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ある酒飲みの、たんなるボヤキ

お酒紹介ブログは別に作ったので、こちらは日々思ったことを書くブログにします。お酒と話を絡められるといいなあ

 

補助金申請、情報の回覧、会合出席など様々な仕事が自治会にはあるが、地味に大きな仕事として「草刈り」が存在する。

うちの地域には大小2つの公園(というか広場なのでそこまで広くない)あるのだが、そこ+αを私と一人の班長さんで行っている。

建物周辺の細かいものは月の掃除の時に住民が行っているが、それ以外はだいたい自治会(といっても二名だが)で対処している。

本来草刈りは地域の住民が自分たちのために行うものだが(と、うちの自治会では設定してある)、自治会に区費を払っている住民からすれば、

 

「お金払っているんだからそっちでしてください」

 

というのも、感覚しては理解できる。

実際、会費から業者に発注をかけて除草を行った年もあるようだ。

ただし、草刈りから撤去まで含めておおよそ10万円程度かかるらしく、払えなくはないはないのだが、自分たちで行える分は自分たちでやろうと今年はその班長さんと相談して決まった。

 

この「草刈り」だけでも自治会の性質や現状が垣間見れて面白い。

大きくは以下の二点をよく考えるようになった。

 

・労働力を提供するかお金を出すか

・住民の自主性、継続性

 

 

お金を出すのは簡単なのだが、あえて自分たちで草刈りを行うことで予算を別のことに回すことができる。

しかしこれは現状、例の班長さんの献身的な行いが前提で語られていることであり、私一人で全部やれということになればおそらく業者を使わざるを得ないだろう。

それこそ「現状維持」かどうか、自治会の考え方が現れるところだ。

業者を使うことで役員の負担が減り、その結果役員運営の継続性が上がるのであればそれはそれで大事だと思う。

 

しかしながら、住民の自主性というのは最終的には目標として掲げられるものだし、その土台の醸成として草刈りが行えるようになれば、草刈りそのものを交流の場、イベント化として扱うことが必要じゃないだろうかと思っている。

強制ではなく、緩くつながり、しゃべりながら運動がてら、みんなに感謝されることをするというだけ。

自治会を持続可能なものとして、一つひとつの業務にそうした影の目的を埋め込み、じわ~と参加してもらえるように取り組んでいきたいと考えている。

 

草刈りそのものは、やらないで済むならやらないで済ませたい仕事だろう。

しかし現実にやらなければいけないことなので、どうせやるのであれば楽しく、意味のあるものとして行いたいのである。

 

草刈りしたくない=労働力を提供したくないのであれば資金を提供する。

会費で草刈りを業者に任せると労働力は補填できるかわりに、資金を失ってしまう。

浮いた労働力でなにか別のことを補うか、何もしないのか。

何もしなければ結局はただの現状維持となってしまい、将来、業者コストがあがり会費が縮小(人口減や退会者の増加など)した場合、現状維持できなくなってしまう。

 

逆に自治会役員で草刈りをすべて行った場合、労働力を提供する代わりに会費が浮く。

私個人としては強制できないものを住民に託すよりも、自分や役員で済ませてしまった方が気が楽なのだが、これがすぎると特定の人間の負担が増大してしまうし、そうした献身的な住民がでてきてくれるかどうか、という神頼みになってしまう。

なので浮いた会費を使って住民参加型の何かしらの枠組の構築を行いたい。

 

結局、なにかしらの提供=労働力や資金をおこなわなければ、現状維持はできない。

それらすべてが煩わしいとするならば自治会は滅びるのみ。

そうしたなかでなるく苦痛とされないような、できれば少しでも楽しみと感じてもらえるような取り組みにしたいし、そういうものを醸成できる組織にしたいと思う。

 

抽象的に書いてボカしているが、色々な案をアウトプットして、来年の総会に提出できるように準備はしている。

もし自治会長に立候補する人が現れたらそれらは無駄になるかもしれないが、それはそれ。

可能であれば、ただの草刈りという業務一つからでも色々と発想を展開できる人が立候補して欲しいものである。

 

 

つくずく思うのだが、刈り取った草ってどうにかならないものだろうか。

堆肥的なものを作れる場所でもないし、いっそ草が生えないような仕組みを作ったほうがはやい気がする。

 

がっつり自由に土のある場所を使っていいなら、モヒート用のハーブとか育てたいものなのだが。

 

 

と、申し訳のお酒要素。

 

 

↑のウイスキーを飲んだ店、『ALWAYS Mahalo ハイボールBar』さんにて、この間モヒートをいただいた。(そのときのハーブはイエルバブエナ)

