18きっぷで真夏の旅2010 その30 志度を散策 その2 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

前回からの続きです。
香川県の中央部にあります「さぬき市」の「志度」周辺を散策しています。
 
街中をぶらぶらした後、四国霊場第八十六番「志度寺」を参拝しました。
 
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お遍路さんですね。
暑い中、本当にお勤めご苦労さまです。
 
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「こんぴらさん」でもさんざん願かけしたので、これで「二重参り」になってしもうたなあ~とこの記事をアップしながら気づきましたが…
ご容赦ください\(-o-)/
 
さて、参拝を終えて境内の裏手を歩いていると、古い墓所がありました。
手押し車に花や手水を載せているひとりのおばあさんに、声をかけられました。
 
このおばあさん、丁寧にその墓所に由来するある「伝説」を説明してくれました。
以下その概要です。
 
 今をさかのぼること1300年前、皇室へ嫁いでいた藤原鎌足の娘が宝物の「玉」
 を藤原家ゆかりの興福寺(奈良)へ運ぶ途中、この志度の沖で龍神に奪われた。
 それを耳にした藤原不平等は、自分の身分を隠しこの讃岐の国にやって来て
 あるひとりの海女と契りを結び、「房前」という男児を設けた。
 幾年か後、不平等は海女に自分は龍神に奪われた玉を取り返しに来た、と話す  と、海女は海へ潜り龍神とい、「玉」を奪い返したが、海女はそのまま海の藻
 屑となってしまった。
 成人し、この話を聞いた「房前」は、高僧の「行基」とともに志度を訪れ、母の菩
 提を弔うとともに、この志度を再興した…
  ここには、その海女が眠っている… 
 
という伝説だそうです。
 
地元ではこの伝説がいまだに語り継がれているそうで、一時期は墓所も荒れ果てていたが、私をはじめとして
地元の人らがきれいに整備したおかげで、仏さんも喜んでおられるじゃろう、と真面目な顔で話を続けます。
 
「せっかくのご縁やから拝んでいってやって」とお願いされ、おばあさんとならんで仏さんを拝んで来ました。
 
この言葉が印象に残りました。
「ご縁やから…」
 
私、実は四国遍路に関する本など複数読んだことがあるのですが、どの本にも「ご縁」という言葉が載っていた
ように記憶しています。
 
四国に住む人々は、巡礼するお遍路さんに対して、食料や宿までを提供する「喜捨」とか「接待」という習慣が
今も色濃く残っていると聞きます。
 
遠方から来た人々を、暖かい目で見てくれているといったところなのでしょうね。
 
「縁」って、「意図的に自分で作ろう」としてもなかなか出来ないものであるのに対し、「意図しなくてもいい出会いが出来る」というのも人生のうちで幾度かあるのかなと思います。
 
その時の自分自身の生きざま、考え方、行動…いろいろ要素はあるとは思いますが、そういう要素の中で「いろいろな出会いがある」、それが「縁」なのでしょうね。
何にしても、「自分の意思で、自分で行動した結果」で、いろいろな「縁」というのが出来るのだと思います。
 
私のブログに訪問してくださっている方々とも、それこそいい「ご縁」ですもんね。
 
夏の暑い日差しの中、そんなことを思いながら駅へと向かいました。
 
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さて、JR線の志度駅にやって来ました。
 
駅の入口には、さきほどの「海女伝説」の碑がありました。
ここから高松へと移動します。
 
いろいろと考えさせられる志度の散策でしたとさ。
 
今日はこんなところです。