AIの<創造性>が人間を脅かしつつある | 無精庵徒然草

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無聊をかこつ生活に憧れてるので、タイトルが無聊庵にしたい…けど、当面は従前通り「無精庵徒然草」とします。なんでも日記サイトです。08年、富山に帰郷。富山情報が増える…はず。

Rembrant_20210416203901  ← マーカス・デュ・ソートイ/著『レンブラントの身震い』(冨永星/訳 新潮社)「人工知能は、アートや音楽、文学、そして数学などの分野で「創造性」を発揮しつつある。何世紀も前の巨匠たちの作品を学習したAIが「新作」をつくり、数学の証明を代行するようになったいま、機械は私たちを感動させることができるのか?」

 

 自宅籠りの保健所(病院)によるスマホを使っての体調チェック。三日目となる今朝は最後まで答えられた。やればできるじゃない、俺。…………って、人並みに出来たからって自慢にならんか。

 

 マーカス・デュ・ソートイ著の『レンブラントの身震い』を読了した。思わぬ休業となり、読書が進んでいる。
 本書は、上掲にあるように、「人工知能は、アートや音楽、文学、そして数学などの分野で「創造性」を発揮しつつある。何世紀も前の巨匠たちの作品を学習したAIが「新作」をつくり、数学の証明を代行するようになったいま、機械は私たちを感動させることができるのか?」という本。著者は世界的な数学者。その彼が近年のAIに脅威を覚えているという。数学者としての存在をも脅かされているとか。数年前、チェスに続き囲碁もそのチャンピオンがコンピュータ(アルゴリズム)に負けた。今や、音楽でも評論家も舌を巻く作曲が現実のものとなってきた。だが、今のところギリギリ人間が作りだした曲や物語や、あるいは数学でもその証明の過程で、読み手や聴き手の感動という点でAI(アルゴリズム)は敵わないでいる。が、この先もずっとそうなのか、それは定かではない。理系文系を問わず人文万般に造詣(関心)の深い数学者ならではの深甚なる探求の書だった。

 

 今日の天気は妖しい。意地悪。晴れてるからと自転車を駆って不在者投票に出掛けようとすると、ポツポツ。諦め近所で買い物に出掛けたら晴れる。これなら投票会場(市役所)に行けると、改めて準備して外に出たら、ポツポツと。クソッ。
 庭を見て回ったり、燃えるゴミなどを出したり、町内会費を払ったり、洗濯とか。雑用は投票以外はようやく済んだ。今日はもう庭仕事しない。
 2時頃、また晴れ間。クソッ 今度こそ市役所に行く。三度目の正直。風は強め。自転車を漕ぐ足が重い。雨がまたポツポツ来るかもしれない。帽子を被っていきたいが、風で飛ばされそう。降雨なしに賭けて無帽で駆った。
 お腹に溜まったもの排出したり、スーパーやドラッグストアへの買い物。市中へ出掛けるついでに おカネの遣り繰り(← これ大事)。県民会館のフロアー(エントランスホール)の壁際のスタンドに、各地の展覧会のチラシが豊富に。各種一枚ずつ集める。美術展のチラシを集めるのが趣味。千枚以上ファイルしてある。

 

Murasaki  ← 車道沿いの生け垣に一輪のムラサキツユクサ。コンクリートの溝(繋ぎ目)には雑草。むしり取りたいが、そうはいかない。毟しると、隙間から庭の土が零れ落ちる。見映えは悪いが、雑草を敢えて残してある。

 

 バイクでのツーリングで山道を走ると、不意に思いがけず藤の大樹に遭遇することがある。どうしてこんな人知れぬこんな斜面に! 自然に生えた? 誰かが植えた? 不思議。…なんて書き込んだら、山藤であり、蔓は左巻きであり、「山が荒れている証拠だ,と.他の木に巻き付いて日光を遮り枯らすので野生の藤は嫌われ,手入れのされている山では刈り取られるのだそうです.つまり,放棄され,だんだん野原の帰りつつある田に似合う花」などと教えていただいた。
 せっかくなので調べてみたら、「つるは木に巻きついて登り、樹冠に広がる。直射日光の差す場所を好む」とか(「フジ (植物) - Wikipedia」より)。だから、山藤が育つと、木々が荒れてしまうんだ。