いざ平城京へ その4 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんばんは。
前置きはさておき、さっそく「平城遷都1300年祭」会場のレポートの続編をお送りします。
 
今日は、バスターミナル横にあります「平城京歴史館」についてです。
 
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「平城京の歴史」と「この時代の生活」などを主題としたテーマ館ということですが、入場には整理券が
要るということで、外観だけでパスすることにしました。
 
実は外観だけでも十分見る価値がありました。
それは…(ちょっと左に写ってますが)
 
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復元された「遣唐使船」です。
 
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近寄ってみますと、なかなかの迫力です。
 
「遣唐使」は、奈良に都があった時代に、当時の「唐」へ、倭(日本)の物産を献上したり、その見返りに、
当時の進んだ大陸の技術や仏教の教典の収集などをしていた、朝廷からの派遣団です。
 
舒明3(630)年に第一陣が渡って以来、寛平6(894)年に菅原道真が廃止を提起するまでのおよそ260年の
間に渡り、20回(回数は諸説あるようですが)派遣されていたと言います。
「白紙(894)に戻す遣唐使」と覚えたアレですね。
 
大陸への航海にはまさに命がけで、派遣を命じられた役人などの中にはかたくなに拒否する者も多かった
そうですが、山上憶良・吉備真備・井真成、そして空海・最澄などの著名人が海を渡ったとされています。
 
ちなみに大陸と日本の往復には1年程度、一つの船につき100名が乗船していたそうです。
船は4隻で出航していたそうですが、これは過酷な航海のゆえ、他の船が遭難しても一隻でも無事に到着
出来ればよい、という考えがあったからだそうです(恐ろしい…)
 
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さて、船の周りを見てみます。
当時の「錨」も復元されていました。
鉄はこの時代、大変貴重品だったそうで、これは木製のものです。
木製とはいえ、結構頑丈に出来ているシロモノです。
 
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「遣唐使船復元にあたって」の説明板と、船の諸元表です。
 
果たしてどんな旅だったのでしょうね。
「難破・遭難覚悟」だというので、あまり想像したくないですが…
 
しかし、大陸との交流のおかげで、文化や技術の伝来があったわけで、その点は命をかけて往来した
先人の人々に感謝しなければならないことなのかも知れません。
 
さて、次回は…
 
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「遣唐使船」の西側に復元された、「朱雀門」のレポートです。
次回もお楽しみに。
 
今日はこんなところです。