数年ぶりの入浴に体がびっくり | 無精庵徒然草

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無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 ← 渡辺一夫著『うらなり抄―おへその微笑 随筆 (1955年)』 (カッパ・ブックス) 

 

 渡辺一夫著の『うらなり抄―おへその微笑 随筆 (1955年)』を26日(水)読了。父の蔵書の一冊。刊行された昭和30年には早くも11版。当時のベストセラーだったとか(だから父の眼に止まったのか)。

 さすがに70年近い昔の本で、経年変化はあるがその割にはしっかりしている。ヘビースモーカーの父で、タバコのヤニなのか紙質の変化なのか見極め難い。紙自体がわら半紙風なのである。

 本書を読んでいたその夜、NHKラジオ深夜便で、約十年前に行われた大江健三郎へのインタビューが前後半の二回に渡って。幸か不幸か仕事が暇でほぼ全てを聞くことが出来た。その冒頭で、少年時代の大江が(のちに映画監督となる)伊丹 十三と知り合い、彼に紹介された渡辺一夫の本『フランスルネサンス断章』に感激し、東大仏文を目指すと決心受験に励むなんて話があった。

 渡辺一夫、伊丹十三、大江健三郎(さらには武満徹など)の連なり。この辺りのことは既に書いた。

 この随筆は新聞の連載から若干の編集を経て成ったもの。連載が決まるには、「旧友で光文社社長神吉晴夫の勧め」が発端だが、荒正人の勧めも預かって大きかったとか。

 渡辺一夫は、高名なるフランス文学者・評論家で、「ルネサンス期フランスのフランソワ・ラブレーやエラスムスなどの研究、及び『ガルガンチュワとパンタグリュエル』の日本語訳で知られる」方。非学な吾輩には、「大学教授として、二宮敬、串田孫一、森有正、菅野昭正、辻邦生、清岡卓行、清水徹、大江健三郎ら数々の文学者を育てた」のほうが興味深い。吾輩は同氏の学識よりも翻訳で世話になっていた…?

 大江が一時とはいえ師事を決心したほどの学者だが、本書の内容は人柄を現わしてか結構、赤裸々で新聞で書くのは普通は憚られるような話題も数々。気軽に読める随筆だが、「渡辺一夫著作集」に所収となっているかどうか、分からない。

 

 

 ← 昨日は強風 吹き荒れた。今の時期の強風は庭に松の木から柿の種が一杯 散在する。雄花? 雌花? (04/26 21:19) 雌花の大きくなったのものが、マツの球果(松かさ、松ぼっくり)にな」るとか。で、「新芽の下部に雄花をつけ」る。地上に散在するのは雄花たちか。  (04/27 05:38)

 

 ← スッゴイ! (04/26 21:14)

 

 数年ぶりの入浴に体が驚いたのか、入浴後わずかして読書中に寝落ち。目覚めたら丑三つ時だった。…それでも湯あたりしなかったことに安堵の念。これからも休みの日…寝落ちしても仕事に支障のない日には入浴できそう。 (04/27 05:25)

 

『太陽庭と家シリーズ〈4〉数寄屋の庭 (1980年)』を読みだした。ほとんど眺めているというべきか。父の蔵書。吾輩の庭仕事の体たらくを嘆くその情けなさの思いが一層募るが、こんな庭だったらいいなと夢見つつ通読後も座右に置いていくことになりそう。

 

 ← スナウラ・テイラー 著『荷を引く獣たち ―― 動物の解放と障害者の解放 』(今津有梨 訳 洛北出版) 「動物の解放と障害者の解放の、深くて大切な結びつき アメリカン・ブック・アワード(2018年度)受賞作品!」

 

 スナウラ・テイラー 著の『荷を引く獣たち ―― 動物の解放と障害者の解放 』を25日(火)に読了。二週間ほどを敢えて費やして。ここには書けないひょんなことで入手。

スナウラ・テイラーは、一人の障害当事者として、障害者運動と動物の権利運動の担い手として、そして一人の芸術家として、読者に問いかける。もし動物と障害者の抑圧がもつれあっているのなら、もし健常者を中心とする制度と人間を中心とする倫理とがつながっているのなら、解放への道のりもまた、交差しているのではないか、と。」実に内容の濃い本。

この『荷を引く獣たち』には、「障害」と「動物」という、これまで対立すると見なされてきた問題が、実際には深く結びついているということが、テイラー自身の体験にもとづいて、丁寧に書かれている。 そのうえで彼女は、もっと風通しのよい、ゆたかな経験と共感にくつろぐ未来を、読者に語りかける。目前の世界の姿を、荷車や車椅子の輪のように、ぐるりと回転させ、しなやかに変えてみせるのである。おおらかに、エレガントに。」 最後のエレガントに、という点だけは違和感を覚える。知的で感性の鋭い方だし、学者でもあるが、本書の論述は書きながら考え模索しているような、ドキュメント的な雰囲気さえ漂う。それが本書の迫力を齎している。

 だから本書の装丁にも違和感を覚えた。内容の重さに比して、いかにも装丁に力を入れている洛北出版らしい美麗さ。一体、誰がデザインした絵なのか。筆者自らの絵? 少なくとも絵柄に限ってはあるいは画家でもある筆者の手になるかと憶測した。違ったようだ:

Sunaura Taylor」の末尾には、「私の作品は感情的な肖像画ですが、それらは主に戦争、正常の考え、アイデンティティと表現の問題に関する政治的声明でもあります」と。このサイトを除けば同氏の作品の数々が。作品を書く考え方が自身の言葉で書かれている。彼女の自画像も観ることが出来る(心して…必見)。

 

 本書については、折々に感想やメモを残してきた(ブログにも日記として)。「人間、動物、障害など全く新しい視点を与えられた。下手な哲学書より命、肉体を考えさせられている」とか。あまりに考える材料が多すぎる。人間とは、…動物としての人間とはを根底から問いかける深甚なる書なのである。

 以前も書いたが、「人に勧めたい本には、楽しめる意味と、読むべき内容の意味があるとしたら、本書は明らかに後者。動物をペットとしか見なさない人には無用かもしれない。でも、動物を生き物として地上世界を共生する仲間と感じる人には大いに考える材料に満ちた書」なのである。

 

 

 ← 26日、雨のモミジ。 (04/26 21:16)

 

 今夜、数年ぶりに自宅でニューヨーク! 寒かったし……

 3年前だったか入浴中に湯中りした。その後、別の日、洗い場で目眩。それで入浴が怖くなった。但し、湯中りの原因は追及してない。

 数年ぶりなので、浴槽洗いから。垢か苔でヌルヌルだった。 (04/26 21:34)