「怒り」「癇癪」は、自我(特別な個人)の主張の表れ。
表に出てても、隠されていても、それはある。
特別な個人が存在していると思い込んでいるから。
特別な個人の主張が、他者を作り出しそれと格闘する。
自我(特別な個人)とは「怒り」「癇癪」なのだ。
これを、正面から見つめ、まっすぐ認める。
感じ尽くす。
今朝、静けさの中、長かった旅路の帰宅にじんわりしました。
癇癪って夢だった。
それは、『ほんの一瞬の夢』だとコースに述べられてます。
そうだなぁって。
時間って無いなぁって。
ほんの一瞬の夢であったことに安堵します。
感謝が湧きます。
自我の余韻、怒りの余韻はまだここにあるけど。
静けさが見ています。
優しい鎮魂歌を聞かせたいなぁ。
たっぷりと。
背中を優しくとんとんしながら。
・・・
ワークブック。
4巡目にしてしみじみ感じます。
このワークの並び通りに心が動いていっているって。
レッスン300
ほんの一瞬しか世界は存続しない。
・・・・・
この概念は、次のような考え方を表すために使われることもある。
「死と悲しみが、ここにくる者たち皆の確実な運命である。なぜなら、喜びは、所有するどころか、手でつかむことすらできないうちに去りゆくものだからである」。
しかしこれはまた、偽りの知覚に私たちを支配させず、常しえに晴朗な天空をよぎる一片の雲以上の意味をもたせないようにする概念でもある。
そしてこの曇りなく明らかで確かな晴朗さを、私たちは今日探し始める。
今日、私たちはあなたの神聖な世界を探し求めます。
あなたの愛し子である私たちは、少しの間、道に迷っていました。
しかし私たちはあなたの声に耳を傾け、天国と私たちの真のアイデンティティーを取り戻すためには何をすべきかをはっきり学びました。
だから今日、世界が一瞬の間しか存続しないことに感謝します。
私たちはそのわずかな一瞬を超えて、永遠へと進んでいきたいと思います。
(全文)
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人といて、緊張するのではなく、人といて、くつろぐ。
みんなでくつろぐ。
そんなひとときです。
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違和感だらけの苦しい暗中模索の人生の中で、さまざまな心理や真理の学びを重ね、
「個人」として生きることが”苦しみ”だったのだと氣づきました。
「個人」の夢から覚めた先に、ゆるぎない喜びがありました。
そして、究極の「生きがい」が開かれました
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茂藤かおり
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