スパイシーで美味しかったので、宮崎の方はよろしければ、ぜひ。

 

 

 

↑バカルディもいいけど、個人的にはこっちだね

 

 

↑このご時世、こういったものも通販で買えちゃう便利さ

 

 

 

 

 

うちの自治会は多分、他自治会に比べたらかなり恵まれている方かもしれない。

今のところ、私に対して主だったクレームは来てないないし、少人数ではありながらも住民の皆様も手助けをしてくれている。

私自身も自治会長としての仕事にある種のやりがいは感じている。

不満があるとすれば、それは自治会そのものや住民に対して、というよりは大きな枠組み、行ってしまえば行政に対して言いたいことはいくつかある。

 

基本、行政は自治会の存続と活性化を望んでいる。

地域コミュニティ課という課があるのだから、地域社会の創造と維持、活性化は彼らの業務線上にあるはずだ。

であるならば、近年叫ばれる人間関係の希薄化を現実として捉え、時代に沿った運営を行うことを自治会のみならず行政も自分事として捉えないといけないと私は思うのである。

自治会を、少なくとも現状維持させたいのであれば、だ。

 

私は、自治会長になった挨拶や役員会では次のことを言っている。

 

「すみませんが、今年一年は現状維持でやらせてもらいます」

 

これは、「私は最低限の労力しか提供しませんよ」、と宣言しているわけではない。

引っ越してきて一年も経たず、自治会の経験をしたことがない私にとっては、現状維持だけでも結構大きな仕事であるということ。

今年度の予算会計や計画などは前年度に作られているため、今年度に就任にした私には大きい行動は経験上、規約上でも行いにくいということ。

今年一年で業務や流れを把握し、来年に備えて活動の道筋を作るということ。

 

要は来年から色々やらせてもらうということだ。

迂闊に色々やりはじめても、必ず誤りや歪みを生じさせる。

 

そもそもの話、さまざまな設定と目標を立てなければ、現状維持自体が不可能だと思っているのだ。

ただ単に書類を提出し、必要な業者発注を行い、役員会や総会を行うだけで現状が維持できるならだいぶ楽だろう。

実際はそうではなく、時の経過とともに社会は変化し、人の思考は変容していく。

住民の高齢化・過疎化が進み、人間関係の希薄化・「個人」への価値の偏重。

より具体的に言えば、自治会加入率の減少がやがて消滅につながるということ。

 

正直、私自身は住民から維持を望まれない組織は消滅してもしょうがないと思っている。

それが自然な流れであるし、そこを変えるには大きな熱量が必要になってくる。

役員を一年ごとの輪番制でやるようになったら、消滅への第一歩のような気がしている。

(もちろんそれで上手くやれている自治会もあると思うし、メリットもないわけではないが)

 

「自治会」の現状を維持しようと思っても社会や人の考えは変わっていくものなので、それに対応した取り組みをしないと現状を維持できなくなってしまうよ、ということ。

役員をだれもやらなくなるし、活動をだれも知らない・知ろうとしないし、ただただ面倒な組織だと思われていくだけ。

 

時折、現状維持どころか地域活性のレベルにまで自治会が地域社会を牽引しているニュースを目にする。

それ自体は大変よろしいことなのだが、基本的にはそれをリードする「スター」か「リーダー」が付随しており、その誕生を願うだけというのはあまりにも神頼みすぎないか、と思う。

そうした才能ある人物でなくても、ある程度の運営が行える人物が出てくる下地を醸成するのが、行政と現自治会の役目の一つではないのだろうか。

少なくとも、私はそういう土台を作りながら運営をやっていきたい。

(来年、自治会長へ立候補する人がいれば話は変わるが、多分それはないだろう)

現状維持よりも少しだけ余分に知恵か力を使わないと、現状は維持できない。

停滞ならまだよく、多分少しずつ、沈下していっている。

前会長が長年運営したうえで、引っ越して一年も経っていない私が新会長に就任するというのは、そうした結果なのだろう。

前任者が良い悪いという話じゃない。

少なくとも「仕事」として行政があり、行政はそこにあり続けるのが現状、約束されているのであれば、彼らも動かなければやがては共に沈んでいく。

 

と、ここで無理やり酒の話にもっていく。

アクセス数などきにしないブログなので適当な文章になって申し訳ないが、そもそも読む人もそんなにいないだろうし完全な自己満足。

 

 

 

お酒界隈の話でいうと、やはりというか、民間は利益を出していかないといけないのでそれこそ現状維持ではやっていけない必死さが伝わってくる。

洋酒でいうと、ジンは長らくスタンダード四天王(と私が勝手に思っている)が君臨しているのだが、実際問題カクテルベースとして長い間使用されている実績があるし、それそのものを飲んでも楽しめるクォリティがある。

