「怒り」は居心地が悪い。
自分のも、人のも。
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「怒り」に出くわすと、心の中でジャッジした。
また、「怒り」をなだめることに必死になった。
わたしは、幼い頃から周りの大人たちの「怒り」に翻弄され、なだめることばかりやってきた。
親以外でも「怒り」をはらんだ人とばかり出会ってきた。
いつも同じパターンが起こっていた。
そして、人が「怒っている」と見過ごせなかった。
癒そうとしてきた。
「怒り」の下に「悲しみ」「恐れ」「絶望」を隠していることも感じてしまうから、そのことに気づいてもらおうともしてきた。
なんだか「わたしのせいかも」「わたしの仕事」なのもしれないなんて思って、その怒りを引き受けようとしてきた。
そして、結局は、キャパオーバーしてその関係から逃げ出した。
・・・
”怒り”に力を見ていた。
その下にある”恐れ”にも力を見ていた。
これは、自我を、分離を、信じていたということだった。
・・
全ては「気づき」の機会だった。
「あゝそうか、わたしが怒っているし、わたしが嘆いているし、わたしが癇癪だし、それを脅威だと思い込んでいた」
「自我と同一化してた」
「罪がある」と信じていた。
「罪」をどうにかしなきゃってなってた。
罪だから、「怒り」「癇癪」「恐れ」なのだ。
・・・
本当は、愛に溶けるのが怖いだけ。
全体に戻るのが恐いだけ。
怒ることで、愛を排除しようとしている。
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無駄な抵抗。
ただ愛だけがあるのだから。
愛だけがリアル。
どうしたって愛の中。
目を覚そう。
・・
怒りがあっても、癇癪があっても、構わない。
その信念を優しく見てあげるだけ。
そして放っておこう。
生命そのものがある。
それだけがリアルだから。
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~「奇跡講座」「非二元」「禅」の気づきとわかち合い~
違和感だらけの苦しい暗中模索の人生の中で、さまざまな心理や真理の学びを重ね、
「個人」として生きることが”苦しみ”だったのだと氣づきました。
「個人」の夢から覚めた先に、ゆるぎない喜びがあります。
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茂藤かおり
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