こころヲタクの研究室 -2ページ目

こころヲタクの研究室

苦しいのはあなたがオカシイからじゃない!ただメカニズムを知らないだけ

こころヲタクの研究室発足からもうすぐ1年^^
今日は部員のお一人のお悩み相談のシェアです
(部員Aさん、シェアの許可、ありがと~♪)




Aさんのそもそものお悩み相談はこちら
 ・気になる彼ができたけれど…
 ・悪気ないのにパートナーを怒らせてしまう
 ・嫌われる、見捨てられるのが怖い

 


と言う恋愛のお悩み

 




まずね、客観的に見て
部員Aさん、めっちゃ美人さんなんですよ
人当たりもよさそうで、話もしやすい




お別れをたくさん経験して傷ついているのだと思いますが
言い換えれば、それだけ恋多き人生なわけで
恋愛するにあたってのハードルは低いはずなんですよ、どう見ても
今だって、新たな恋に悩んでいる




彼にこんな事言われたけど、どう思ってるのかな~♡
私、あんな事言ちゃったけど、大丈夫だったかな~♡
どうやったらうまくやっていけるかな~♡




相手の気持ちを想像して
ドキドキ、ワクワク、ヤキモキするのが
恋の醍醐味なんでしょうから(ごめん、しったかしたw)
そこを楽しめてたら何の問題もないと思うわけですが
彼がどんなタイプの人で
彼女がどんなタイプの人で
どうやったら彼とうまくやっていけるか?
って具体的なノウハウはありません(笑)
それは私に聞いたらアカンわ(私の恋愛偏差値激低なんでw)




私にとっては
そこははっきり言ってどうでもいいんですよ
好きにやったらよろしいやん~以外何もない(ごめん)





私が気になったのは
怒られないか?嫌われないか?見捨てられないか?
って、彼女が気にしているのが全部
相手が決める事
全て受動的な所
にしかポイントがない
と言う点




そもそも
その彼といて楽しいのか?
彼のどんなとこが好きなのか?
彼とどんな時間を共有したいのか?
そこが見えてこない…




そこに視点が行く前に
嫌われる恐怖不安どーん
がどーんと重くのしかかってがんじ絡め




その状態では、
自分の本当の望みなんてわかるはずもない…




自分が彼とどうありたいかの
ワクワクとした望みが明確でないのに
望みが叶うわけはない
それは間違いない




まず見つめるべきは
『嫌われる恐怖が何なのか?』




『嫌われるのが怖い』と言うのには
いろんな要素がありますが
まずはネガティブ感情の処理の仕方
のワークに取り組んでもらっている最中です




その前に
『嫌われる事について』の過去記事を
かき集めてきたので
まずはそちらをアップしていきますね~

恋愛、パートナー、友人、職場、ママ友etc...
人間関係がうまく行かない

仕事、センス、才能、容姿etc...
なにかしらの能力的な問題

お金の問題

子供や親、兄弟、誰かの心配




私たちを日々苦しませる『悩み』
『悩み』を生み出すのは
ジャッジ基準となる『理想』があるから
と言うお話を以前しました




例えば
ママ友関係うまく立ち回れない自分に悩んでいるなら
・気の利いた会話ができるのがいい
・人の輪に上手に入れるのがいい
・子供の為に苦手な人とでもうまくやるのがいい母親
などなど
↑は私が想像で書いたけど
ここは十人集まれば十通りの『理想の形』があると思います




その『理想』がジャッジ基準となり
そこから外れている事はNG
それができない自分×
それができない環境×
それができないのはあいつのせい

などなど、様々な形の悩みになります




努力と根性の力業で『理想』に近づけることも当然できます
でもそこで得られる快感は一瞬
またすぐに新たな『理想』が出てきて
それを追い求め続ける地獄のデスロード




この無限ループから抜け出すには
根っこになる『理想』を手放すしかない
と言うお話が前回でしたが

 


今日はそのもう一歩先!




