私たちは「純粋な空間」。

穢れていません。

無垢な存在です。

 

これらの声をかき消してきた「過去」の記憶と思考。

 

「分離」の信念が見てきた数々のストーリー。

 

思考が作る「時間軸」。

 

親や周りの大人たちから怒られ責められる。

 

犠牲的な親の生き方に罪悪感を感じている。

 

友達や恋人との関係がうまくいかずに無力さを握りしめる。

 

失敗したり、裏切ったり裏切られたり、傷ついたり傷つけられたり。

 

「分離」を強化し続けるだけのストーリー。

 

・・・

 

私の父はとても”お人よし”だった。

 

そのせいで、人に利用されて苦労している姿を見てきた。

 

これがわたしの信念を強固にしていた。

 

私は”お人よし”であることは、「純粋」さ、だと間違って解釈していた。

 

だから、「純粋」なことは損なこと、報われないこと、だと思い込んでいた。

 

・・・

 

今、お人よし”とは、防衛反応、共依存、犠牲心、分離意識なのだと気づいた。

 

「純粋」「無防備」「無垢」とは真逆だったと。

 

本当に大きな勘違い。

 

父は、私の思い込みのストーリーを演出してくれていたのだ。

 

そして訂正のために現れてくれたのだ。

 

実際父は「純粋」だったのだ。

 

そして、父は傷ついてなどいなかった。


自我の構造が見抜かれていく。

 

私が間違っていた。

 

自分も人も世界も、間違って解釈して、歪曲して見ていた。

 

「個人」「過去」「記憶」「思考」は幻想。

 

これまでの過去の思い込みは、静かに見られ、感じたまま、消えていくままに。

 

そうして、自我は消えていく。

 

”すべての人”が、「純粋」「空」「無垢」だと気づく。

 

「純粋な空間」という確かさだけが実在している。

 

氣づきを与えてくれた父、これまで出会ったすべての人に感謝します。

 

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無垢性とは部分的な特性ではない。

それは全的となるまでは実在しない。

部分的に無垢なるものは時としてかなり愚かになりやすい。

彼らの無垢性は、それが普遍的に適用される一つの観点となるまでは、

叡智にならない。

無垢なる知覚、すなわち真の知覚とは、決して誤って知覚せずに、常に真に見る、という意味である。

さらに簡潔に言えば、存在しないものは見ず、常に、存在するものを見る、ということである。

【奇跡講座 テキスト第3章 Ⅱ 2:1~6】

 

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