食物アレルギーのブログです
主に乳アレルギーの小2長男
乳児期は1滴でNGだった為 完全除去
5歳より0.06ml経口免疫療法開始
母のわたしはフルタイムワーママ
こんにちは
もう一発アレルギーからは外れます
私、ブログではありのままを出しているつもりですが、
リアルでは
お友達とかには甘えるタイプではなくてシュールでツッコミ厳しくべたべたできないんです
人見知りとは違いますね。
とっかかり話すのは大丈夫だけど
ダメだなぁと思うと次がいやんなっちゃう
まぁ素直になれないの
正確には過去形かな
子供産んでから?
夫さんと結婚してから?
だんだん緩んできた気がします。
そんな中
お世話になった人への情が強くて
そこはとってもごろにゃんと甘えるというか
お慕い続けたくなっちゃう自分
今回書きたいのは友人知人ではなく
お世話になった人のこと
同僚とか親しい友人でないと
どんなにお慕いしていても
その後連絡とったりできなくて
悲しくはありませんか?
どちらかといえば親になってから
特にそう思うことが多いんですよね。
・もう通うことはないけど定期的に診てもらっておせわになった桶谷式母乳相談室の助産師さんとか
施術されながらお母さんのようにあれこれ育児の相談のってもらって楽しかったので
・1年間通った不妊治療の先生とか
・2度出産した産科の先生方、助産師さんとか
ベッドサイドにくるたびにお話してくれる方が多くて優しかった
・やめちゃった保育園の先生とか
昔って先生と年賀状の年賀状のやりとりしたりしませんでしたっけ?
最近は先生といえどもイチ個人だからそういうのも殆どないですよね
・長男の元担任の先生とか
たぶんまだまだいます。
そういう方々って
好きなときに連絡取れないから
募る思いなのかもしれません。
連絡先を交換してまでやりとりするものでもなく…
本当はそうしたいけど
そしてお相手側の方は
“仕事として”
接してくださっているわけなので
そもそも連絡先をお聞きするのは失礼だし。
こちらの近況報告をしてあげたいだけなのかも。
だけど
存在自体がすっごく心の支えになっているのは間違いない。
心ん中で話しかけちゃうんです
こういう方たちが気軽にいきつけのカフェの店長さんのようにドアをあけたらいて
「久しぶりです♡最近はね」って
話ができたらいいのになぁ
もうお世話になることから
「卒業した」
その時が良い形だったから募っちゃうのかなぁ
その中でも実は
運良く会える(会えた)人が数名いらしてそれが飛び上がるほどうれしい。
お一人めは長男1歳から年長卒園まで診てくださった
発達外来の主治医の先生
長男もともと発達外来に受診するようになった経緯は…
はいはいしない、おすわりしないなど
1歳より前の運動発達の遅れから健診でひっかかり紹介となった。
その後は
歩行が2歳1ヶ月
独歩獲得できたものの
その他の発達面での異常もあるかもしれないからと
就学まで経過観察と言われていた。
そしてちょうど長男が
卒園・入学と同じタイミングで
発達外来の先生がその病院に勤務しなくなることが決まり
堂々と発達外来卒業を言い渡されました。
まだまだ本当にこの子が
グレーでもないといえるのか本当に経過観察が必要ないのか心配はつきませんでした。
しかし
なんと先生
今自分が勤めている病院の
非常勤医師で勤務することになって
職場でばったり
患者母と主治医という関係を引きずりつつ
ありがたく小学校にあがってからの長男の様子もときどき伝えたり
痴話話雑談したりしています
長男の心配がなくても先生とお話しを続けたかったからとっても嬉しい
もうお一人は
長男妊娠中の産科外来の看護師長さん。
私、長男妊娠中は別にも体調を崩していて爆弾かかえていた状態。
精神的に不安定極まりなかった
待望の妊娠だったのに
毎回毎回暗ーい顔で妊婦健診に行き
仕事のストレスでお腹もはりはりで
初めての赤ちゃんに影響ないか更に心配でどんより
そんな私の聞き役になってくれた母のようなお方
長男出産した病院は大きな大学病院だから
産科に用事がなくなってしまったら
気安く他の用事で受診しても
訪ねていって会うことができない
本当はしょっちゅう小児科にお世話になっているのだけど
妊娠中お世話になり
おかげさまで
とても楽しく育児ができている様子をはなしたいな
と思いいつも心の中だけで話しかけていました。
それがある年の入院負荷試験で病棟にあがったら
いらしたんです
小児科病棟に
もーーーのすごくうれしかった
もうお会いできないかと思っていて
本当におかげさまで
幸せなママになれた姿をみてもらえて
とっても嬉しくて。
それからというものの
負荷試験の楽しみは
元産科師長さんに会えることだったりします。
最後にとってもびっくりして感激したのが…
実はずっと書いている
アレルギー通院&出産した大学病院
約20年前
私が20代の頃に月経不順で10年近く
その大学病院の婦人科にかかっていました。
その時の婦人科の主治医の先生
その時から偉い立場の先生でしたが
その後教授になられて。
とてもただの小娘の月経不順をみるようなお立場の先生ではない
妊娠がわかって、婦人科受診していた大学病院で出産することに決めて
妊婦健診での外来でも
やはりお会いできず長男出産のときは残念ながら再会できなかった
それが次男切迫入院中に
教授の総回診があった際
一応入院患者だった私は
ベッド上にいなくてはならず
医師たちと教授先生が
ぞろぞろ各患者のところにくるのを待っていたのです。
他のママたちと一緒に経験したことないあの総回診にそわそわ
私のところに主治医がきて教授先生に
こういう患者ですと説明をして私の顔をみたとたん
「△△さん(旧姓)ですよね?」って
すごいよね
最後に診てもらってから
10年近く経っていて、名字もかわっていて、仮にもすっぴんで。
そして担当する患者様が沢山おられる中
こんな軽症のわたしのことまで覚えていて下さって。
雲の上の存在になられて
ずっとお会いしたかった先生
月経痛辛かったけど通院の最後の頃は
まだ結婚もしていなかったけど
「病院、建て替えるから是非うちに産みにおいで」
とかおっしゃってくれていて
そういう気さくな優しい先生でした
そんなわたし
なかなか結婚も早くなくそして授からず
2人目なんて40歳になっちゃったけど
母になってますよって
お伝えるだけでなく
私のことを覚えておいてくださったのが
一生で一番くらい感激しました
切迫入院での再会なんてちょっと情けなくもあるけど
先生
「今度は晴れて産みに来るときにまた来ます!」
と伝えました。
そして出産時の入院のときの総回診でも教授先生と会えて
無事出産したことを報告できました
あっそういえば次男妊娠でお世話になった
不妊治療のクリニックの先生
これまた20代の頃
腹痛で救急車で救急に運ばれた際
いつもの大学病院に運ばれたんですが
月経不順の既往があることから婦人科に運ばれて…
そのときの
婦人科の当番医の先生だったんですよね。
その後体調が大丈夫かどうか再診したのも
同じくその後の不妊治療の先生で
計2回診ていただいています。
(なんか印象に残る先生だったんで名前も顔も覚えていていたんですよね。
縁があったのかな)
とてもフランクな先生だったことと、
自分が病院職員でちょっと医療従事者に馴れ馴れしいっていうのもあり
始めて不妊治療のクリニックで先生にお会いしたとき
あっ!と思い
「先生に診てもらったことあるんですよ〜」
なんて話から治療が始まりました。
色んな縁がありますよね
















