JR九州 全線完乗への道!その2 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。
時は平成21(2009)年8月、「家族旅行」で九州にやって来ています。

前回の記事では、早朝に門司に上陸して「関門海峡」などの観光をし、嫁方の家の墓参りなどをして来ました。が、「時間があれば、北部九州のJRの未乗線区に乗れればええなあ~」などと言う「すけべ心」(!)を企んでいました(^^ゞ

所用が終了した後「どうしましょうか」と言うことになり、結局、同行の「嫁、娘」と「義母、義妹」は「門司港レトロ」付近を観光する、ということになったので、昼前から夕方まで時間が空くことになり、「未乗線区」に乗車出来ることになりました。


こちらは、現在の「JR九州 路線図」です(「橙色」のところが「既乗区間」です)。


当時、この地図で言うと「赤色」の区間が未乗だったので、急いで時刻表を調べて予定を立てます。慌ただしいですが、それはそれで嬉しいことなのですけどね(^_^;)

そういうことで「門司港駅」で同行者と別れ、クルマで「小倉駅」へ急ぎます。
「夕刻に小倉駅で待ち合わせ」ということになりました。


「小倉駅」に到着したのは、発車10分ほど前でした。何とか間に合いました。

さて、ここから乗車したのは、大分県の「夜明」までを結ぶ「日田彦山線」です。
今回は「時間の制約」もあるので、路線中間付近の「田川後藤寺」までの乗車にとどめます。

列車は混雑していたので、あまり車窓風景は撮影出来ずでした。
ただ、「非電化路線」ならではの、このような鄙びた光景が続き、「旅をしているなあ」と言う感じになります。


「小倉」から「1時間ほど」で「田川後藤寺」(福岡県田川市)に到着。
ここで「乗り継ぎ」なのですが、乗り換え時間はわずか「1分」!接続良すぎです。

と言っても、隣のホームに乗り換え列車が停車していたので、わりあいゆっくりとホームなどの観察をすることが出来ました。


「小倉」へ向かう「普通列車」です。
ご注目頂きたいのが、ドア右上にある「ワンマン 小倉」という「行先板」です。

これは「サイドボード」(通称、「サボ」。このタイプのものは「横サボ」と言います)と言いまして、現在であれば「方向幕」(行先が表示されている幕が自動で回るもの)や、「LED」表示のものが殆どとなっているのですが、このように「サボ」を使用している列車は「終着駅」に到着する度にいちいち係員の人が「次の行先のサボを手で差し替え」する面倒があります。
なので、最近ではほぼ淘汰され、「現役のもの」を目にすることはほとんどないのですが、ついぞこれが残っているとは「感動」しました。


さて、「田川後藤寺」から乗り換えたのは「後藤寺線」という路線です。
全長「13.3km」という短い路線ですが、「筑豊地方」の「大動脈」である「筑豊本線」とさきほどの「日田彦山線」とを短絡する路線です。

さて、今回乗車している区間はその「筑豊地方」が主なところです。
「筑豊」と言うと、かつては「大炭田」がそこかしこにあり、そこから掘り出された「石炭」を輸送するために鉄道路線が「網の目のように」敷設されていましたが、時代の流れからか、その多くは「鉱山」とともに廃止されてしまいました。

車窓からの風景も、そういった事情を反映してか注意して見ていると、少し趣意が
異なる感があります。
この写真で言うと、例えば正面の山などは「斜面が削り取られた」様子が伺えます。




さらに進むと、こちらは「石炭」か「石灰」の採掘所でしょうか。
線路の上を「ベルトコンベア」が通っています。


「20分」ほどで終点の「新飯塚」に到着。
「炭坑黄金時代」の「一部」を垣間見られたように思えた車窓でした。


乗車して来た「後藤寺線」の「1両編成」の「ディーゼルカー」です。


車両自体は「国鉄末期」に製造されたものなので、さほど古くはないのですが、この列車も今となっては貴重な「手差しサボ」を使用しています。
個人的には、「大変旅情を誘う」光景だと思います。


さて、ここからは「筑豊本線」に乗り換え。
時間があるので、ひとつ先の「飯塚」(福岡県飯塚市)までやって来ました。

かつては「石炭輸送」や、「特急列車」なども頻繁に運転され、また「ディーゼルカー王国」とも称されたこの路線ですが、平成13(2001)年に一部電化され、「博多・北九州」への「通勤路線」と化しています。




こちらが、現在主力の「817系」という電車です。

「JR九州の車両」と言うと、「大変独特のデザイン」でその方面には有名ですが、特急列車のみならず、普通列車でもこのように「印象に残る」デザインが施されています(ちなみに、車内は「木の座席」でした)。


「飯塚」からは件の「817系」の「快速列車」で「折尾」(福岡県北九州市八幡西区)へ。およそ「40分」ほどで到着。

この「折尾駅」ですが、「筑豊本線」の駅はこのように「何の変哲もない」シンプルな構造になっているのですが、実は「折尾駅」は「2か所」に分かれているのです。


まずは改札を出ます。暑い日でした…


「鷹見口」という名称が付けられているのが「筑豊本線」の「折尾駅」。



こちらが「鷹見口」の「全景」です。
フェンスが設けられていて、何やら工事が始まるような感じですが…

次回は、「なぜ2つに駅が分かれて居るのか?」ということと、この「折尾駅」について取り上げたいと思います。

【乗車記録】
小倉1218→田川後藤寺1315
951D 普通 田川後藤寺ゆき
田川後藤寺1316→新飯塚1337
1552D 普通 新飯塚ゆき
新飯塚1400→飯塚1344
4641H 快速 博多ゆき
飯塚1400→折尾1438
4638H 快速 門司港ゆき

今日はこんなところです。