今朝、ふと、「人のリアクションに左右されちゃう」と感じた。

 

つい、幸せの答え合わせを「外」に求めちゃう。

 

思い通りの反応が欲しい。

 

そうじゃなかったら「ダメ」と解釈する。

 

例えば、今朝、夫との会話で、夫が「エーーっ」と私を否定するような表現を少ししただけで、ちょっと委縮し、自分の何かを訂正しなきゃいけないと瞬時に心を探り始めた・・・。

 

だけど、そんな心の働きに気づいて、「私は何もわかりません」と聖霊という正気さにゆだねた。


動揺をそのまんまお腹の奥の静けさに預けた。

 

そしたら、ほっこりじんわりと極まった。

 

自我が得意としている、「私知ってます」「私はダメです」「私は被害者です」をそっと脇に置いた。


夫はなんの関係もなかった。


彼は彼を生きているだけ。

 

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この世界では、毎瞬間に起きている出来事。

 

人の言動や表情という表面を見て、右往左往する。

 

世間が発信していることに惑わされそうになる。

 

「あぁ、防衛反応なんだ」。

 

「内側」をそっちのけにしている。

 

そんなときこそ、赦しと癒し、訂正の機会。

 

視座のシフトの機会。

 

幸福は揺るがない。

 

不確かさと幸福まがいの「外」を元に答え合わせしなくていい。

 

それはただ上がって⤴は下る⤵を繰り返しているだけ。

 

まだ気になってるなら、その喧噪をじっと感じる。

 

そしたら、静まる。

 

この世界のすべてを、「正気」(聖霊)の目でみる機会にしたい。

 

なによりも幸福な作業だ。

 

表面に起きていることに対して、ポジティブに捉えたりするのは見当違いで、自我を強化してるだけ。

 

そうではなくて、不確かな表面を素通りして、「確かさ」に共鳴する。

 

「全体」に合流する。

 

実相世界で、わたしたちに役目があるとすれば、「創造」そのものを祝福すること。

 

「創造」と共鳴すること。

 

「愛」と共鳴すること。

 

「全体」と共鳴すること。

 

 

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レッスン292

 

すべてのことに、幸せな結果が確実である。

 

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神の約束に例外はない。

そして神は、すべてのものごとの結末は喜びだけだと保証する。

しかし、いつそこに至れるかは、私たち次第である。

それは、私たちがいつまで、異質の意志が神の意志に対抗するかに見えるままにしておくのか、ということである。

その意志が実在すると思っているかぎり、知覚されるすべての問題、目にするあらゆる試練、直面する一切の状況の結末として神が定めた結果を、私たちが見出すことはないだろう。

しかし、その結果は確実である。

神の意志は、天に行われるごとく地にも行われるからである。

私たちは探し、神の意志の通りに、見つけるだろう。

神の意志は、私たちの意志が行われることを保証している。

 

父よ、幸福な結末だけを保証してくださったことに感謝します。

私たちがそれを妨害しないように助けてください。

そして私たちが、知覚できるかぎりの問題や、まだ遭遇せざるをえないと思っている試練のすべてに、あなたの約束通りの幸福な結末がくるのを遅らせずにすみますように。

 

(全文)

 

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~「奇跡講座」「非二元」「禅」の気づきとわかち合い~

 

違和感だらけの苦しい暗中模索の人生の中で、

さまざまな心理や真理の学びを重ね、

「個人」として生きることのパラドックスに氣づきました。

 

「個人」の夢から覚めた先に、ゆるぎない喜びがあります。

そして、究極の「生きがい」が開かれますハート

 

 

●「奇跡講座」「非二元」を経て・・・➡●

 

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茂藤かおり

 

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