「私の赤ちゃん」七尾旅人 祈り願い続けるしかできません、きゃりーぱみゅぱみゅ様。 | きゃりーぱみゅぱみゅ様がスキすぎてキレそう

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とにかくきゃりーぱみゅぱみゅ様が好きなのである。神が与えてくれた希望なのである。
チャーリー・パーカー様と共に、ワタクシの二大恩人なのである。

自分はすっごい難産だったらしい。

父親は、医者に、子供かお母さんが選んでください、と言われたそうだ。

今から思うとそんなこと言う医者居てるのかな? とだれかの脚色かもしれないが一応は信じてる。

父親はまよわず「母親」と答えたらしい。

すごい合理的な判断だな、と思う。

たぶん、自分が言われても同じ判断をしたと思う。

冷酷なようだけど、母親はまた子供を産むチャンスがあるけれど、死んだら終わりである。

よく父親は出産してから父親になるけど、母親はもう妊娠してる時から母親だって言うけど、まさにそんなことを考える。

たぶん赤ちゃんを見てしまった瞬間、選べなくなる、という気はするし。



でも、母親の判断は違った。

だから自分は今ここに存在して、ノーテンキなブログを書き続けることが出来る。



子供だけは助けて。

母親は、今に至るまでずっとそう叫び続けてるみたいな母親だ。

文字通り命を懸けて産んだ分、思い入れも強いのかな、と思ったりもする。

弟も難産で、さすがに命云々のやりとりは無かったようだが、出産はこれで終わり、とお医者さんに言われてた。

一時そんな想いが重たすぎて逃げてたこともあった。



喜びに射抜かれていく
世界の祝福よ ここに
全て集まれ 今夜は
私の赤ちゃん
やってきた

静けさにひたされている
世界の祝福は ここに
きっとこの子は
しゃべるわ
魔法の言葉を

喜びに射抜かれている
世界の祝福よ ここに
全て集まれ 今夜は
私の赤ちゃん
やってきた

どんな怪物も 今夜は
その身を横たえていく

どんな怪物も
怪物も
怪物も
怪物も
怪物も

今に この子は
しゃべるわ
魔法の言葉を

私の赤ちゃん
やってきた

私の赤ちゃん

わたしの赤ちゃん 作詞:七尾旅人



医療技術が発達する前、出産は本当に命懸けだったらしいけど、今も十分に命掛けなんだろうと思う。

女性じゃなくて、男性がこの詩を書いて歌ってるってことがもう凄すぎる。

産まれた瞬間、それは本当に世界中が祝福する瞬間だ。

ここで書かれている怪物という比喩は、それがどんな人であっても出産の瞬間に感じることは同じ、という意味だろうと思う。


けれども、考えてしまう。


もう随分前の歌だけど、ANAK(息子)という杉田二郎さんが歌った歌があった。もともと外国の曲でカバーだけど、日本語の詩はなかにし礼さんが書いてた。

昔この「泣き歌」カテゴリーで取り上げた、THE YELLOW MONKEYさんの「JAM」という曲も同じようなテーマの歌詞が出てくる。

産まれた時はとてもカワイイ赤ちゃんだったのに、という歌だ。

そう思うと、怪物の立ち位置が逆転してこの歌は迫ってくる。

どんな怪物も、産まれた時は赤ちゃんだ、というこれまた冷酷な事実である。


遺伝の法則を信じるなら、たぶん我が家の息子は大丈夫だとは思うけれど、これまたよく言われるように、殺人を犯した人の子供は殺人を犯すのか、ということがあり、先のことはもう解りようがない。

子供が殺される事件が起こるたび、恐怖でたまらなくなる。

子供が殺す事件が起こるたび、恐怖で死にそうになる。

シリアルキラーと呼ばれる異常者の範囲になるとまた違うんだろうけど、そもそもシリアルキラーってなんで産まれるんだろう?

この子は病気で、人を殺す人間に育ちます。そんなことが分る世界が来るのだろうか?

そう言われて、産まれた子供を諦めることが出来る親が存在するのだろうか?


そんな息子をそれでも愛して庇う親が居て、そんな息子を許さず殺す親が居て。

かと思えば、子供を殺されて復讐する親が居て、逆に許す親が居て。



人間が生きる、人間社会の中で生きる、ということの不条理や切なさ、そして同時に素晴らしさを見事に表した歌だな、と思う。

静かに語りかけるこの歌、UAさんも歌ってるらしく、是非そっちも聞いてみたいと思ってる。

七尾旅人さんのバージョンは、とても静かで、とても美しくて、とても重く、とても辛い。


聞くたびにいろんなことを考えてしまう。


曲の最後に、赤ちゃんの笑い声が入ってる。

なにものにもひきかえに出来ることが出来ない、神様からの送りものだ。



聞くたびにいろんなことを想い、いろんな感情が襲ってくる。

けれど、その声を聞いたその瞬間には、いつも、祈らずには居られない。