「コース」の理解が深まり、心が静まっていくと、「コース」の癒しのスケールが圧倒的なものだと気づきます。
この「形」の世界と、物質世界の「対処療法」は、全くの見当違いだったということが見えてきます。
夢見の世界は、まやかし、はぐらかしで、夢なのだから、どうもしなくていいのです。
私たちの「意識」の始まりと「分離」の始まりの瞬間へ戻る。
そこだけが、リアル。
そこでのみ、癒しが可能なのでした。
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私の怒りは、自我の特徴そのものだと気づきました。
この誤解が解けるまでは、外に確かさを探します。
「不確かさ」な親をでっち上げ、親に対して、”裏切られた”という不平不満と攻撃を止めません。
※小さい頃、父が恐竜に襲われる夢を覚えていますが、あれは分離の心の現れだったのですね。
「親」から始まり、祖父母、親戚、先生、友達、夫、この世界、肉体・・・・・。
みんなに対して「確か」じゃない!と怒りまくってました。
神のように完璧な「確かさ」はどこにあるの!と、激怒し、嘆き、怖がっていました。
こうして、「外側」を見張り続けていました。
最も忌み嫌い、憎悪していたのは、確かではない”自分”でした。
確かな”自分”になるためにはどうしたらいいのだろう?
女性として、妻として、母親として、先生として、人間として、完璧にならなきゃいけないよね?
正解はなに?
完璧になれる?
どこまで承認されればいい?
常に「思考」し、正しさを模索して、緊張していたのでした。
「確か」でないすべてのものを裁き、憎んでいました。
恐怖、怒り、憎悪がうずまいていました。
そして、せめて確かなふりをしよう、と演じて過ごしていました。(苦笑)
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さまざまな心理の学びを経て、「コース」にたどり着き、全体の構造があらわになりました。
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「コース」は鮮やかに、巨大な、恐怖、怒り、憎悪、悲嘆、をひっくり返してくれました。
受け入れるまで沢山の奇跡の体験がありました。
恐怖、怒り、憎悪、悲嘆、が去った後には確かさだけがありました。
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私たちは、肉体でも、思考でもなく、「スピリット」。
ルール、意味から自由になっていきました。
人に対しても同じで、自分にも人にも完璧さを押し付けて、不平不満だらけでした。
でも、誰ひとり、「完璧」であることを模索しなくてよかった。
そもそも、親も、夫も、子供たちも、日々、出会う人達も、私自身も、「完璧」でした。
全くもって、すべてが「完璧」な「全体」だったのです。
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このblogでは「奇跡講座」「非二元」の実践や、ヒントや気づきを書いてます。
違和感だらけの苦しい暗中模索の人生の中、さまざまな心理や真理の学びを重ね、「個人」として生きることへの矛盾に氣づきました。
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茂藤かおり
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