すべての生命に必ず訪れるもの | カリフォルニア日記

カリフォルニア日記

2015年、学生ビザで渡米。
留学中に現旦那に出会い、遠距離恋愛含め6年の交際を経て結婚。
2023年の秋セメからコミカレ復学!4年制大学編入に向けて、フルタイムで働きながら自分のペースで生活。
日々のこと、学校のこと、ぼやきなどゆるく綴っています。

私はただのサーバーでありながら、顔見知りのお客さんが多くいる

 

ハグでお出迎えするほど仲良しなお客さんもたくさん。

好みやオーダーは覚えているし、電話の声聞いただけで誰かわかる。道端で会えば立ち話するし、ホームパーティーにご招待してもらうことも。家族ぐるみで仲良くしている人もいれば、人生相談や学業相談にのってくれるカウンセラーも数名いる。

 

 

ほんとにいい人ばかりに恵まれているなぁ。

 

 

 

ある常連の中年カップル。

昨年末まではほぼ毎日来ていたのが、1月は一度も来ず、2月に来たときには外食は高いから節約のために自炊していると言っていた。

 

3月は奥さんがかなり痩せて坊主にしていたので、病気しているんだなと悟った。でもまだ覇気があり、普段通りに接っしてほしいオーラが漂っていたので、私たちも極々ふつうに接していた。

 

 

昨晩旦那さんが一人で来店して、奥さんの訃報を知らせてくれた。

 

 

初めて話してくれた奥さんの病状。

数年前に発症した乳がんが完治したはずだったのに全身に発症した末期がんだったと。

2月から始めたキーモが全然効かないどころか、奥さんの体力や生命力を奪っていたんだと。

 

 

彼女が最後に来店したのは6月。

やせ細って焦点もあってなくて、食事もワインもほとんど残していた。

 

なんとなく、死期が近いんだろうなって予想はしていたけど、現実のものとなると…悲しい。

旦那さんの気持ちを想像しただけで胸が張り裂けそうに痛い。本人の痛みは私なんかの想像をはるかに超えるもののはず。

 

 

最期のことと彼らの歴史を話してくれた。

話すことを選んだ彼の選択を尊重したい思いで聞くに徹したかったのに、涙が出てきてしまい、、、彼も涙涙。

 

 

つらいな。

 

 

どんな最期にしろ、遺された側は後悔や自責の念に駆られるものなんだよな

 

 

最愛の人を失った人にかける言葉なんてないですよ。

励ましてほしいなんて思わないだろうし、同情されても…って感じだと思う。

 

たとえ自己満であろうと、私はただただ話をきいて、一緒に泣いて、抱きしめることしかできない。

 

 

 

 

すべての生き物に約束されている死。

唯一、平等に与えられた道。。

 

 

死は凄まじいエネルギーを持っているとつくづく思う。