努力と根性の力業で『理想』に近づける事で
得られる優越感や達成感
これは『快感』であり『安心』でもある




が、
その土台にあるものを理解しておく必要があります




『理想』に近づけることで得た快感や安心
その土台にあるのは
『その理想の状態が正解』で
『その理想の状態でない状態は不正解』
と言う思い込み
つまり
ただ存在しているだけのありのままの自分ではダメ
と言う根本的な大前提です




理想の状態を手に入れられなくても
理想の状態を根性で手に入れても
どちらも
ただ存在しているだけのありのままの自分ではダメ
と言う思い込みの根拠となり積み重なる




そして、
ただ存在しているだけのありのままの自分ではダメなのだから
存在していい理由となる『理想』を探し続ける
無限ループになるわけです




頭で認識できている『理想の形』
そのジャッジ基準は十人十色



育ってきた環境
関わってきた人たち
時代背景、地域差、タイミング
もともとの性格や持って生まれた資質
いろんな要素があったと思います
(だから十人十色の理想の形がある)




でも、そんな十人十色の理想も
大きく全部全部ひっくるめると
『そのままの自分ではダメ』と言う
根本的な自己否定に行き着く




そのままの自分ではダメだから
○○できるように
○○しないように
努力して、気を使って
欠点を払拭して、欠陥を埋めなければならない




なんのために?




だって、
それがないと
認められないから



それがないと許されないから



それがないと
愛されないから



それがないと
私はここに存在できないから



存在自体への根深い否定




一番欲しいのは
名声でも、お金でも、他人からの愛でもなくて
このままの自分で存在していいと言う安心感
どんな私でも許されると言う無条件の愛




それを与えられるのは...
振り向いてほしかったのは...
認めてほしかったのは...
愛してほしかったのは...



そう、お母さん

 


心理の世界でよく言われる
ラスボス=お母さん




お金とか恋愛とか仕事とか
諸々の悩みで感じる無価値感を
なんとかしようと悩むのは
母親からもらうはずだった存在自体の承認や安心を
他のとこから補おうとしているに過ぎない




つまり
目の前の問題に母親を投影してる
と言うからくり




それは本当にそうだと思います




母親問題と向き合うことで
幼少期から積み上げてきた
思い込みを払拭できたり
ちゃんと愛されていたことを認めることで
事態が好転する人はたくさんいる




それはとても大切なことですし
必要なことだと思います
実際ほぼほぼそれで解決するのだと思います




でも、ずーっとなんかひっかかる違和感




私も二人の女の子の母親でもある
私だって子供はかわいい
自分の命に代えても守りたい存在
けど、私は愚かで弱い生身の人間
(私のおかんだってそう)




存在自体の承認
白も黒もジャッジゼロ、全肯定
絶対の無条件の愛

を私から感じてもらうなんて...
母親が子供たちのラスボスなんて...

ただの一人間には荷が重すぎるのでは?
生身の人間に神になれと言っているような違和感




そんなもの与えられるのが正しい母親なら
子育てなんてできる人一握りにならんか?
少なくとも私は母親にはなってはいけなかったと思う




そんなわけない
そんな結論に至らせるために
いろんな人が母親論を発信してるわけじゃないはず
なにかあるはず、なにかあるはず...
いろんな方の話を聞きまくりました




で、最近ようやく、ある方の配信で
そのもう一歩先にたどり着きました

 

 

 

 

存在自体の承認
白も黒もジャッジゼロ、全肯定
絶対の無条件の愛




これを人は母親に求めるけれど
(人は全員母から生まれてるからね、それは至極当然の流れ)
本当は違った




それを一番与えてほしかったのは
母親ではなくて自分自身




これは宗教を持っている人なら
『神』に当たるのかもしれないし
ハイヤーセルフ? 魂? 源?
配信者によって言葉は変わると思いますが
みんな指しているものは同じで
とにかく自分の中、奥底に幹として存在する
大いなるなにか(結局そんな表現?w)




私が欲しかったのは
私自身の源からの無条件の愛、全肯定




つまり
自分の母親すら、源を投影されていたに過ぎない
と言う考え方




え?母親すら投影されてただけなん?
オカンあんま関係ないや〜んw
と言う衝撃(笑)




