みなさんこんにちは。
大型連休も終わり、またいつもの日々のはじまりですね(>_<)
わたしはシフト制の仕事をしているので、盆も正月もゴールデンウィークも関係ないのですが、唯一よか
ったのは連休中の通勤電車が空いていることくらいでしたか(^O^)
今日は、前回からの続きです。
京阪電車樟葉駅前の「SANZEN-HIROBA」にあります、「京阪電車全駅今昔写真パネル」展示を見学し、当時の思い出をお話しするという企画です。

今日は「萱島駅」(大阪府寝屋川市)からです。
大阪天満橋から続く、民鉄最大級の複々線の終着に当たる駅で、京都方には寝屋川車庫・車両工場もあり、京阪電車の運転上で重要な拠点でもあります。
現在のパネル写真をご覧頂くと、ちょっと変わった駅であることに気づかれましたでしょうか?
もとい、大阪方面ホームの真ん中に大きなクスノキが鎮座しています。
もともと、この萱島駅は地上線時代、現在より北側に位置していたのですが、高度経済成長に伴う乗客の膨大な増加により、戦前の昭和8(1933)年に完成していた、蒲生信号所(現在の京橋~野江間)から守口駅(現在の守口市駅)までの複々線をこの駅まで延伸するに当たり、このクスノキが鎮座している場所に、新たに高架駅を建設することになりました。
このクスノキは、推定樹齢700年とも言われ、周辺の住民から親しまれていた存在
で、伐採するには忍びないと、京阪電車は新駅工事の際、コンコースからホームにかけてクスノキ用に穴を開けたというわけです。
高架下には「萱島神社」が設けられ、周辺の人から篤い信仰があるそうです。

続いてはこちら。
「深草駅」(京都市伏見区)です。

おそらくは昭和30年代の写真だと思われます。
幅の狭いホームの先に、何本かの列車が停車していますね。
昭和55(1980)年3月まで、この深草駅に隣接して「深草車庫」が京都方の車庫として、明治の開業時から設けられていました。
ただし、敷地が狭いため、7両編成をそのまま留め置くことが出来ないなど、運用に支障をきたすこととなり、新たに「淀車庫」が新設されました。
現在の駅は、写真左側に列車が2本止まっているあたりに移設されており、当時とは大きく変貌しています。
ちなみに、この駅はわたしが通学していた大学の最寄駅なのでいろいろ思い出が
あります(^O^)
2000年代はじめまでは、旧・深草車庫の敷地がレールなどとともにそのまま残されておりました(現在はマンションに様変わりしています)。

続いては、京阪電車沿線の中で有数の、情緒のあった区間のご紹介です。
昭和62(1987)年5月24日の「京都地下線開業」まで、東福寺~三条間は鴨川沿いを走る路線として営業していました。
春は桜並木、夏は鴨川対岸の川床が見えるなど、大変京都らしい風景を楽しむ
ことが出来ました。

写真は地上線時代の「七条駅」大阪方面ホームです。
入線して来る2200系の急行が冷房改造されており、なおかつ京都市電との平面交差があるので、昭和49(1974)~53(1978)年頃のものではないかと思われます。
大阪方面ホームからは、鴨川の流れを楽しむことが出来た風情のある駅でした。
また、先述の京都市電とも平面交差しており、踏切通過時は低速での運転を余儀
なくされていたのも特徴です。

続いては「清水五条駅」です。
平成20(2008)年の駅名改称までは「五条駅」でした。

こちらは昭和30年代初頭頃の撮影かと思われます。
ちょうど、大阪方面に向かう特急が通過していくところですね。
駅前の広い道路は「五条通=国道1号線」です。
この当時は車の通行量も少なかったようですが、年月の経過とともに、次第に「開かずの踏切」と化してしまい、地下線化のひとつの大きな契機となりました。

続いては「祇園四条駅」です。
こちらも、駅名改称までは「四条駅」でした。
祇園・八坂神社、四条大橋を渡ると河原町、先斗町などの繁華街に近接する賑やかな駅でした。

地上線時代の大阪方面ゆき駅舎です。
こちらも昭和30年代の撮影かと思われます。
夜の四条駅。味がありますね。
この駅でも、京都市電と平面交差していました。
京阪の「市電との平面交差」は、京都市電とは「伏見稲荷・七条・四条・東山三条」、大阪市電とは「片町(現在は廃止、天満橋~京橋間に昭和44年まで存在)」の合計
5箇所ありました。
このうち、伏見稲荷だけは「平面軌道どうしの交差」で、衝突事故防止のため信号所が設けられていました。

「四条駅」を出ると、電車はゆっくりと「三条駅」に到着していました。
(三条駅の様子は、前回の記事でご紹介していますので割愛します)
とまあ、京都市内の鴨川沿いの各駅はいずれも情緒のある駅、そして風景でした。
逆に考えると、「電車を降り、改札を抜け、スロープを下るとすぐ踏切脇の道路に
出られる」ので、「超バリアフリー」ですね。
わたしの世代では、この地上線の思い出というと、既に地下線の工事が7、8割方は
進んでおり、七条・四条・三条駅は仮設駅に変わっていた末期の頃で、至る所で
地上工事がなされていたので、あまり「風情のある…」という思い出はありません。
当時、沿線在住でこの区間の「ヘビーユーザー」だった母親に、この「鴨川
沿いの地上線」の話を振ると、「本当に風情があってよかった、駅を降りて改札を出たらすぐ目的地に行けた、地下になってからいちいち階段の昇り降りをしないとあかんから面倒くさいほかない、なんであんな風情のある便利なもんをなくしたんや…etc」などと、20分くらいはしゃべり続けるほどのさまざまな思い出があるようです(+o+)
ちょっと話が脱線しましたが、この「京都地下線」の開業から、今年の5月24日で早や27年経過します。
もうそんなに経つんか…と、当時小学生だったわたしでも、この記事をこしらえていてちょっとセンチな気分になりました。
さて、次回はポスターギャラリーの展示をご紹介したいと思います。
ちなみに、前回訪問した際と、半分くらい入れ替わりがありました。
今日はこんなところです。