みなさんこんにちは。前回からの続きです。
「海水浴」、「おいしい食事」、「温泉」、と大変満足した「佐津」でした。
今回お世話になりました「にしたにや 海華(かいか)」さんの手厚いおもてなしに
感謝します。ありがとうございました。またぜひに伺いたいと思います。
みなさんにもぜひにオススメしたい旅館です(^O^)

ということで、再び「佐津駅」に戻って来ました。
行きは時間がなかったので、列車待ちの間に駅舎を観察してみたいと思います。


「佐津駅」は「無人駅」ですが、待合は小ぎれいで、ベンチに設置されている「座布団」などを見ていますと「温かみ」を感じますね。

「改札口」付近です。
「無人駅」なので、駅員さんが立つことはないのですが、かつては「海水浴客」が
多数乗降したのでしょうね。

時代を感じさせる「木製の柵」が新鮮ですね。
「自動改札機」に慣れているわたしとしては、本物の「改札口」というものはこういう
ものを指すのかなと感心します。

ホームには跨線橋を上ります。
「香住・浜坂・鳥取・米子方面」を望んだ画です。
「佐津駅」のある「山陰本線(さんいんほんせん)」は実に「長大な路線」です。
「京都駅」を起点として「京都・兵庫・鳥取・島根・山口」を経由し、「山陽本線」と接続する「幡生駅(はたぶ・山口県下関市)」に延びる、大変規模の大きい路線です。
旧・国鉄時代には「食堂車つきの特急列車」や「線内を長距離運行する旧型客車の普通列車」が多数運転されており、まさに「大幹線」でしたが、「JR」に変わってからは、「陰陽連絡(いんようれんらく)」(後述します)を行っている区間以外は、主に「地域輸送」に特化した輸送形態が取られるようになっています。
「山陰本線」と対になる「山陽本線」とを結ぶ、その「陰陽連絡」が行われている一部区間では電化が行われ、「特急列車」や「寝台特急」も走る「繁華な区間」もありますが、大部分は「ローカル線」の様相です。
「鉄道紀行文の第一人者」として著名な、作家の「宮脇俊三氏(1926~2003)」は、この「山陰本線」を「偉大なるローカル線」と著書の中で評しておられましたが、「JR」になって以降も、どうやらそのままのようです。
わたしは「山陰本線」を4年前に完乗していますが、「全線通し」で乗車したことはなく、幾度かに分けてのものでした。
所感としては、同じ「山陰本線」でも、各地域でかなり路線の印象が異なるなあというのが率直なものです。
「地域性」というものも影響しているのでしょうが、気候も風土も異なる「多くの県」にまたがっているので、それはさほど不思議なことではないのかも知れません。

こちらは「城崎温泉・豊岡・和田山・福知山・京都・大阪方面」を望む画。
いずれも、「非電化」なので「架線」がなく、空が広く見えます。

プラットホームの様子です。誰もいない<(`^´)>



ホームの待合に掲げられた「行先案内」です。
ちなみに、かの有名な「餘部鉄橋(あまるべてっきょう)」は、ここから少し先に行った「香住」と「浜坂」の間にあります。
先ほども少し触れましたが、右側の「香住・浜坂・鳥取・米子方面」の先は「島根・
山口」の日本海側を走り、景色の良いところが続きます。

構内には「京都起点 175.0km」の「キロポスト(距離標)」が立っていました。
ちなみに「山陰本線」の全長は「673.8km」なので、この先、「約500km」もあります。

そうこうしているうちに、「城崎温泉ゆき」のディーゼルカーが入って来ました。
これに乗車。
行きと同様に、山あり、急に高台に出て海岸沿いの眺望の良いところを走ります。

「佐津駅」からおよそ20分、この「川沿いに柳が並ぶ風景」が見えて来るとまもなく「城崎温泉駅」に到着です(この川は「大谿川・おおたにがわ」と言います)。

「城崎温泉駅」に到着。
乗車して来たディーゼルカーは、折り返し「鳥取ゆき」となります。
次回に続きます。
今日はこんなところです。