みなさんこんにちは。
先日からの陽気から一転、今日は夕方から大雨でした。
明日はまた暑くなるようで、なんだか落ち着かない気候ですね(>_<)
前回からの続きです。
京阪電車樟葉駅前(大阪府枚方市)の大型商業施設「くずはモール」内にあります
「SANZEN-HIROBA」にやって来ております。
前回から半分ほど入れ替わった「ポスターギャラリー」を拝見しています。

今日はこちらから。

「OBP快道! 片町口がリニューアル 大阪城京橋プロムナード」のポスターです。
「京橋駅片町口」がリニューアルされ、OBP(大阪ビジネスパーク)の本格的なオープンとともに、ぺデストリアンデッキが新設された頃ですね。
昭和62(1987)年のものと思われます。
「京阪京橋駅」というと、JR線との乗り換えが至便で、長いエスカレーターが特徴な「中央口」が思い浮かぶのですが、実は京橋駅にはもう一つ改札口がありまして、
駅西側(天満橋方)にこの「片町口」があります。
この「片町口」が設置されたのには理由がありまして、この京橋駅を含む、天満橋~
蒲生信号所間(現在の京橋~野江間に存在、守口からの高架複々線が地上複線になる場所で、ダイヤ上の大きなボトルネックとなっていた)の京橋駅移転・複線高架化(昭和44年)に合わせ、当時、京橋~天満橋間に存在していた「片町駅」を廃止
することとなり、駅利用者・住民に配慮して設置されたとされています。
この「ぺデストリアンデッキ」の新設から3年後の平成2(1990)年、沿線から至近の「鶴見緑地公園」(大阪市鶴見区・守口市)で、「国際花と緑の博覧会(花の万博、
EXPO'90)」が開催され、会場から一番近いターミナルとして、この京橋駅一帯も
「駅ビル『京阪モール』の大改装」、「地下鉄鶴見緑地線(現在の長堀鶴見緑地線)」の開業など、大きく様変わりしました。
京阪の話からは脱線しますが、「地下鉄京橋駅」が位置しているのは京阪・JRから
北側の公園の下、「コムズガーデン」というショッピング・モールの中なのですが、いずれの駅からの乗り換えも長い地下通路、そして駅改札前(吹き抜けの地下2階)の広場を抜けて歩かないといけない構造になっています。
これは、「花の万博」会場に直通している「地下鉄鶴見緑地線」の乗車待ちの乗客を
滞留させるためだとも言われています。
実際、「花の万博」終了後の記念誌(協会のだったか市のだったかは忘れましたが)には、この広場に長蛇の列を作り、地下鉄の乗車待ちをしている人々の姿を捉えた写真が載っておりました。
開催当時、京橋駅は現在からは想像もつかないほどの人の混みようでした。

さて、次はこちら。
「交野線 全線複線化が実現」のものです。
平成4(1992)年のものと思われます。
「交野線」は、京阪本線の枚方市から分岐し、生駒山系のふもと、私市(きさいち)までを結ぶ支線です。
昭和4(1929)年、「信貴生駒電鉄枚方線」として開業しました。
この「信貴生駒電鉄」、名前の通り、もともとは生駒山系に沿って枚方から南下、私市を経て生駒(奈良県生駒市)と王寺(奈良県北葛城郡王寺町)とを結び、沿線の「信貴山朝護孫子寺」への観光客を京都・奈良・大阪方面から誘致する目的で設立され、路線の建設を計画していました。
ちなみに、現在の「近鉄生駒線」(生駒~王寺間)はこの「枚方~王寺」間の路線計画の「片割れの路線」です。
ただ、残る区間の「私市~王寺」間は、山岳地帯で、なおかつ急勾配の続く区間で
難工事が予想されたため工事は行われず、戦後になって「枚方市~私市」間は京阪が、「生駒~王寺」間は近鉄が合併することとなりました。
ちなみに、私市駅前には長さ100mほどの不自然な形の公園がありますが、これは私市から生駒へ延伸する際の工事用地であったとも言われています。
さて、「京阪交野線」になってからの変遷ですが、昭和30年頃までは単車がとぼとぼと走る「ローカル線」でしたが、昭和40年代からは沿線の開発が急激に進み、「枚方市~森信号所(現在の交野市~河内森間に昭和62年まで存在)」までの複線化の後、少し時間を置いた平成4(1992)年11月、残る「森信号所~私市」間の複線化が
完成し、交野線は全線複線化されました。
殊に、JR学研都市線(この交野線とは、大阪方面への乗客獲得でライバル関係にあります)との乗り換え駅である「河内森駅」は、「単線時代のひなびた1面しかないホームの駅」から、「地下改札を備える立派な駅」に変貌しました。
ちなみに、単線時代の「河内森駅」は、この近辺に遠縁が住んでおり、時々訪問させてもらっていたので、よく覚えています。
自宅近くに畑も所有されており、イチゴ狩りや芋ほりなどをさせてもらいました。
その頃から比べると、周辺はあまり変わっていないようですが(失礼!)、駅や電車は
新しくなり、当時とは印象が全然違います。
いまから25年くらい前の思い出でした(^○^)
次回に続きます。
今日はこんなところです。