みなさんこんにちは。
今日の大阪は大変な強風で、寒くて寒くて冬に逆戻りしたようでした(*_*)
自宅の最寄駅に咲いている桜がだいぶ散ってしまいました…
今年はまだ花見もしてないのですが(>_<)
さて、前回からの続きです。
京阪電車樟葉駅前の「くずはモール」南館にオープンした、「テレビカー」こと旧・3000系が展示されている「SANZEN-HIROBA」の様子をお送りしています。
ポスターギャラリーの続きですが…

京都・鴨川の東岸を走り、情緒あふれる風景だった「東福寺~三条間」の地下化
(京都地下線)の工事の様子です。
昭和52(1977)年からの工事開始から10年が経過し、昭和62(1987)年5月の京都地下線開業までいよいよ大詰めとなった頃のもので、昭和61(1986)年頃のものと思われます。
この線路跡は現在「川端通り」となっており、当時の面影はまったく見当たりません。
地下線の工事に当たっては、東福寺~七条間の切り替え箇所の工事方法の関係(地下線の入口付近に地上線の線路を仮設しており、地上線の最終列車通過後に接続部の仮設線路を除去し、東福寺方の線路と地下線を接続する方法)のため、地上線から車両の搬入が出来ず、このように地下線の四条駅付近の天井に穴を開け、試運転車両をクレーンで搬入するという、なんとも大掛かりな作業を行いました。

こちらは大阪から「旧・三条駅」に到着する、「テレビカー」旧・3000系と、佳境に入った地下線・四条駅の工事の様子です。
地上線時代の三条駅での特急列車は2番線が使用されており、列車はこのように
身をくねらせながらゆっくりと入線して来るのが特徴でした。
いや懐かしい。

ポスターギャラリーの後は、壁一面に「歴代ヘッドマーク」の展示がありました。

俗に「前サボ」などと言われますが、京阪電車の場合では、「行先・種別」を表示した板を「本標」、イラストや沿線の催し物などの掲示がなされている表示板を「副標」と
呼んでいます。
原則として、「本標」は車両向かって左側、「副標」は右側に掲示されていました。
「本標」の方は、平成2(1990)年の2400系の改修工事を最後に京阪線では消滅して
しまいましたが、このようにさまざまなバリエーションがあり、見るだけでも楽しいものでした。

一方、「副標」の方は現在も健在で、逆に昔よりも種類・デザインもさまざまなものが
頻繁に登場していて、ファンの方々の格好の被写体となっています。
こちらは「中之島線開業」のものですね。

中央には伝統の「鳩マーク」。
旧・3000系の電照式以前に使用されていたしろもののようです。
ちなみに、この「鳩マーク」、現物を見せて頂いたことがあるのですが、塗装の上塗り、看板の艶など、やはり、とかくオーラのようなものを感じました。
ちなみにめちゃめちゃ重かったです。

こちらは交野線から大阪方面へ朝夕のラッシュ時に直通運転されていた「おりひめ」
「ひこぼし」号のヘッドマークです。
並行するJR学研都市線との競合を意識した列車でしたが、諸般の事情で昨年のダイヤ改正で廃止となってしまいました。

こちらは「区間急行」のヘッドマークですね。
黄色板は「天満橋発着」のものです。

目を引いたのがこちらで、「中書島×深草」という、ちょっと変わった看板です。
現在では「なぜ深草が発着?」となりますが、昭和55(1980)年まで、深草駅には「深草車庫」が隣接していました。
おそらくは深草車庫からの入出庫の列車に使用されていたものでしょう。

さて、そんなこんなでなかなか中身の濃い展示ばかりでした。
ちなみに、ご紹介出来ませんでしたが「トレインシュミレーター」や「パノラマ模型展示」などもあり、ファンならずとも親子連れの方にも楽しめるのではないでしょうか。

ちなみに、車両に掲示されているヘッドマークや展示内容は入れ替わる予定だそうで、また足を運んでみたいと思っています。
5回にわたり、ご覧頂きありがとうございました(^O^)
今日はこんなところです。