ということは低価格帯におけるジンの競争はかなり激しいものがあり、そこに割って入ってくるのは相当な熱量がないと難しいだろう。

大手ウイスキーメーカーであるサントリーとニッカは、それぞれ『六』と『カフェジン』をまずは高価格帯のラインで販売し、やがて低価格帯の『翠』と『ジンスパイア』を世に送りだした。

私個人としては、そのどちらもスタンダードジンに食い込んでいくには難しいと思いはするものの、その挑戦と行動は称賛すべきものだと考えている。

スタンダード四天王はすべて海外産だが、そこに加えてさらに安価なギルビージンやウィルキンソンジンなんかもあるなかで、メジャーとは言い難い酒類であるジンをここまで扱ってくれているのだ。

色々な思惑があるにせよ、ただ作って売るだけでは難しい世の中、私も良いお酒は良いお酒だと伝えられれば、それがやがて自分へのメリットとして帰ってくると信じて情報を発信していくのである。

(気に入ってたお酒の終売は寂しいよ、ほんと)

 

 

 

 

 

 

 

↑スタンダード四天王、他にプリマスとか挙げる人もいるけど、入手性を考えたらこの4強じゃないかしら

 

 

 

 

 

 

私は多分、昭和の人間なのだろう。

時代を感じる商店街を見たとき、昔の特撮番組をみたとき、昔のドラマをみたとき、リアルタイムでは生まれていないにも関わらず、その風景に懐かしみを感じてしまう。

 

特撮番組、いわゆるウルトラマンとか仮面ライダーなど、もちろんヒーローや怪獣・怪人それ自体も好きではあるがフィギュアを買ったりだとかそこまでマニアというわけではない。

どちらかというと、当時の物の造形や風景、役者さんを見るために楽しんでいるのかもしれない。

私程度でマニアなら本当のマニアに失礼というものだし、マニア足り得ない要素が私にあるからだ。

 

偏見もあるだろうが、私は平成以降の特撮ものを毛嫌いしていた。

ヒーロー役は時代とともにチャらくなってるように見えるし、重み(使命だとか想いだとか)が感じられなくなり、ただのヒーロー活劇にしか見えなかったり、「こういう世界観でライダーやったら楽しいんじゃね?」というコンセプト、マイワールドの押し付けであったり、なんかもう「ライダーじゃなくてもよくね?」みたいに見えてしまうことが増えてきてしまった。

 

そんななか、初めて平成初期の作品、「仮面ライダークウガ」と「仮面ライダーアギト」を観たのだが、普通に面白かった。

ヒーローとなること、力と悲しみという宿命を背負う存在。

そのへんがかなり丁寧に描けているし、ライダーの活躍場面以外のシーンにこれまででは見られないような力の入り具合が確かに感じられる。

ある意味で「仮面ライダーでなくても良い作品」であり、そこに仮面ライダーであることで生じる問題点をうまくすりあわせた印象で、良い作品だと思ったわけだ。

これ以降の作品がどうなのか分からないが、時系列で今後も観ていきたい。

 

ちなみに、「アギト」の作中にBarがでてきて「マッカラン」という名前がでてくるシーンがあったのだが、こんな時代でも、いやそんな時代だからなのか、ある種のブランド力が当時にもあったのかな~とふと笑ってしまった。

リアルタイムで見ていないし、お酒が飲める歳じゃなかったので当時私が見てもとうぜんなんの疑問も抱かなかっただろうが、あえて固有名詞である「マッカラン」がでたのはなんか面白い。

(ちなみに放映は24年くらい前)

 

 

↑当然ながら放映当時のものではなく。当時の12年っていくらしたんだろう。

 

ちなみにアニメであるが最近、ガンダム最新作の「ジークアクス」を観ている。

正直……、といった感想しかなく、良いところもあるにはあるが、これこそまさに

「ガンダムじゃなくてよくね?」

といったところ。

うーん、ガンダムのあの世界観に平行世界とかやっちゃうのはまずいんじゃないのかな。

そういう要素が1ミリもなかった初代ガンダムに絡ませちゃってるだけに、イフで済ませておくべきじゃなかったのか。

ただ、懐かしのメカ(リアルタイムでは見てないが)がリデザインされて動いているのは楽しい。

 