私はこれが無償にうれしくて๐·°(৹˃ᗝ˂৹)°·๐

 

 




母親問題に向き合わず、そこから逃げて
親を恨んで、世間を恨んで、自分を蔑んだまま
違う何かで補おうとするのでは
確かに問題は解決しないと思うので
母親問題に向き合うこともとても重要だと思います




でも、それもそこそこやってみて
理想の形ではなかったかもしれないけど
母はちゃんと私を愛してくれていたと
わかっているのに、何かすっきりしない
と言う人はそのもう一歩先
母親に投影していた『自分自身の源』からの愛に
いい加減目を向ける時なのかもしれません




ここまで来れると
母親も含めて、全ての人間に対して
他人の言動にぶれなくなるでしょうし
自分自信の源からの全肯定で満たされるなら
他人からの承認は一切必要なくなる




それって最強過ぎません?
これこそまさに、自分の人生、自分で創るになるやん!
と思いませんか?




存在自体の承認
白も黒もジャッジゼロ、全肯定
絶対の無条件の愛

は、生まれた時からずーっとあなたの中にあった
それを思い出すだけ...

手放しシリーズまだまだ続きます(笑)


 



前回のお話で出てきた、私の中の常識
『人間関係を破綻させるのはよくない事』

『全ての人とうまくやれた方がまあいいよね』
みたいな


○○がよくて、そうじゃないのがダメ

と言う二極の概念




これはふつ~に、当たり前に

信じてきた常識(と思ってるもの)なので

自分の中であまりに当たり前過ぎて

普段具体的に言語化する事はないので
いざ聞かれるとなかなか出てこないものなのだけど...




この概念が根っこに当たり前にあると

○○になりますように不安

▽▽になりませんように不安

と、不安定な結果に振り回されるわけで

不安と恐怖に囚われやすくなります




今の私が絞り出して言語化してみると
例えば...

・全ての人と仲良くするのがよい
・友達多いのがよい
・理由なく一人でいるのはおかしい人

・優しい人が正解

・怖い人はダメ

・人に不愉快な思いをさせるのはダメ

・パートナーシップがうまく行っているのがよい
・離婚は失敗

・失敗はダメ
・人に愛されるのがよい

・体調がいいのがいい

・病気はダメ、不幸なこと

みたいな?
(適当に書いたけど、当たり前・常識レベルの事だから言語化してないだけでめちゃくちゃある)




このAがいい、Aじゃないのダメって
二極の概念にとらわれていると...
 

 

・全ての人と仲良くできると→気分がいい
・友達多いと感じられると→気分がいい
・一人じゃないと感じられると安心する

・人に優しくできた→気分がいい

・怖い自分を封印できた→気分がいい(安心)

・人に不愉快な思いをさないで済んだ→気分がいい(安心)

・パートナーシップがよく見えた→気分がいい

・成功した→気分がいい

・人に愛されてると感じられた→気分がいい

・体調がいい→気分がいい

・病気じゃない→気分がいい(安心)




となると思うのですが

これに囚われ過ぎていると

結果がうまく行ってない時はもちろん苦しいし

結果が思った通りになっていたとしても

気分の良さはひと時のもので

今度はそれを失うことに不安や恐怖がわいて苦しい




不安定な結果に囚われることは

その結果を得られないと当然気分悪いし

その結果を得られたとしても

それはとても脆くて危うい砂の城...



そこに本当の安心はない...




究極の『安心』とは

この二極の概念を超越すること




つまり、

○○になっても

○○にならなくても

▽▽になっても

▽▽にならなくても

私の存在意義は揺るがない

と言うこと




つまり、さっきの例を使うと

 

・人と仲良くできても楽しいし、仲良くできなくてもそんな時もある
・友達?いても楽しいし、いなくても別に~
・一人でいたい時もあるし、人といたい時もある

・優しい瞬間も優しくない瞬間もどっちもあり

・怖いって思われる事もあるかもだけど、毎日そうなわけでもないよね

・人に不愉快な思いをさせることもまああるだろうね

・パートナーシップがうまく行っていっても、いかなくてもあり(てか「うまくいく」って何?)

