あらゆる悩みの根源『母親問題』 | こころヲタクの研究室

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私たちを日々苦しませる『悩み』
『悩み』を生み出すのは
ジャッジ基準となる『理想』があるから
と言うお話を以前しました




例えば
ママ友関係うまく立ち回れない自分に悩んでいるなら
・気の利いた会話ができるのがいい
・人の輪に上手に入れるのがいい
・子供の為に苦手な人とでもうまくやるのがいい母親
などなど
↑は私が想像で書いたけど
ここは十人集まれば十通りの『理想の形』があると思います




その『理想』がジャッジ基準となり
そこから外れている事はNG
それができない自分×
それができない環境×
それができないのはあいつのせい

などなど、様々な形の悩みになります




努力と根性の力業で『理想』に近づけることも当然できます
でもそこで得られる快感は一瞬
またすぐに新たな『理想』が出てきて
それを追い求め続ける地獄のデスロード




この無限ループから抜け出すには
根っこになる『理想』を手放すしかない
と言うお話が前回でしたが

 


今日はそのもう一歩先!




努力と根性の力業で『理想』に近づける事で
得られる優越感や達成感
これは『快感』であり『安心』でもある




が、
その土台にあるものを理解しておく必要があります




『理想』に近づけることで得た快感や安心
その土台にあるのは
『その理想の状態が正解』で
『その理想の状態でない状態は不正解』
と言う思い込み
つまり
ただ存在しているだけのありのままの自分ではダメ
と言う根本的な大前提です




理想の状態を手に入れられなくても
理想の状態を根性で手に入れても
どちらも
ただ存在しているだけのありのままの自分ではダメ
と言う思い込みの根拠となり積み重なる




そして、
ただ存在しているだけのありのままの自分ではダメなのだから
存在していい理由となる『理想』を探し続ける
無限ループになるわけです




頭で認識できている『理想の形』
そのジャッジ基準は十人十色



育ってきた環境
関わってきた人たち
時代背景、地域差、タイミング
もともとの性格や持って生まれた資質
いろんな要素があったと思います
(だから十人十色の理想の形がある)




でも、そんな十人十色の理想も
大きく全部全部ひっくるめると
『そのままの自分ではダメ』と言う
根本的な自己否定に行き着く




そのままの自分ではダメだから
○○できるように
○○しないように
努力して、気を使って
欠点を払拭して、欠陥を埋めなければならない




なんのために?




だって、
それがないと
認められないから



それがないと許されないから



それがないと
愛されないから



それがないと
私はここに存在できないから



存在自体への根深い否定




一番欲しいのは
名声でも、お金でも、他人からの愛でもなくて
このままの自分で存在していいと言う安心感
どんな私でも許されると言う無条件の愛




それを与えられるのは...
振り向いてほしかったのは...
認めてほしかったのは...
愛してほしかったのは...



そう、お母さん

 


心理の世界でよく言われる
ラスボス=お母さん




お金とか恋愛とか仕事とか
諸々の悩みで感じる無価値感を
なんとかしようと悩むのは
母親からもらうはずだった存在自体の承認や安心を
他のとこから補おうとしているに過ぎない




つまり
目の前の問題に母親を投影してる
と言うからくり




それは本当にそうだと思います




母親問題と向き合うことで
幼少期から積み上げてきた
思い込みを払拭できたり
ちゃんと愛されていたことを認めることで
事態が好転する人はたくさんいる




それはとても大切なことですし
必要なことだと思います
実際ほぼほぼそれで解決するのだと思います




でも、ずーっとなんかひっかかる違和感




私も二人の女の子の母親でもある
私だって子供はかわいい
自分の命に代えても守りたい存在
けど、私は愚かで弱い生身の人間
(私のおかんだってそう)




存在自体の承認
白も黒もジャッジゼロ、全肯定
絶対の無条件の愛

を私から感じてもらうなんて...
母親が子供たちのラスボスなんて...

ただの一人間には荷が重すぎるのでは?
生身の人間に神になれと言っているような違和感




そんなもの与えられるのが正しい母親なら
子育てなんてできる人一握りにならんか?
少なくとも私は母親にはなってはいけなかったと思う




そんなわけない
そんな結論に至らせるために
いろんな人が母親論を発信してるわけじゃないはず
なにかあるはず、なにかあるはず...
いろんな方の話を聞きまくりました




で、最近ようやく、ある方の配信で
そのもう一歩先にたどり着きました

 

 

 

 

存在自体の承認
白も黒もジャッジゼロ、全肯定
絶対の無条件の愛




これを人は母親に求めるけれど
(人は全員母から生まれてるからね、それは至極当然の流れ)
本当は違った




それを一番与えてほしかったのは
母親ではなくて自分自身




これは宗教を持っている人なら
『神』に当たるのかもしれないし
ハイヤーセルフ? 魂? 源?
配信者によって言葉は変わると思いますが
みんな指しているものは同じで
とにかく自分の中、奥底に幹として存在する
大いなるなにか(結局そんな表現?w)




私が欲しかったのは
私自身の源からの無条件の愛、全肯定




つまり
自分の母親すら、源を投影されていたに過ぎない
と言う考え方




え?母親すら投影されてただけなん?
オカンあんま関係ないや〜んw
と言う衝撃(笑)




私はこれが無償にうれしくて๐·°(৹˃ᗝ˂৹)°·๐

 

 




母親問題に向き合わず、そこから逃げて
親を恨んで、世間を恨んで、自分を蔑んだまま
違う何かで補おうとするのでは
確かに問題は解決しないと思うので
母親問題に向き合うこともとても重要だと思います




でも、それもそこそこやってみて
理想の形ではなかったかもしれないけど
母はちゃんと私を愛してくれていたと
わかっているのに、何かすっきりしない
と言う人はそのもう一歩先
母親に投影していた『自分自身の源』からの愛に
いい加減目を向ける時なのかもしれません




ここまで来れると
母親も含めて、全ての人間に対して
他人の言動にぶれなくなるでしょうし
自分自信の源からの全肯定で満たされるなら
他人からの承認は一切必要なくなる




それって最強過ぎません?
これこそまさに、自分の人生、自分で創るになるやん!
と思いませんか?




存在自体の承認
白も黒もジャッジゼロ、全肯定
絶対の無条件の愛

は、生まれた時からずーっとあなたの中にあった
それを思い出すだけ...