井笠鉄道 ナローゲージの残影を探して その5 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんばんはー
前回からの続きです。
 
岡山県西部を走っていた、「ナローゲージ」井笠鉄道の廃線跡を巡っています。
 
笠岡から井原への「本線」、ちょうど中間付近にやって来ました。
 
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今日はこちら、「新山(にいやま)」駅からです。
 
現在は「井笠鉄道記念館」となっています。
廃線後、かつての駅舎を移設し、駅長さんだった方が個人で運営されている「記念
館」です。
 
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さっそく、館内に入ってみましょう。
まず正面にあるのが「蒸気機関車」の「1号機関車」です。
ドイツの「オーレンシュタイン・ウント・コッぺル社(通称、コッぺル社)」製、1913年製
とのこと。
この手の機関車は「コッぺル社」が得意としていたものでもあります。
 
廃線の2年後、1973(昭和48)年から1978(昭和53)年まで、埼玉県の「西武山口線」で「おとぎ汽車」として使用された後、当所へ戻って来ました。
 
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こちらは「木造客車」の「ホハ1」。
1913年、日本車両製。
 
盛り上がった「ダブルルーフ」という屋根が特徴的です。
 
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動力を持たない「客車」なので、自分で走ることが出来ず、先の「コッぺル機関車」やこのように「ディーゼルカー」に牽引されて走行していました。
 
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車内は休憩所として活用されていました。
テーブルが置かれている以外は、ほぼ当時のまま。
 
座席は板張り、乗り心地はどんなものだったのでしょうね~
一度乗ってみたい。
 
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最後尾には「貨車」の「ホワフ1」。
1914年、日本車両製。
 
「山陽本線」という大動脈と接続していたこともあり、井笠鉄道は「貨物輸送」も盛んだったようですね。
 
訪問者はわたしだけで、「専属」で館長さんに館内を案内して頂きました(^O^)
 
さて、ここからはバスで移動することにします。
一気に終点の「井原」へ向かいます。
 
次回に続きます。
今日はこんなところです。