・成功って何をもって?

・愛されるよりも愛したいマジで(by剛)

・病気になる可能性は誰にでも普通~にあるよね

みたいな?




とは言え

○○の現象が起こってほしいと思っていたのに

それが叶わなかったら...
 

▽▽の現象が起こらないでほしいと思っていたのに

それが起こってしまったら...
 

ぞりゃあ落胆するし、悲しいし、痛い

苦しくなっちゃうのが人間と言うもの




全く感情が動かなくなるのは
相当悟らないと無理だと思うけど




知識として、



具体的・物理的な目の前の物質や現象は

ただの外側
ただその瞬間そうなだけで
我々を苦しめる本質的な核は
そこではない




苦しみの核は
自分が握りしめている二極の概念から来る
ジャッジによる、自分自身の存在の否定





例えると
雨が降ったら濡れて気持ち悪い
小春日和は気持ちいい
雪が降ったら寒い
風が吹いたら気持ちよかった
嵐が来て家が壊れて絶望した
とかね




物理的に身体を持って生きている我々は

いろんな感覚を持ち合わせていて

その瞬間その瞬間それが入れ代わり立ち代わり

流れていっているだけ

そこにいい悪いはない

ただその瞬間そうなだけ

と言うシンプルな感覚だけのはずが




ここに
○○がよくて、そうじゃないのがダメ
○○が幸せで、そうじゃないと不幸

と言う二極の概念からのジャッジが入り込むと
そこから、思考をこねくり回して
存在自体への否定
苦しみの沼にハマると言う
理屈・メカニズム




これが頭でだけでも理解できたら
自分が握りしめている
二極の概念を突き止めて
それを手放すことができたら

世の中はとても軽くシンプルになると
思ってきませんか?




『当たり前でしょ~』
『常識でしょ~』
って感じてる『それ』が
あなたを縛る二極の概念
重い鎖なのかもしれませんよ~

私には破綻させてしまった人間関係が
あちこちにあって
それが家族であったり、職場であったり
今も通っている場所であったりと
それを見ずに日々過ごすのは難しい距離感で

