私たちははじめから怒ってた。
肉体が自分だとすると、それがなくならないようにしないといけないのだから。
「私」という存在は、肉体や、思考や、感情、という、あやふやで不安定なもので、だから、これらの不安定なものを、安定したものにコントロールしなければ、と思い込んでいる。
どうにかしなければ!という感覚をよく観察すると、それは「怒り」が元になっている。
頑張ったり、頑張れないって苦しんだり。
人との関係で格闘したり。
必死になってるし、そうしないといけないと思ってるし、これが人生というものだ!と当たり前に思っている。
これが「無常」という自我の世界。
「無常」は「無常」なので、常に危うくて、移ろいゆくもの。
その移ろいゆくものに、「変わらないでほしい」「思い通りになってほしい」と願い、苦しむ。
これが苦しみ。
そうではなくて、「無常」は「無常」なのだと見抜こう。
「怒り」をそのまま感じる。
感じれば、それはなんでもないものになっていく。
不安定な世界から目が離れる。
錯覚の世界だと気づく。
・・・・・
本当の道が見える。
「なあんだ、何も心配する必要はないんだ」
全体だけがある。
格闘していた人間関係は優しくほどかれ「ひとつ」になる。
スッキリと清々しい真空。
この真空そこがリアル。
”今ここ”という「愛」そのもの。
ここだけが実相。
すべての人、神羅万象の本当の居場所。
・・・・・
~「奇跡講座」「非二元」「禅」の気づきとわかち合い~
違和感だらけの苦しい暗中模索の人生の中で、さまざまな心理や真理の学びを重ね、
「個人」として生きることが”苦しみ”だったのだと氣づきました。
「個人」の夢から覚めた先に、ゆるぎない喜びがあります。
そして、究極の「生きがい」が開かれます
。
●「奇跡講座」「非二元」を経て・・・➡●
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茂藤かおり
【Humming】
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