自由参加の『ワーク会』の場を、ZOOMにて、毎月、第3月曜の夜8時30分~開きたいと思っています。

 

●初回  7月15日 月曜日 夜8時30分

再開のリクエストや、いろんな意見を元に、”実験的”な開催です。

 

長い説明になりますが、この『ワーク会』の趣旨、目的を、読んでいただけるとうれしいです。

 

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わたしたちの本質である「全体性」に目を覚ますまで、わたしたちは「自我」という分離の夢に留まっています。

 

「自我」との同一化とは、「個人」「身体」が自分なんだという"個体性"という性質ゆえ、「分離」「欠如」「孤立」「恐れ」などの夢見のこと。

 

「自我」の世界では、わかり合うことはありません。

 

それぞれが「孤独」の中にいて、「傷つく」、「傷つける」と信じており、常に警戒、防衛、心を閉ざし、個体に籠り、「全体性に反発し続けながら」、「全体性を求めて泣き叫ぶ」というダブルバインドにはまり込んでいます。

 

こうして「自我」は、「自我」という働きをひたすら実直に全うしているのです。

 

自我の機能は、あらゆる「抵抗(思考)」を駆使して、「平安」そのものの(癒す必要もない)「全体性」を拒絶しています。

 

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わたしが心理セラピーの活動をはじめたとき、最初は、この「自我」に絶望していたからであり、「自我」を癒すためにセラピストになりました。

 

この動機こそが「自我」をリアルにし続けていたわけで、自我の「抵抗」を誘発して心を閉ざすことがないように、「傾聴」に徹したり、「信頼」の育みを薦めることを学んで、それに注力する一方で、これらは単に、わたし自身が「自我」を信じていて、「自我」を恐れているからなんだと自覚していきました。

 

「自我」をリアルだと見てるからこそ、セラピーの際の注意事項がたくさんある。

 

「自我」の癒しが動機だったときは、「自我」の反応や抵抗に出くわすことに恐れを感じていましたし、「自我」の攻防に対応することへのキリのなさを感じていました。

 

セラピストという在り方が根本的に間違っていたのでした。

 

わたし自身、「自我」に同一化したままだったのです。

 

そうして、少しずつ、「自我」を腫れ物を扱うように扱う必要はないんだと見抜かれていきました。

 

セッションは、わたしたちが「無意識」のうちに「自我」に注いでいた意味づけ、偽りのリアルさに気づくこと。

 

そうして「自我」の「なんでもなさ」を共同作業の中で"直視"し合い、気づき合うこと。

 

これだったんだなぁ・・・となりました。

 

悪夢を自覚することには利点があるが、それは単に、悪夢は実在しないということと、その中に含まれるものはどれも無意味だと教えることができるという利点である。癒されていない治療者(ヒーラー)はそれを信じていないので、これを行うことはできない。(奇跡講座 テキスト 第9章 Ⅴ 3:1~2)』

 

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『人がどこに向かって進んでいるかを指摘することは、その人の助けになるかもしれないが、方向を変える手伝いもしない限り、その指摘の意味は失われる。癒されていない治療者(ヒーラー)は、その人のためにそれをすることができない。彼は自分自身のためにもそれができないからである。治療者(ヒーラー)が提供できる唯一の有意義な貢献は、自分のために方向を変えてもらい、もはやいかなる種類の悪夢も信じていない者となった自分を、実例として提示することだけである。その結果、治療者(ヒーラー)の心の中にある光が、質問者に答えることになる。そして質問者は、自分に光が見えるからこそ光は存在するということを、神と共に必ず決断することになる。そして質問者による承認によって、治療者(ヒーラー)は光がそこにあると知る。これが、知覚が究極的に知識へと翻訳される方法である。(奇跡講座 テキスト 第9章 Ⅴ 7:2~7)』

 

治療者(ヒーラー)は癒さない。彼は癒しが起こるままにする。(奇跡講座 テキスト 第9章 Ⅴ 8:1)』

 

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こうして、セラピーを通してや、日常での人との関わりを通し、無意識だった自我の信念と、そこから引き起こされる感情・感覚に、ますます"オープン"になりました。

 

生じる信念、感情、感覚を、抵抗することなく、解釈なしにただ見つめ、それが「静けさ」=「全体性」に落ちるままでいると、それと同時に本来の「光」は自覚されていきました。

 

セラピストとは、"ゆだね人"(霊・神の子)。

 

全ての人が、全ての人の、セラピスト="ゆだね人"なんだと。

 

