物心がついて、私は「肉体」だ!と意識したときから、恐れを抱いて生きてきた。
いつも「死」があった。
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でも、それと同時に、うっすらと、「肉体」じゃないんじゃないか?っていう感覚もあった。
でも、それを確かめる手段がなかった。
そして、この根拠のない確信を証明してくれるものを探していた。
そして、「奇跡講座」に出会い、この感覚に間違いがなかったことに救われ、心底嬉しかった。
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「肉体」じゃないということは、「見えない世界」ということになる。
だけど、この「見えない世界」はさらに厄介。
結局は、「肉体」が元になっている「思考」を元にいろんなもので埋め尽くされている。
肉体前提の「思考」の世界は魑魅魍魎(ちみもうりょう)。
スピリチュアルというくくりの中で、さまざまな妄想が飛び交っている。
霊?仏様?天使?神さま?悪魔?龍神さま?守護霊さま?・・・・。
あれやこれや、「見えない世界」は妄想で満員状態・・・。
「見えない世界」への思想や解釈は人の数だけあり、尽きることはない。
「奇跡講座」に出会わなければ、彷徨い続けていた・。
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私たちは肉体でもなく、思考でもない。
そうなると、お手上げなんだと観念した。
「・・・」、「思考」を退けるだけだった。
「無言・無思考」。
完全に「わかりません」「・・・」とゆだねたときに、無周波である「空(くう)」へと立ち還った。
まさに、「空(くう)」だけがリアルだった。
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この確信に至るまでは、自分自身も、家族や友人も肉体だと見ることで、「恐れ」でつながってきた。
「肉体」に意識を置いている限り、悩みが尽きることはない。
「肉体」の危うさにずっと翻弄され続ける。
また、「思考」は、葛藤を終わらせない。
子どもや親やパートナーへの心配、健康や見た目や老いへの不安も尽きない。
お互いの肉体を元に期待しがんじがらめにする。
お互いの肉体や、「形」の世界に、「幸せ」を見つけようとする。
そして、「肉体」とその「死」に対して防衛の時を費やし続ける。
"「肉体」が死なないように"と考えて生きている間は、心休まることはない。
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「空(くう)」に放り出され包まれたとき、はじめて”生命”の意味が腑に落ちた。
自分も、家族も、友人も、誰も彼も、肉体として関わらなくていいと知り安堵した。
誰のことも、「肉体」へ磔(はりつけ)にしなくていい。
この「形」の世界から自由になっていく。
「肉体」は夢だった。
「形」は有って無いものだった。
崇拝することも、忌み嫌う必要もない。
もちろん、「肉体」じゃないからといってわざわざ傷つける必要もない。
まだ、「肉体」を信じているのなら、無理はしない。
また、いとも簡単に「肉体」の夢に引き戻されることを責めなくていい。
淡々と「気づき」を重ね、そのときのベストにゆだねる。
「肉体」を全体性の表れとして、適宜ケアをしていく。
一度、私たちの本性の「空」にふれはじめると、「肉体」の呪縛が薄れ始める。
「空(くう)」としてくつろぐ。
「肉体」はくつろぐ。
「空」の媒体になる。
愛そのものに。
ここには壊れようのない生命だけがある。
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静かに目を閉じる。
何層にも積み上げてきた「思考」の束である「個人」を脇に置こう。
本来無一物(ほんらいむいちぶつ)。
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~「奇跡講座」「非二元」「禅」の気づきとわかち合い~
違和感だらけの苦しい暗中模索の人生の中で、
さまざまな心理や真理の学びを重ね、
「個人」として生きることのパラドックスに氣づきました。
「個人」の夢から覚めた先に、ゆるぎない喜びがあります。
そして、究極の「生きがい」が開かれます
。
●「奇跡講座」「非二元」を経て・・・➡●
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茂藤かおり
【Humming】
HP➡
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「奇跡講座」の実践・ワークブックレッスン記録を、コチラにて書いております。
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