”癒し””赦し”とは、「起こっていないことを起こっていないと見抜く」こと。

 

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これは、この世界の「多様性」や、バラバラな好き嫌いの趣味趣向や、さまざまな主義や主張に対し、それが受け入れられなくても、無理してでも、我慢してでも、受け入れよう・・・ということではないのです。

 

「自我」は、受け入れられないことを受け入れたふりをして、「自我流救済計画」で留まろうとします。

 

だけど、それは不可能ですもんね。

 

「受け入れたふり」は無理がありますし、苦しいです。

 

そうではなくて、「多様性」に何の問題もないこと。

 

一見バラバラな「思考」は何の力もないこと。

 

それに気づくことを「浄化」だと表現している。

 

浄化とは、思考の働きから離れること。

 

それはまるで、さまざまな形のあちこちに飛び散る波しぶきは、凪て、大海そのものに戻るのと同じ。

 

その”波しぶき”は、どんなに暴れても、大海に戻る。

 

私たちは”波しぶき”の方に気を取られ、そちらに目がいってしまうし、”波しぶき”だけ見ていた。

 

だけど、本当は私たちは”凪いでいる大海”そのもの。

 

凪いだ大海は、光輝き、そのどこまでも揺るぎなくて深淵。

 

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私たちが一番怖いのは、”凪いでいる大海”が自分なんだ、と受け入れること。

 

恐れ多い感じ。

 

まだまだ足りていません、いう不足感、無力さ、卑小さの方がしっくりきていて、逃げ出したい感じ・・・。

 

自分を”波しぶき”と思い込んでいたいし、どんな”波しぶき”がいいかなぁ~とこだわって”波しぶき”に留まっている。

 

そんな”波しぶき”への衝動に気づくだけ。

 

そのまま、表出させておく。

 

そしてそのうち、静けさに消えていく。

 

静けさの中で思い出されていく私たちの本性。

 

凪いだ大海。

 

嵐の日のどんなに荒れ狂う波しぶきであっても、いつも、静寂の大海に戻っていく。

 

”波しぶき”はなくなるのではなく、大海へと戻っていく。

 

大小もなにも関係ない。

 

その確かさそのものへと、「本質」そのもへと、戻っていくのです。

 

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違和感だらけの苦しい暗中模索の人生の中、さまざまな心理や真理の学びを重ね、「個人」として生きることへの矛盾に氣づきました。

 

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