※"バイロン・ケイティさん"の「 それは本当? 仮に、本当じゃないとするとどんな感じ? 」は最強ツール。= "聖霊"に丸投げとほぼ同じだと感じています。「仮に、本当じゃないとするとどんな感じ?」とは、「自我に乗っからないとどんな感じ?」ということ。

 

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「自我」は、「本当のわたしたち」とは全く関わりのないもの。(全体性の中に生じるように見える、ただ通り過ぎるもの)

 

「自我」の実体のなさが見抜かれると同時に、自動的に正気さが思い出され、平安と一致します。

 

わたしたち全員「全体(神の子)」という認識に至ります。

 

わたしたちが”隠し事”をしなくていいのは、「自我」とは隠すようなものではないからです

 

自我は裁きなしには生き残れず、裁きがなくなれば退けられる。その後は心が進み得る方向はただ一つである。その方向は常に自動的に定まる。なぜなら、心は自らが信奉する思考体系から指示を受けざるを得ないからである。(奇跡講座 テキスト 第4章 Ⅱ 10:3~5)』

 

『知識の中に居る霊は、自我に気づいていない。霊は自我を攻撃しない。ただそのようなものをまったく思い描けないだけである。自我も同様に霊に気づいてはいないが、何か自分よりも偉大なものに自分が拒絶されていると知覚してはいる。(奇跡講座 テキスト 第4章 Ⅱ 8:6~8)』

 

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「霊(神の子)」=「聖性」=「全体性」というわたしたちの本質は、自動的に当たり前に保証されています。(これだけが紛れもない真実)

 

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それでも、日常の中で、「自覚に至れない」「自我をリアルにしている」「自己流の救済計画にぐるぐるはまっている」「今ここに戻れない」。

 

”個人的な機能"は、「分離意識」「被害者意識」「加害者意識」「自我の防衛」という機能だからこそ、「個人的」であるゆえに隠されてきて「傷つく」「傷つけてしまう」と縮こまり、公に出さないことでリアルにしてきた。

そんなとき、「全体性の場」の『ワーク会』にて、咎める必要がないからこそ「自我」をおおらかに、打ち明けわかち合う。

 

咎める必要がないものだからこそ、「自我」に対して気兼ねなく意見を交わし合う。

裁く必要も、咎める必要もない「自我」。

 

「わたしたちは傷つき得ない霊(神の子)」だからこそ、さまざまな形の介入を、了承、任意する。

 

「全体性の場」にて、「自我」を腫れ物扱いにしないで、「自我」の実体のなさと、「全体性」というわたしたちの本質を体験していければと。

解体するものもなかったと気づく、そんな”自我解体”の「場」になればと。

 

「自我」から退いたら、すでに最初からあった「事実(今ここ)」という神の愛の甘受のみ。

どなたかからシェアされたテーマは、参加者みんなのものとして、そのなんでもなさをゆっくりと見つめ、語り合う。

 

毎回、新しい、「一期一会」の会。

 

ぜひ、ご一緒出来たら嬉しいです。

 

どうぞよろしくお願いします。

 

「これまでの瞑想後のシェア会と何か違う?」と言われれば、一緒かもですが、・・・これまでもわたしの中での集いの目的は「自我」のなんでもなさの見抜きの提案でしたが、あらためて、言語化できてスッキリしましたびっくり

 

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『ワーク会』では、ファシリテーターは当番制にしてはどうか?なぁとも思っています。これはまだ未定で、流動的なアイデアです。全体性にゆだねます。

 

時間は2時間程度です。(会の録音はしません。)

また、流れに応じて、「誘導瞑想」して終わることもあるかもしれません。

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『ワーク会』の参加方法

●どなたでも参加できます。→「自我」を”見る”ことを了承しておられる方ならどなたでも。

・ご都合等で、「顔出しなし」でも参加できますが、声やメッセージでの参加を了承しておられる方。

・参加されるときは、下記のURLから直接入られてください。

 

●時間 毎月 第3月曜夜8時30分から、だいたい2時間~くらいです。

 

●場所 オンライン(ZOOM)です。

開催日の20時30分に以下のリンクにて。

 

ID:  540 951 0958
パスコード:129135

zoomのURL です→ URL:

 

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●参加費 無料

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※グーグルのメーリングにてお知らせ(急な日程変更&気づきのコラム等)をお届けしています。

 

よろしければ、登録するアドレスをkuzira826@yahoo.co.jpまでご連絡ください。

※YouTubeチャンネルにて、日々の気づきをピックアップして「公開」しております。

 

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090-1191-5554

kuzira826@yahoo.co.jp

茂藤かおり

 

 

ワークショップを開催します。↓