結局、昔のだからとか新しいのだからとか、そういうの抜きに楽しめるものを楽しむのが強いのかもしれない。

自分の好きな路線で作品が作られない辛さとかそういうのもあるかもしれないが、結局のところ1視聴者がうんうん唸ってもどうなることでもない。

ただNOを突きつける人があまりにも多い場合は状況が変わるかもしれないが、しかしながらそうなりにくい社会の変遷をみてると、なかなか難しいなと実感するのである。

 

 

宮崎もクラフト系のお酒やクラフトジンに特化したお店が増えてきた。

個々人が好きなことを推していく活動は年々視覚化されてきていると思う。

 

 

↑プレ値だが、売ってるには売ってるんだなあと。

 

 

 

 

 

 

 

自治会話が続いて恐縮である。

何の参考にもならないと思うが、私自身が吐き出したい気持ちがあるのでこの場をお借りする。

 

先日、私は役所に自治会補助金の申請を行ってきた。

その際に前年度実績や決算、今年度の事業案などを添付することになる。

そういった添付資料は今年度の総会資料から転用するので、実際の労力はあまりかからない。

前自治会長と会計によって総会資料はつくられているため、私が数字どうこうの資料を作る必要はなかったためだ。

 

そう、総会資料はあくまでも前の代が作成したので、去年、役員どころか住民ですらなかった私はここに関して全く関与していない

 

そうしていたら役所から項目、数字の不備?を付かれ差し戻しが行われた。

その結果、徹夜明けの私が役所にいくことになった。

正直しんどいが、会長としては行くしかほかない。

 

差し戻しの理由は、収入の部分に謎の数字があったということ。

結果としての通帳の残高は全く問題なく、支出に関しては住民監査を受けているので不正流用しているとかそういう話ではない。

ようはわざわざ書かなくていいことを書いてしまっていることによるダメ出しといったところ。

そしてそのわざわざ書かなくていい数字はどこのどういう意味の数字なのか私には知りようがない。

正直、作成した人物に話を聞いて欲しいところだ。(当然ながら作成した人達に悪意はない)

 

一応、修正箇所を確認し、どうすればいいか方向が定まったあとの話だ。

 

役所「作ってもってきてもらえますか」

 

私「え、えっといつごろ……」

 

役所「明日か、明後日頃に~」

 

キレてはいない。

キレる二歩手前でなんとかとどまった。

しかしさすがに徹夜明けで気が立っていたので気持ちを完全に抑えこむことはできなかった。

 

私「あのですね、私も仕事があるんですよ。こんな調子で時間拘束されてたら無理です」

 

私のキレポイントは、

 

1、平日の日中に当たり前のように来れると思われている言葉

 

2、問題となった箇所は収入部分であり、不正な会計をしてるわけでもないのにダメ出しをくらう。

 

3、住民監査を受けているのに、ここまでまた監査的なことを行うのならば、もういっそ行政が監査やってほしい。

 

4、そもそも前年度で作られた資料のミスで何故私が仕事のスケジュール調整をし、時間を取られなければいけないのか。

(私は関わっていないので、問題に答えたり解決しようがない)

私なりに電話で関係者に聞き取りしたが、対面でないためかかえってくる答えがチグハグで理解が及ばない。

 

一応、自治会長を引き受けた以上はやり通したいと思うし、草刈りを自主的に行い、住民からの要望を聞き取って関係各所に連絡、手配を行ったりしている。

そういう仕事は自治会長の仕事だと思うが、そうではない微妙な部分でわざわざ手間を取らせないでくれというのが本音だ。

ただでさえ個人的な時間をこれまでに捧げているのだから。

 

もちろん、語気を荒げたのは私が悪いのだ。

あちらも仕事としてやっているだけで、形式上はこちらが補助金を頂く立場なので、きちんとしないといけないのは分かる。

 

しかしだ。

こうした呼び出しが起こるのであれば申請処理の簡略化を行わないといけないのではないだろうか?

そしてこれまで不正を何年も行っていた自治会長がいるということをチラホラ聞くことがあるが、そもそも行政がそういうことをチェックしきれていないのに、何を今更そういう形式上だけのチェックを行っているのか?

きちんと行われているのであれば、そうした不正が何年も行えるハズがないじゃないか。

 

大きな話をすると、こうした事務処理の手続きやもろもろの関係性の煩雑さがあるからだれも自治会長をやりたがらないわけだ。

となれば当然、帰結する結論は「やがて自治会は消滅する」になるだろう。

 

みんなやりたくない→じゃあやめよっか

 

もちろんそれを良しとせず、地域住民のために立ち上がる方もいらっしゃるだろう。

しかし自分の時間を犠牲にしながら、それでも他人任せ・他責思考の人間が周囲の大多数になったとき、立ち上がれる人間がどのくらいいるのかと?

