私は、「親から満足に愛されなかった」という記憶に執着していました。
その思考をリピートしていました。
「私の欲しかった理想の愛され方」に執着していたんです。
親に"神"を期待をしていたんです。
そしてそれが叶わないことに憎悪し悲嘆し続けていました。
「欠乏」が土台の人生でした。
原因が「欠乏」なので、結果も「欠乏」だったのです。
「コース」を学んで、
この欠乏の思考が、自分を「罪人」とでっちあげるための、分離の信念だとわかった時、青天の霹靂でした。
「過去」を土台にしていつまでも拗ねている自分が恥ずかしくなりました。
たくさんセラピーしてきたにも関わらず、ジャッジは止まらず、癒えていない。
それは、セラピーの目的が、「自我」の温存強化の癒しだったから・・・。
どれだけセラピーしても、その目的が「個人」の改善なら、さらに「個人」の特徴である「分離」「欠乏」を強化するのです。
自分は「個人」だと言い張ることで、私は、愛を拒絶していました。
見ていく場所は同じ「内側」です。
ですが、「個人」を保護するのではなく、「個人」がいないことを自覚することなのです。
「個人」のコントロールを手放し、「わからなさ」へとサレンダーするのです。
聖霊にゆだねるとは、事実に戻ること。
そこに”確かさ”がある。
あんなに恋い焦がれた「充足」は、ずっとありました。
「愛」しかなかった。
「愛」が怖くて、逃げて、遠ざけていたんです。
もう、逃げません。
「愛」は自然で、当たり前なことだから。
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自分が赦す人々がどれほど美しく見えるようになるか、あなたに想像できるだろうか。
空想の中では、あなたはこれほど麗しいものを見たことがない。
眠っていても目覚めていても、あなたがここで見るもので、その麗しさに匹敵するものは何もない。
また、これほどまでに、あなたが尊び、大切にするようになるものも他にない。
これまであなたの胸を喜びで躍らせたどんな思い出も、この光景がもたらすことになる幸せのひとかけらさえ与えてくれたことはなかった。
というのも、あなたは神の子を見るようになるからである。
あなたが目にするのは、聖霊が愛してやまない美しさであり、その美しさゆえに聖霊は神に感謝している。
この麗しさは空想ではない。
これは実相世界であり、広々とした青空の下ですべてが光り輝く。
明るくすがすがしい新しい世界である。
ここには何も隠されていない。
すべてが赦されており、真理を隠す空想は一つもないからである。
その世界とこの世界の間に架かる橋は実に小さく、実に楽々と渡れるものなので、それがこれほどに異なる二つの世界が交わる場所だとは、あなたにはとても信じられない。
(テキスト 第17章 赦された世界 Ⅱ 1:1~7 2:1~4)
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