阪和電気鉄道 昭和初期の面影〜その10「百舌鳥駅」 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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おはようございます。
こちらは少々雲がかかっているのですが、まずまずの天気です。
 
さて、今朝は、当ブログで「シリーズ化」の様相を呈して来ました、大阪から和歌山へ向かうJR阪和線の前身、私鉄の阪和電気鉄道の昭和初期の面影をめぐるレポートをいたします。
 
先日の「美章園駅」から大和川を越え、さらに南に下り、堺市内に入って来ました。
 
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今日の話題は、この「百舌鳥駅」です。
 
この駅、何と読むかご存じでしょうか。
正解は「もず」です。
 
「漢字の数より読み仮名の方が少ない」という駅名は、かなり珍しいのではないでしょうか。
 
「もず」とは、あの鳥の「モズ」に由来します。
ちなみに、「モズ」は動物食だそうで、「もずのはやにえ」という言葉があります。
捕まえた獲物を木の枝に串刺しにしたりするそうです。
(大阪府の府の鳥にもなっていますが)
 
かつて、この周辺に「モズ」がたくさん生息していたことが由来かと推測出来ます。
 
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和歌山方面ホームにあった、古ぼけた「キロポスト」。
「キロポスト」とは、その路線の起点からの距離を示した標識で、この百舌鳥駅のホームの地点が
起点の天王寺駅から11キロになる、という意味です。
 
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百舌鳥駅の東口です。
特に、何の変哲もありません。
今回ご紹介したいのは、線路を挟んで反対側の西口駅舎です。
 
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周辺の地図がありました。
 
社会の教科書には必ず出て来ていた「仁徳天皇陵」が見られます。
 
平素、地図や写真などで見る鍵穴の形が有名ですが、この方角からだとちょうど反対向きに
なるので、少し違和感があります。
また、この周辺は「百舌鳥古墳群」と称されており、大小の古墳が点在しています。
 
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踏切を渡って、大阪方面の駅舎に向かいます。
関西空港から大阪・京都へ向かう途中の特急「はるか」が風のように通過して行きました。
 
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百舌鳥駅の西口です。
こちらが主の駅舎になります。
 
この駅は1929(昭和4)年7月、阪和電気鉄道の開業時からある駅で、その際に建築されたものが現在まで
改築、改装を重ねられて残存しているとのこと。
 
阪和線の場合、こういう経歴のある駅や駅舎に関しては、「屋根瓦が茶色または赤系統に塗られている」こと
が多いそうで(「美章園駅」などは例外だそうですが)、その典型にあてはまる駅だというわけです。
 
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西口駅舎を、跨線橋から見たところです。
手前の駅舎は、ここ最近改装されたようで新しいのですが、奥の瓦ぶきの駅事務所に関しては
実に古びています。
屋根瓦は一般的に見られる陶器製なのでしょうか、色彩の問題もあるのでレンガに近い材質なのでしょう
か、ここからではちょっとわかりかねます。
 
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さて、百舌鳥駅からさらに南に下ります。
古墳のことなど、すっかり忘れていました(笑)
 
改装されてはいるものの、古色蒼然とした味わいのある駅舎がこの先にも点在しているということ
なので、次回以降、数回に分けましてレポートしたいと思っています。
 
今日はこんなところです。