コンサート中の着信音 Звонок на концерте | Москва, Любовь Моя

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ロシア料理研究家、ロシア語通訳
中川亜紀のブログです。

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私もよくモスクワではコンサートやオペラ、バレエ、演劇に行っています。
もともとクラシックは好きで、高校時代から、ごくたまにですが行っていました。

そこで知る限り。日本ではそこそこのコンサートで携帯着信音はありえなかったです。
もう10年も前の話だからでしょうか?
(10年前に東京で暮らし始め、子供が子供が小さいうちは出かけられなかったので、8年間でたった一度のバレエしか行ってないんです)

東京在住のみなさん、いかがですか?
私は、日本のコンサートでは良識的な聴衆が今でもマナーを失っていないと信じたいです。

さて、今日ふと目に留まった記事というのは、
『演奏中の着メロにビオラ奏者が神対応』というトピックスからです。
教会の中と思われるコンサート会場でビオラのソロ奏者が、おそらく曲の終盤の静寂が訪れると思われるその瞬間に、誰かのノキアメロディが鳴り渡ります。
その時、この演奏者がノキアメロディを奏で、場を和ませた、というものです。
これまでも欧州ではこれに近い対応を見せ、話題になったことがありました。
今回も彼の演奏後の穏やかな笑顔と肩をすくめる仕草から、非常に好意的なコメントが寄せられています。

でも、私はこのコメントを見て、しっくり来ないものがありました。
どんなに演奏者の対応が素晴らしかったとしても、コンサート中に携帯を切り忘れ、このようにコンサートを、いえ、演奏者が生涯かけて作り上げている音楽世界をぶちこわすという行為が、演奏者の広い度量で許されて良いのでしょうか?

そう思うようになったのも、私がモスクワで様々な劇場を訪れる中で、ほとんど(多分100%だと思います)携帯着信音が鳴るんです。
時々一緒に行くロシア人の知人も「こんなこと、昔の劇場のモラルではありえなかった。本当にひどい」と言っていました。
演奏会開始時刻になっても着席しない人も多く、そのためか演奏者が壇上に上がるのも15分遅れ。もしかしたら演奏者が遅いから観客も遅いのか?どちらが先か分かりませんが、とにかく時間通りには始まりません。
こういうのは室内オペラなどの小さな劇場の方がまだ厳しくやってます。

特にモスクワでは演劇が歴史的にも大変盛んで、私も大好きなチェーホフとブルガーコフを観に通ってますが、やはり携帯が鳴ります。
モスクワで最も有名と言ってもよいチェーホフ芸術座では、開演前に気の利いたアナウンスが流れます。まずは様々なメーカーの着信音が混じり合った不快な音が響き、携帯の電源を切るように、とお願いするアナウンスです。普通の人なら、例えうっかり忘れていても、ここで必ず切ると思うのです。
それでもです。
私がブルガーコフの『トゥルビン家の人々』(ウクライナにおける白衛軍の運命を描いた作品)を観ていた最中、やはり鳴りました。
主役の女性と、非常に味のある個性派俳優の二人のみが静かに対話する場面。
二人の間には少しぎこちない雰囲気。沈黙。
ここで着信音です。もちろん対話は中断。微妙な沈黙です。

その時、その個性派俳優がとっさに言ったせりふが「Я слушаю Вас」です。
これはいくつかの使い方ができるフレーズです。
例えばお店に入った時「いらっしゃいませ。ご用件は?」「ご注文は?」などというニュアンスです。
また、電話の時にも使えます「なんでしょうか?」みたいな感じで。ちょっとあらたまった感じです。
そして、会話の途中、私がふと言葉が出なくて沈黙してしまった時、よく言われる言葉でもあり、つまり会話の先を促す言葉でもあるようです。
つまり、その俳優さんは、会場に鳴り響いた電話にあたかも自分が出たかのように「はい、なんでしょう?」的な意味と、沈黙してしまった女優さんに「先をどうぞ」と促す意味を込めてこのせりふを言ったと思われます。
私はもちろんこの俳優さんの機転に感服しました。
ところが、このような俳優さんたちの対応はここだけでなく、今やあらゆる劇場で行われていると言うのです。
俳優や演奏家など芸術家の力量というのは、こんなことで発揮されるべきものでしょうか?
彼らの芸術(演技、演奏)は、芸術作品を体現し、聴衆にその素晴らしさを訴えることに全力投入されるべきではないのでしょうか?

彼らのような『粋な』芸術家の機転のきいた対応に甘えて、このような醜態が続く事は許されるべきでないと私は思っています。

一方、先日話題になった、ニューヨークフィルのコンサートでの一幕です。
そう、ここでは指揮者は演奏を中断し、携帯の所持者に近づき、対話までしたのです。
そして観客にもその対応について説明しました。

携帯が鳴った本人も確かにばつが悪くいたたまれないものでしょう。ですが、開演前に携帯を切る、というただそれだけの行為が徹底できないことに対する言い訳なんてあるでしょうか?
私はこの指揮者の対応に拍手を送り、世界的にこのような事態が認められなくなる日を待ちたいと思います。