みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「青春18きっぷ 冬季バージョン」で、「旧・東海道」の「30番目」の宿場、「浜名湖」に面した「舞坂宿」を散策しています。

前回の記事でもご紹介した「常夜灯」ですが、「雁木」という文字が見えます。

その「雁木」についての説明がありました。
「雁木」は「がんき」、ここ「舞坂宿」では「がんげ」と呼んでいたそうですが、これは「船着き場」のことを指します。
隣の「新居(あらい)宿」から「舞坂宿」へは「浜名湖」の「渡り舟」でないと行き来が出来なかったようで、往時は「船着き場」をはじめとし大変なにぎわいだったそうです。
また、「雁木」も「3つ」に分かれていて、「身分制度」が厳しかった当時は、それぞれの身分に応じて「船着き場」が異なっていたそうです。

少し歩くと、また違った「常夜灯」がありました。

かたわらにあった「説明板」ですが…
かつて、この「舞坂宿」で大火があり、その復興と合わせて「宿場街の安寧」のために建立されたものだそうです。
ちなみに、文面にある「秋葉信仰(あきばしんこう、またはあきはしんこう)」については「Wikipedia」からどうぞ。
秋葉神社(あきばじんじゃ。地方によっては「あきはじんじゃ」とも読まれる。)は日本全国に点在する神社である。神社本庁傘下だけで約400社ある。神社以外にも秋葉山として祠や寺院の中で祀られている場合もあるが、殆どの祭神は神仏習合の火防(ひよけ)・火伏せの神として広く信仰された秋葉大権現(あきはだいごんげん、現在の秋葉山本宮秋葉神社を起源とする)である。一般に秋葉大権現信仰は徳川綱吉治世以降に全国に広まったとされているが、実際には各地の古くからの神仏信仰や火災・火除けに関する伝説と同化してしまうことが多く、その起源が定かであるものは少ない。祠の場合は火伏せの神でもあるため、燃えにくい石造りの祠などが見かけられる。小さな祠であることが多く、一つの町内に何箇所も設置されている場合もある。
「舞坂宿」周辺での「信仰対象」となっていたのは、近隣の「秋葉神社(「秋葉大権現」とも称される、全国の「秋葉信仰」の「総本社」だそうです)」(静岡県浜松市天竜区)で、古くから「火伏せ(火除け)信仰」として「大きな信仰」が寄せられていたよう
です。

「宿場街」の「目抜き通り」にやって来ました。
「舞坂宿」から「江戸」へは「浜松宿」、「京」へは「新居宿」が隣宿でした。

こちらは「東海道五十三次」の地図です。説明は不要なほど有名ですね(^O^)
「舞坂宿」は「30番目」の「宿場街」です。

さて、ここからですが…どこへ向かうか。
「左方向」が「宿場街」の中心街だったということで、「脇本陣」という当時の「宿場」が保存されているということで、そちらへ向かいます。

まもなく、「脇本陣」に到着。これは立派なつくりですね。


「脇本陣」とは、やはり「封建制度」の厳しかった当時としての「世相」を反映してか、
本来は「参勤交代」などで「大名・役人」が「本陣」に宿泊出来なかった折に「宿泊施設」として使用されたものだそうです。
ただ、そうではない場合は「一般旅行者」の利用も可能だったそうです。

こちらは、実際に内部を見学出来るということで、さっそくお邪魔したいと思います。



まずは、「玄関」から望む。「奥長」な建物であることがわかりますね。
次回はこの「脇本陣」の見学をさせて頂きます。
今日はこんなところです。