覚えている限り、ずいぶん幼い頃から生産性のない会話が無駄だと感じている。
私の母親は、悪口や愚痴をよくする人だった。
彼女が子どもの話しを聞くより、
子どもたちが彼女の愚痴を聞く時間の方が圧倒的に多かった。
当時から、
何の発展のない同じ話を繰り返す彼女に嫌気が指していた。
私が20歳になった時に、着の身着のままで母親から家を追い出されて6年間に渡り絶交された理由は、
いつも通り彼女の愚痴を散々聞かされたあと、ついに本音が出てしまったからだ。
“じゃぁ出てけば?母親なんか辞めて、いなくなっちゃえば?”
母親にとってキツイ言葉だったかなんてどうでもいい、10年に渡って聞かされてきた生産性のない話の内容にほとほと嫌気がさしていたし、幼い頃からずっと思い続けていた本音だったから。
そんなに文句いうなら、
そんなに父や私たちの事が嫌いなら、さっさと出てって居なくなってくれた方が、
愚痴や嫌味を延々と聞かされるよりマシだと思っていたから。
“そんな簡単に蒸発できていたらこんなに苦労はしなかった”
と、今まで見た事がないくらい怒り叫び狂った母親に、20歳の私は追い出されホームレスになった。
生産性のない話をする大人に反吐が出るほどの嫌悪感をいだき続けているのは、今でも変わらない。
私の言う生産性のない話というのは、
愚痴や悪口だけに関わらず、毎回同じ内容の話、のこと。
同じ話を毎回する人間に対しての忍耐力がない。
ゼロ。
同じ話が始まると、何を言っているかなんて全く聞いてなくて、
また同じ話してるわーめんどくせーあぁ早く終わらないかな、話題変えちゃおうかなーとイライラしてしまう。
その時の私の精神力次第では、
“その話、もう何回も聞きました。” と爆弾を投下してしまう事もある。
どんなに頑張っても、相槌や反応は皆無になってしまう。
視線も他を向いたり、
無表情になって退屈オーラ全開になってしまう。
なぜ人は、
同じ話を繰り返し 繰り返しするのだろうか。
ちなみに、年上に多い。
前回話した時から進展があったなら聞く価値はあるけど、
まったく変化なしであれば、なぜまた同じ事を聞かされなくてはならないのか、理解ができない。
そういう人ってだいたい、人の意見に耳を傾けない傾向がある。
例えば、
腰が痛いと毎度言う人に対して、
腰痛にはこんなストレッチをしたら良いと意見を伝えても、
“ストレッチなんかめんどくさいよ”と言い放ち、
次回また、腰が痛い腰が痛いと言う。
腰が痛いなら、痛みを和らげたいと思わないの?
良くしたい、と思わないの?
何に関しても、対しても、ベターになりたいと日頃から思わない人の戯言を聞くほど、エネルギーも時間も持ち合わせていない。
グチグチネチネチいうなら、何か動き出せばいいじゃないか。
生産性のない話をする人間が、とっても嫌です。
そういう人をうまくかわしていく術を身に着けたいのに、
なかなかうまくできない。
そんな自分自身に対して嫌気がさしてしまう今日このごろ。