そうならないために、道やマニュアルを準備し、事務作業は必要最低限の労力ですませ、自治会の存在意義・価値を高める活動に全力を注げる環境を作らないといけないのじゃないか、と思うのだ。

 

 

日頃めったに怒らない私は、キレそうになったことを後で思い返して後悔するのである。

逆にキレるときは相応の覚悟でキレるのでむしろ後悔しない。

戦わないといけないと思うときは戦うのだが。

 

 

そうした後悔を洗い流してくれるのがBARである。

無理矢理かもしれないがお酒の話に絡めることができて恐縮である。

もちろん一方的に愚痴を話すのはよろしくないので、冗談をはさみつつ、お酒の話を主軸に時間を楽しむのである。

一流の男は、そういう吐き出しもぐっとこらえて、ふところで抱えるのかもしれない。

私はある程度弱い人間だと自覚しているので、こういう場所をありがたいと思ってしまうのである。

 

『ゴードン&マクファイル ディスカバリー トマーティン 2011年』

↑オフィシャルの12年よりも上品な感じ。飲みやすい。オフィシャルも悪くないよ

 

 

↑写真のよりスパイシー。これも美味しい

 

↑個人的には写真のこっちが好みだけど、ボトラーズだけあってちょっとお高い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Barの手伝いバイトをするようになって街で飲む機会が増えた。

それは知識や技術を得るため、というのもなくはないが、やはり単純にBarが好きだから。

宮崎市のオーセンティックバーは大体訪問したと思っているので、最近はワインバーだったりとちょっと親しみがなかったジャンルのBarにも行くようにしている。

 

そうしたBar発掘を行っていると、たまーにだが、身分のよさそうな他のお客さんから話の流れでお酒をごちそうになることがある。

もちろん、奢られるためにBarに行くわけではないし、頻度としては20回に1回あるかないかくらいのもの。

最近は良い値段のテキーラやカルヴァドスをごちそうになったが、テキーラの際は、

 

ーー入店ーー

 

私「初めてですけど、一人、大丈夫ですか?」

マスター「どうぞどうぞ」

私「ありがとうございます」

 

ちょっとした雑談をマスターと交わす。

常連が多そうなBAR故か、新人の私が目に止まったのか話しかけられる。

 

客A「日頃どんなの飲むの?」

私「僕ですか?スピリッツ類というか、ウイスキーとかジンとか、テキーラとかですね」

客A「ああ、じゃああれを一杯飲んでみなよ。マスター、キープしてるあれをだしてあげて」

私「え、ああ、ありがとうございます(なんだろう、ウイスキーかな)

 

 

 

私「(あ、グラン・コラレホじゃん!けっこう高い奴じゃないっけ……)え、いいんですか?すいませんありがとうございます」

 

私が美味しく味わうとする前に、時間なのかその客Aさんはお会計を済ませて立ち去った。

 

ーーーーーー

 

良いグレードのテキーラをキープしたり、可愛い女子でもなんでもない私みたいな男におごって恩着せがましく反応をみるでなく、すっと自身の要件が済めば立ち去る。

いやあ、もちろん稼ぎがあってのことだろうが、そこまでスタイリッシュに振る舞えるようになるには、どれだけの経験の蓄積と質がいるのだろうかとまるで別世界の人間のように感じた。

私がその人の年になっても、おそらくそういうふうには振る舞えないと思う。

 

 

私は基本的に一人で飲みに行くので、奢ったり奢られたりというのはあまり発生しない。

カジュアルな飲み屋でマスターに一杯つけることはあるが、対等な立場(客と客)でのやりとりはほとんどないので、そういう風に振る舞う環境や心理になることがない。

多分ごく一般の人よりはお酒の銘柄を知っている私だが、知識をひけらかして押し付けたりはしたくないし、そもそも嗜好品なのでシンプルに楽しく気を使わずに飲みたいのだ。

 

Barではそんなかんじだが、職場の後輩にはちょっとおせっかいをしてしまうことはある。

お酒をごちそうしてくれた方々は、たぶんそんな感じでさらっとしてくれたのだろう。

その気持ちは嬉しいのだが、ちょっと気恥ずかしくもなる。

まあいつか、自然な流れで誰かにお返しできればいいかと思う。

あと数年すれば、多分、流石にごちそうになることはなくなるだろう。

稼ぎはともかく、私もそちら側にいく段階に来ているはずだから。

良くも悪くも。

 

 

 

 

ボトルが目立ちすぎる、ブランデーっぽい。味わいは美味しい。ちょっと高いけど、1000mlなのでやむなし