奈落の夜へ | 無精庵徒然草

無精庵徒然草

無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

 ← ジョン・マーティン(英:John Martin, 1789年 - 1854年)作 (「ハーンとドレとマーティンと」(2020/06/21)より)

 

 この月火の二日、連休だった。晴れてたら、せめて曇天だったら、バイクでツーリングに行こうとか、自宅にある篆刻用の石材やら一昨日、茶の間の食器棚の奥から見つかった造幣局の貨幣セット(約十年分)を売り払って現金にしようとか、あるいは耐震診断をしてもらおうとか、いよいよ切羽詰まっている相続の手続きをしようとか、家の数々の不具合を一つでも修理改善しようとか、あれこれ思った…が、思っただけに終わった。

 やったことと云えば、上記した茶の間の食器棚の整理。上段と下段はほぼ帰郷する前からの通りだが、中段は中身を出してそこに主に美術書を集めて収納していた。それは帰郷して間もない頃にやったのだが、中途半端に終わっていた。

 別に集中してやったわけではないが、中に美術書じゃない本や懐かしい写真のミニアルバム(サンバ関連や友人らとの温泉旅行、サラリーマン時代の旅行写真)などが苦し紛れに収められていた。

 そういったものは別にし、書斎(書庫)から美術書を搔き集め、そこに収納。中段の棚には美術書オンリーとなった。但し、収納しきれない美術書は少なからず書庫だし、そもそも展覧会の図録は書斎や書庫に収納したまま。

 眺めてみると、若いころから帰郷する前まで、つまり東京在住時代は地の利もあって、展覧会へは足繫く通ったが、帰郷してからはその機会も疎らになり、この数年は皆無に近い。読書メーターの利用で読書が忙しいのと、以前はワンルームだったのが、今は庭のある一戸建てなので、庭仕事が多忙ということもある。

 それより、昨年当初から隔勤から日勤に変わったことが生活の上で大きな変化になっている。日勤といっても、夜なのだが、週に三日だったのが週に5日は仕事というのは、夜勤務ということもあり、未だに生活のリズムがつかめていない。

 そう、ブログも週に三回ほど纏めて。普段はブログ(パソコン)に向かえない。開けない。

 文章はと云うと、読書メーターでの呟きを寄せ集めているだけ。書き下ろしのエッセイさえ書けない。まして創作が空回りしている。ここらで舵を切り直し体制というか姿勢を立て直さないと、という焦りが募っている。(04/19 10:57)

 但しそれでも、読書は欠かしていないし、その読書もやや乱読風だが、意識の上では創作のヒントに繋がるものを常に探すスタンスは崩していないつもりだ。これをつもりに終わらせないでいけるか、剣ヶ峰にあるのは確かだ。 (04/19 11:02)

 その意味で、いま読み続けているウォルター・アイザックソン著『コード・ブレーカー 下 生命科学革命と人類の未来』(西村美佐子 野中香方子 文藝春秋)は非常に参考になる。 (04/19 11:08)

 

 連休でかなりの時間 居眠り転寝などに費やした。それでも、マリオ・バルガス ジョサ著の『嘘から出たまこと』(現代企画室)やスナウラ・テイラー著の『荷を引く獣たち: 動物の解放と障害者の解放』(洛北出版)などをそれぞれ二日で百頁ずつは読めた。少なすぎるが内容的には充実した読書だった。 (04/19 11:42)

 

 手探りでもいい、ガキの頃の自分を可能な限りありのままに描くこと。自分に向き合う勇気。己の愚かしさをそのままに示す事。保育所時代に既に人生を諦めきっていたのは何ゆえだったのか探求すること。小学生となったころには投げやりの人生という姿勢に陥ったのは、何かがあったからなのか。保育所の二年目だったかに受けた手術の辛い体験? それとも十歳の頃の形成手術の際の手術台で眺め挙げた眩く白い照明? 麻酔が効かなくてついには踵の辺りに刺された注射の痛み? 

 だが、本当に自分を愚か足らしめたのは、その十歳の手術での過剰なまでの咽頭弁の縫合だ。鼻呼吸が全くできなくなった。その身体的障害の深刻さに気付くのは90年代に入ってからとはあまりに遅すぎる。愚かすぎる。しかも、93年94年の下鼻甲介の切除術や鼻の形成手術はピントのずれた手術に終わった。2010年秋の形成手術でようやく咽頭弁の過度の縫合手術の訂正が行われ、ある程度の鼻呼吸が可能になった。訓練したら相当程度の鼻呼吸が可能かもしれないほどに。遅過ぎる! 

 世の多くの方の障害に比べたら、大した障害じゃない。むしろ、自分の場合、鼻呼吸不能の本当の怖さ重大さを自分でも分かっていないままに来てしまったことだ。誰にも相談したことはない。だって自分で自覚していないのだから。周りで(とんでもない鼾などで)気づいてアドバイスを呉れる人も一人もいなかった。親友も親も姉も知らん顔だった。それは彼らの責任じゃなく、大人なんだから自分の責任に決まっている。気付いた時は遅すぎた。人と付き合う難儀さを誰も…自分でさえ分かっていなかった。朝、目覚めた時、一日で一番疲労困憊していて起き上がるのにどれほど難儀するか。自分にとって日中とは夜の睡眠時無呼吸(決して症候群じゃない!)で痛めつけられた体のダメージを少しずつ周りの誰にも気付かれないようにして癒すことに終始していた。その疲労困憊が少しは癒えるのは夜になってからか…だが、その時すでに夜が迫っている。体を鉛のように封殺していく奈落の夜が。 (04/19 11:35)

 

 数日前、「過日蔵から持ち出した父の蔵書の一冊。『国鉄全駅ルーツ大辞典』 (1978年)。国鉄職員だったからなのか、父らしい蔵書。46年前の本。  (04/17 10:06)」と呟いた。

 その呟きに、自分も子供の頃に買ってもらったとのコメントを頂いた。

 そのコメントへのレスとして、「何だか露骨に羨ましい。我輩はこんな(国鉄ファンには)豪奢な本が自宅に……父の書斎にあったことすら気付いてない。父の我輩への愛情の乏しさ……じゃなく、我輩の父への思いの……あるいは周りの人達への関心の薄さのゆえか」と書いた。  (04/18 02:34)