昨日の熊本のオープンカフェでのやり取りを通して、気づいたことをあらためて言葉にしてみます~。


それは、自分は光だと気づく瞬間とは?ということでした。

 

~自分という光~

 

日常には、気づきの機会がちりばめられている。

 

わたしは、日常やセッションの中で直感をそのまま表す。

 

でもほぼ同時に、ほとんど無意識に「相手にわかってほしい」とも望んでしまうことがある。

 

でも、等身大の自分を表わすことと(直感に従うこと)、それを相手にわかってほしいと思うことは、イコールではないと気づかされる。

 

内側にモヤっとが生じることで気づく。

 

・飾らない等身大の自分⇒ ただ自分と相手の光を表すこと。それを相手がどう受け取るかどうかの視点ではなく、自然に湧き出てるところにある視点。

 

・相手ありきの期待⇒ 「わかってほしい」「喜んでほしい」「機嫌よくいてほしい」などの望みは、不確かさや不足という外側への対処であり、これが自我の働き。

 

正直な気持ちや直感に、期待が混ざると、とたんに等身大の自分から遠ざかってしまう。

 

わたしが、セッションで思っていることを素直に口にしたとき、同時に「理解してほしい」と願う一瞬の期待。


「家族が喜ぶと嬉しいから頑張る」「機嫌を損ねないように気をつける」といった、一見ポジティブで優しく見える行為なども、相手の反応への期待が隠れている。

 

良い悪いではなく。


それは、光、すなわち飾る必要のない自分ではない働きと同時に起こる働き。

 

 

~飾らない自分でいるとは〜

 

飾らない等身大の自分のみでいることは、すぐ忘れがち・・。


最初は「意識」や「認識」という余白が必要になる。

 

というか、余白が飾らなさ。

 

余白がないと、わたしたちは無意識に、制限や価値判断、意味づけの中に入り込み、マヒしたままに。

 

その結果、等身大の自分をすっかり忘れ、防衛心のまま何かを演じ、飾った自分を生きてしまう。

 

「これは正しい?」「どう思われる?」とつい外を基準にしたことを自分に問いながらになる。


そしてそれは、もれなく外への期待や要求とセットになっている。

 

本当は、光のままの自分で十分なのに、いつの間にか相手の反応や承認を求めてしまう。

 

日常は常に、自我と背中合わせ。

 

それが悪いわけではなくて、不自然ということ。

 

 

~本当に自分でいるとき~

 

そして、不思議なことに、飾らない自分のみでいると、期待は自然に消えていく。

 

なぜなら、その自分自身に満足するから。

 

日常はその練習、気づき、体験の場。


ただ光のまま、それを感じるままでいて、それをそのまま態度や言葉に映してみる。

 

すると「ああ、わたしはただ自分の、この感覚のままでよかったんだ」と腑に落ちる。


相手がどう思うかは関係なく、ただ光の循環に乗る。

 

その瞬間、会話は軽やかで自由で、純粋な感覚が広がっていく。


そして驚くほど安心し心が満ちていく。

 

何かを得ようとしたり、相手に期待しなくても、また、得ようとしたり、期待しないほど、内側いっぱいに、充実感が訪れる。


「もう何もいらない」という十分さに包まれていく。

 

飾らない等身大の自分でいることにくつろいでいく。

 

あと、これまでの自我の働き、外側への期待も、それを無理矢理消したり、責めたりしなくていい。

 

気づくだけ。


わたしたちは、創造性であり、光の発露であり、静かで豊かな喜びの循環。

 

投影は終わる。

 

思っていたのとは全く違うっっ・・光の循環がそこにある。

 

~光~

 

わたしたちが求めているのは「正しさ」ではなく、飾らない等身大の正直さ。

 

不正直さに気づき、それと同時に正直さに気づいたときに立ち止まり、それを「これはわたしのプロセスで、わたしのそのまんまです」とわかち合えたら、自然で安心できる交流になる。


実際に、それを体験し続けている。


制限や意味づけから離れ、演じるのをやめて、素直なままであること。

 