関係がうまくいっていない気持ち悪さを

日々感じて、悩んでいます





どれもパターンは同じで

最初はいい人のフリをして努力していた事


例えば

話を盛り上げようと

無理矢理合わせてみたり

相手を持ち上げてみたり

欲しそうな言葉や行動を与える努力をしたり



相手にされて嫌だった事などは

関係性を壊さないようにもちろん黙って

私、何にも気にしてませんよ〜

と言う振る舞いをしていました





そんなことを続けていると

私の頭の中で勝手に相手をどんどん

悪役モンスターに仕立て上げて

相手に対する怒り、憎しみ、

悔しさや惨めさで悶々とする日々を過ごし





ある時、『自分を守る』と言う名目で

↑に書いた努力をパタっとやめる





今までと全く違う態度に相手は当然、戸惑い

一度はアクションを起こしてきますが

私は一度閉じたシャッターを開けられない


そして、ほどなくして

当然、相手もシャッターを閉じる





複数ある破綻した人間関係は

ほぼ全てこのパターンです





振り返ってみたら

そもそもの『関係性を保つ為の努力』

ここに無理があった事が、破綻の始まり…





『関係性を保つ為の努力』がダメなんじゃない

そんなの多かれ少なかれみんなする事




ただ、私の場合、

ここに嘘が多過ぎるから

『自分』が消えてなくなって行って

正気を保てなくなっていくのだろうな

と思います





嘘をつかないありのままの自分

思った事を素直に話したとしたら

どう思われそうで怖かったのか…

何がバレてしまいそうで怖かったのか…


相手にどんな私に見せたかったのか…

どう思われたかったのか…





嫉妬深くて

計算高くて

損得勘定全開で

イキリで、目立ちたがりで

大した事ないくせに調子乗ってて

浅はかで、醜くて、愚かな私

そんな私がバレるのが怖い





ユニークで、有能で、漢気があって

恨まず、妬まず、みんなに頼られる

けど少しも偉ぶらず、みんなに優しい

そんな人間だと思われたい(ヲイヲイ笑い泣き





結局、

ぜ〜んぶバレて


嫉妬深くて、計算高くて、損得勘定全開で

イキリで、目立ちたがりで、

大した事ないくせに調子乗ってて

浅はかで、醜くて、愚かな私全開になってる始末




同じパターンを繰り返して

悩むのはもうしんどい

いい加減もう手放したい





嫉妬深くて、計算高くて、損得勘定全開で

イキリで、目立ちたがりで、

大した事ないくせに調子乗ってて

浅はかで、醜くて、愚かな私を

もう許してあげたい





そして、そんな

嫉妬深くて、計算高くて、損得勘定全開で

イキリで、目立ちたがりで、

大した事ないくせに調子乗ってて

浅はかで、醜くて、愚かな私のままで

幸せになりたい




ユニークで、有能で、漢気がなきゃ

恨まず、妬まず、みんなに頼られらなきゃ

少しも偉ぶらず、みんなに優しくなきゃ

そうじゃなきゃ愛されない

と言う思い込みを手放したい





まあ、そもそも

人間関係を破綻させてはいけない

全ての人とうまくやらなければならない

ってのが、手放した方がいいと言う説もあり笑い泣き

それはまた第三弾で〜





あ、あと

私の思い通りにならない子供達に

イラっとするのも悩みで

子供に対する

『〇〇しないと幸せな大人になれない』

みたいな思い込みもほんとに手放したい

こちらは第四弾で〜


しかし手放したいもんだらけやな〜笑い泣き





まずは言語化して顕在意識に上げて

手放すイメージを付けたかったので

とりあえず書いてみました





もしよろしければご一緒にどうぞ笑い泣き

あなたは今年、何を手放したいですか?


密かに大好きな叶姉妹の

日めくりカレンダーが届いておりました

image

 

 

 

ほんとにそう

 

 

 

 

ほんとに手放したいものって

手放したくないとしがみついてるもの

 

 

 

 

私は何にしがみついてるのだろう

どんな鎖で自分を縛っているのだろう

って考えてみた

 

 

 

 

 

こうなったら怖い

そうならないようにしなきゃと焦ってるもの

だよな…

 

 

 

 

今なら…

 

 

嫌われる事

性格悪いと思われる事

怖いと思われる事

優しくないと思われる事

器が小さいと思われる事

ケチだと思われる事

 

 

 

そう思われたらどうなるの?

どうなるのが怖いの?

 

 

 

 

みんなに愛想つかされて

世界でひとりぼっちになること

 

 

 

 

ひとりぼっちになりたくない

 

 

 

私がしがみついてるのは

これなんだろうな〜

 

 

 

 

『手放す』

と言うのは

『あきらめる』『降参する』

と言うこと

 

 

 

 

どうせ、私はひとりぼっちだよ!ふん!

ってやってたこともあるけれど、

そのエネルギーだと

それはまだ降参できてない

 

 

 

 

ああ〜

もうひとりぼっちにならない為に頑張らなくていい

ひとりぼっちになることから逃げなくていい

 

 

 

 

それは、とても静かで穏やかで

とても安心できるエネルギーなはず

 

 

 

 

こうやって顕在意識に上がってるのは

氷山の一角で

その下にはもっともっとたくさんの

しがみついてるもの

執着してるもの

があるんだろうな…

 

 

続く…

家族


自分を産み育ててくれた人達
生まれた時から一緒にいた人達
同じ家庭で一緒に育った人達


何もかもがまっさらな状態でこの世にやってきて
『わたし』と言うものを形成していく上で
大きな影響をうける人達



もちろん全ての人がそうではないだろうけど
ほとんどの人は
自分と言うものの土台
無意識に思い込む信念、常識みたいなもの
の形成に
家族との関係性や想いは大きな影響があるでしょう



