


さて、「若松ゆき」の列車は入線しているのですが、まだ少し時間があります。
その間に「1番のりば」も「細見」してみたいと思います。


これはまた!貴重なものを発見しました。


かつては、「比較的規模の大きい駅ではどこにでもあった」と言う「洗面台」です。

今でこそ珍しくもないのでしょうが、かつては「蒸気機関車」が牽引する列車が多く、『「夜行列車」から下車した際には、「煤や灰」をこのような「洗面台」で洗い流したんや~』という趣旨の話を、年長者の方から聞いたことがあります。
現在では想像もつかないですね(>_<)


さて、「若松」へ向けて出発です。


車内はご覧の通り。夕方のラッシュ前なので、がらがらでした。

車内の吊り広告、「左側」が「神戸・有馬温泉・城崎温泉への旅」となっていて、「関西人のわたし」からすると「なんだか不思議な感じ」がします。

「右側」は「ソフトバンクホークス」の「企画乗車券」ですね。

「今年も日本一目指してがんばれホークス!」(わたしは「ホークスファン」です…)


鈍いアイドリング音の中、前の座席に足を伸ばしてゆっくり出来るというのは、実にいい気分です。


さて、先日来から触れておりますが、「折尾駅」の名物といえば「かしわめし」です。

食事の時間帯ではないのですが、以前からぜひ食べてみたいと思っていましたので迷わず購入。
「見た目の彩やかさ」はもちろんですが、大変おいしかったです(特に「そぼろ」)
ごちそうさまでした(^O^)


途中駅で「折尾方面」への列車とすれ違います。
こちらも、「キハ47形」という、いわゆる「国鉄形」の車両ですね。


「藤ノ木」という駅でした。


駅員さんが居られ、きびきびとした仕草で列車の発車を見送っておられました。
小さな駅でも、このような光景を目にするととても「信頼感」のようなものを感じます。


「折尾駅」から20分ほどだったでしょうか、終着の「若松駅」(福岡県北九州市若松区)に到着しました。
この駅の「駅名標」は「国鉄仕様」でした。


しかし、駅構内がとても広い!かつては、たいへんなにぎわいだったのでしょうね。




改札を出ます。
周辺は比較的、開発されているように見受けられますがなぜか人通りが少ないような…



駅前広場には「蒸気機関車」の「静態展示」もありました。


さて、時刻もそろそろ「夕刻」になり、「小倉駅」での「待ち合わせ時間」が近づいて来ました。周辺を散策してみたいところですが、とりあえず戻らないと…


「2つのバス停」がありましたが、「小倉駅」まで直通の「西鉄バス北九州」の便で「若戸大橋」を渡り、無事「小倉駅」まで戻ることが出来ました。

この後は、クルマで「ハウステンボス」などを観光して、再度「フェリー」で帰阪した「旅行」でした。

今回の「小旅行」ですが、「炭坑黄金時代」を彷彿とさせる「筑豊地方」の路線、また「折尾駅」の貴重な建築などを細見することが出来、短い時間ではありましたが大変有意義なものでした。

このシリーズは、また「近いうちに」再開出来ればと思っております(^O^)

ひとまずですが、「計7回」にわたり、おつきあいくださりありがとうございました。
今日はこんなところです。