そこには駆け引きも期待もなく、ただ充分さの循環がある。

 

~十字架が示す象徴~

 

ここで、常々心に浮かんでいる十字架が象徴してるだろうことを書いてみる。

 

横軸は「過去から未来へ」と流れる時間。


それは記憶と解釈に縛られた、自我が主張する時間。

 

一方、縦軸は「永遠の今」を指している。


始まりや終わりという時間がなく、欠けも満ちすぎもない、完全さ、確かさがある。

 

縦軸に在るとは、この「永遠」に自分を開くこと。


過去を修正する必要もなく、未来を支配する必要もない。

 

そして、ただ横軸の働きに気づいてるのみ。


ただそこにストンと身をゆだねる。

 

そのとき、光は隠れることなく溢れ出す。


期待は消え、投影は消え、心は本来の自由さに。


「もう何もいらない」という満ち足りた感覚が、そこにある。

 

飾らない等身大の自分を思い出す。

 

本来のわたしたち。


ただ気づくだけで、光は自然に溢れ出していくのだと思う。

 

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⇒●オープンカフェとは

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●京都 オープンカフェ ワーク会

 

 欠乏前提から、在る前提へ 

 

人と人の間には、知らず知らずのうちに「アイデンティティ(信念・レッテル)」という境界線が引かれています。


それは「足りないから補わなければ」という欠乏の前提に支えられたもの。

 

オープンカフェ・ワーク会では、無意識にまとってきたアイデンティティや思い込みを、この目的を元に集まった安心できる場で共に見つめ直します。

 

境界線がほどけていくとき、すでに与えられている「愛」「静けさ」「喜び」に気づいていきます。

 

「満ちている前提」から人とつながる体験を、京都の一期一会の場でご一緒できたら嬉しいです。

 

・日程

10月25日(土)11時~19時

10月26日(日)10時~17時

10月27日(月)10時~12時(おまけ~2日間のふりかえり)

 

・場所 

 

 

 

・参加費  10,000円 

 

※ 今回の京都もゆきえさんが窓口でいてくださいます→ yukiekujiranami@hotmail.com

 

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●ZOOM ワーク会

 

・日程 9月15日(月・祝) 10時~12時

 

・会話参加の方、どなたでも

・参加費 無料

 

※参加URLは、

ID:  540 951 0958
パスコード:129135

zoomのURL です→ URL:

 

 

●オープンカフェ(熊本)⇒●オープンカフェとは

 

 

〇9月19日(金)9時~12時 ・場所 龍田公民館 茶室

 

・参加費 1,000円

・上記以外でも、ご希望の日程に対応させていただきますで、ご連絡ください。

 

 

●個人セッション ⇒くわしくはこちら

 

「本当の自分」と一致するプロセスのための静かな時間。


問題と思えることはすべて“気づき”の入口です。


問いかけとワークを通して、信念をほどき、全体性に立ち戻るサポートをいたします。

 

 

●実相で読む 本の読み合わせセッション ⇒くわしくはこちら

 

『奇跡講座』やバイロン・ケイティの本をベースに、自我から実相(真我)への気づきを深める時間です。


マンツーマンでもグループでも、安心してご参加いただけます。


 

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各参加費は、振込みか、当日になります。

 

お振込​み先

ゆうちょ銀行

記号 17110

番号 12444391

​モトウ カオリ

 

他銀行からの振り込みの場合

店名 七一八(ナナイチハチ)

店番 718 普通預金

口座番号 1244439

※ その他の振り込み先が良い場合はお手数ですが、お問合せください。

090-1191-5554

kuzira826@yahoo.co.jp

 

 

HP

 

 

 

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★【気づき】のYouTube →●

※ 8月16日、久ぶりにアップしました。

 YouTubeも充実させていきたいけど、ボチボチ・・・そのうちやりたい。

 

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コチラ(hatena blog)では、以前取り組んだ「奇跡講座」のワークブックの記録等を書いてます。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。