表面に顕在化している思考だけでなく
無意識レベルで積み重なっているもの



その一つ一つにいい悪いのジャッジはないし
あるべきもの、あってはいけないもの
なんてものもないのはわかっているけど




日々過ごしていく中で起こる心のバグ
囚われる苦しさ
それは何なのか?と言うと
それは

この無意識レベルの思い込み

から来ているわけで




それを積み上げてきた『実家』『家族』

そこへの帰省では
心揺さぶれる気付きを得る事がよくあります




最初は
『私は愛されていない』

『望まれた存在ではない』
と言う思い込み(これは結構はっきりと顕在意識にあったもの)が



そうではない、私はちゃんと愛されている
とひっくり返す事ができて
ヤキモチを焼いて地団駄踏む不貞腐れた子供のような想いから派生した思い込みは
少しずつ手放せている実感がある




でも、まだまだ現実世界ではバグが起こる
(バグに見えているって事なんだけど)



と言う事は

その下には必ずなんらかの『思い込み』がある




その無意識下の思い込みにはなかなか気づけないけど
実家への帰省、そこで心揺れた時
それは、無意識下の思い込みに気付く大チャンス




今年の気づきは
『お父さん、好きになれなくてごめんなさい』
と言う、深い深い罪悪感でした




いや、表面的には何となくあった想いなので
『気付いた』と言うと

少し違うのかもしれないけど

 


その深さが、私が思っていたレベルよりももっともっともっともっともっと深い所から

あった事を強く感じました





自分を産み育ててくれた最大の恩人である親を
好きではない



この罪の意識は
全ての人に対して『嫌い』と思う時にも発動している




嫌い

そこに、
🟰愛していない
🟰その人そのものを全否定

がくっつくからだ




年老いた両親
心穏やかに残りの人生をまっとうしてほしい
安心して幸せな気持ちで
できれば楽しいとか嬉しいとか
そんな瞬間も一つでも多く感じて欲しい

娘である私が

父に一番に愛情を注がれた私が

それを父に一つで多く感じさせてあげなきゃいけないのに




なのに
絶望的に気が合わない
価値観が違い過ぎて会話が成り立たない
全然おもんない
めんどくさい

てか嫌い




いや、合わせる事はできなくないはず
パワープレイでそこに持っていく努力も
過去たくさんしてきた



けど、そんな無理くりの努力はうまくいかない
やっぱり合わないものは合わない




食べ物の好みのように
そこには何のジャッジも必要なくて
ただ単に『違う』と言うだけなのに



頭ではわかっているのに
無意識レベルのところにはしっかりと

愛情を注ぎ大切に守り育ててくれた人を
『その考え方嫌いやわ〜』
って思う事の罪の意識を
私は重ねて生きてきたんだな〜

と言う事に
お腹を下して早朝からこもったトイレの中で気付いて大泣きした





嫌いやわ〜
全然おもんないわ〜
それどうでもええわ〜



育ててくれてありがとう
愛情を注いでくれてありがとう
心穏やかに安心して余生を過ごして欲しい

 

が同時に存在していい





思い返してみたら
私以外の人はみんなそれが当たり前なのだろうなと思う事が多々あった

 

 



うちの旦那さんはお母さんにめちゃくちゃキツい言葉でダメ出しする
平気で文句言うし
過去の恨みつらみを、お母さん含むみんなの前で発表する



けど
頻繁に実家に顔を出して
いろんなお手伝いをしている




弟のあの行動
義妹のあの行動
娘のあの行動
会社の同僚のあの行動




ああ〜そうだよな〜




みんな
嫌いだと思う瞬間

その人そのものを否定する事
は、当たり前だけど、イコールではくて




嫌い(と思う瞬間)

何かを共有したいと言う想い
が、
矛盾する事なく同時並行で存在できているんだ


そこに罪悪感なんていらない





心がまた一つ軽くなった




さあ、そろそろ布団から出て
父のいる居間に行こう




今日も死ぬほど価値観の違う
どうでもいい話をしてくるだろうけど
 

 

 

 

おもんないわ〜

それ、嫌いやわ〜
聞きたくないから逃げよう
 

って思うだろうけど
もう怖くない^ ^




だって、

私はちゃんとお父さんを愛せてるのだから