「怒り」は居心地が悪い。
自分のも、人のも。
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「怒り」に出くわすと、心の中でジャッジした。
そして、「怒り」をなだめることに必死になった。
わたしは、幼い頃から周りの大人たちの「怒り」に翻弄され、なだめることばかりやってきた。
親以外の人も、「怒り」をはらんだ人とばかり出会った。
いつも同じパターンが起こっていた。
そして、人が「怒っている」と見過ごせなかった。
癒そうとした。
「怒り」によって、「悲しみ」「恐れ」「絶望」を隠していることも感じているから、そのことを認めさせようとした。
そして、それを拒絶されることが多く、挙句には、キャパオーバーして逃げ出した。
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”怒り”に力を見ていた。
その下にある”恐れ”にも力を見ていた。
これは、自我と同一化しているということ。
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全ては「気づき」の機会だった。
「あゝそうか、私が怒っているし、わたしが嘆いている。私が癇癪だ」
「罪があり、罰せられると思い込んでいて怖がっていて、守るためには攻撃しなきゃと思っている」
「”個人”であると信じ込んでいる」
見抜いたらぷしゅっと消えていった。
個人という信念は、「怒り」「癇癪」、「恐れ」のかたまりだ。
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個人とは、「怒り」「癇癪」「恐れ」。
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本当は、愛に溶けるのが怖いだけ。
全体に戻るのが恐いだけ。
怒ることで、愛を排除しようとしている。
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でも、無駄な抵抗。
ただ愛しかない。
愛だけがリアル。
どうしたって愛の中。
目を覚そう。
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怒り、癇癪、恐れから退こう。
そっと優しく見ていよう。
放っておこう。
個人よりも、愛の清々しさとあたたかさの方がリアル。
生命そのものだ。
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~「奇跡講座」「非二元」「禅」の気づきとわかち合い~
違和感だらけの苦しい暗中模索の人生の中で、さまざまな心理や真理の学びを重ね、
「個人」として生きることが”苦しみ”だったのだと氣づきました。
「個人」の夢から覚めた先に、ゆるぎない喜びがあります。
そして、究極の「生きがい」が開かれます。
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茂藤かおり
【Humming】
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