まさか、こんな日が来るとは思ってもいませんでした。
両親が離婚して30年弱経っていました。
離婚の経緯は以前コチラに書いています。
父は介護施設に入っており、面会は、いつも私のみでした。
母は、父と離婚後、一緒に住んでいた97歳の祖母が他界して一人暮らしになり、若干、認知症の傾向がみられるようになり、私も会うようにしています。
これまでの気づきで、「親」への認識、投影が晴れはじめ、関わり方はずいぶんと楽になっていましたが、心の奥には、まだ直視していない"信念"があることにも氣づいていました。
ですが、何かしら、感じるたびに、それを受け入れ、訂正がなされていってます。
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私は、父と母が誰なのか?を本当には見ていませんでした。
私は、何も見ていませんでした。
本当の姿を見ていませんでした。
過去を見ることは、何も見ていないことでした。
真の姿を見たいです。
私も、父も、母も、みんな、"無罪”です。
無罪性だけを見たいです。
誰のことも、罪悪の虜にし、「身体」であると見ません。
父と私はひとつ。
母と私はひとつ。
私は私を通して、全体そのものです。
全て、聖なる存在です。
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そんな心が思い出され、軽く、気楽になっていきました。
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目の前の父、目の前の母に対して、"親"という「役割」を通さず、「過去」の思い出を張りつける必要もなくなり、私自身も「子」という役割は必要なくて、ただ同じ"「光」として在る。
この気づきによって、とても気楽に関われるようになっていきました。
以前とは比べ物にならないほど、気持ちが軽くなっていきました。
「親子」という役割から離れ、「対等」に関われる様になっていたのです。
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そんなある日、突然、母が「私もお父さんに会いにいく」と言いました。
これまでの母なら、ありえない言葉でした。
この機を逃すまいと嬉しくなって連れていきました。
コロナで短時間の面会ですが、2人のご対面・・・・・・・。
父 「・・・・・・・・・・・・(信じられない様子)」
「あなたは誰ですか・・・・?」
母「お父さん、私よ。よかった、会えて!」
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父は突然の、余りにも信じられない訪問者に、動揺して、受け入れられない様子でした。
父の方は母が嫌いで別れた訳ではなく、当時の家の問題、嫁姑関係などが大きな原因で、母が離れていったのです。
父は母に未練がありました。
母との別れで、自尊心も希望も失せた人生を過ごしていました。
これまで、私は常に父から母に対する愛憎の気持ちを聞かされていました。
なので、ずっと、わたし自身、両親に対して複雑で辛くて苦しい気持ちを抱えていました。
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そして、
とうとう父は、目の前の元妻を認めました。
父「〇〇さん(母の名前)かい・・・、なんか、良い顔になったね」
「僕は、ダメで不甲斐ない夫だったね、申し訳ないことしたね・・・」
母「お父さん、よかった!わかったね!私よ」
「これから、いつも、会いにくるけんね」
父「そしたら、また、結婚せなんね」
笑笑
涙涙
笑笑
母「かおり、ありがとう、お父さんをこれまで見てくれて」
父「いつも、ありがとう」
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父は歩行が困難な身体。
母は少し認知症があり、、、。
そんな高齢の両親の和解。
こんな事が起こるなんて、全く想像もしていませんでした。
それは、恋愛映画のワンシーンなんか遥かに凌駕するほど、私の心に感動と感謝、神の子の確信をもたらしてくれました。
圧倒的にあたたかくて祝福で満たされ溢れていました。
父、母、の神聖性だけがありました。
本当に、「形」は関係なかった。
ただただ、"心はひとつ"、という体験がありました。
バラバラ散り散りに飛び散っていたモノがゆっくりと調和していくのを感じました。
こんなあたたかさを味わう日がくるとは思いませんでした。
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「私はこれまで何が本当の幸せなのか知りませんでした。
これまでの自我の主張はすべて恐怖心からの防衛でした。
真の世界にいます。全体にゆだねたままでいます。」
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こんなふうに、ノープランで、日々、新しい。
奇跡を目撃し続ける。
今回、私にとって、とてもわかりやすい方法で現実がシフトしました。
本当にありがたいです。
誰のことも裁く必要がない。
真の解放感が嬉しいです。
本当の自由が嬉しいです。
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【あなたは現在を判断するための参考基準として、過去の経験を使うことが「自然」なことだと考えている。
しかし、それは妄想的であるから、不自然なことである。
誰かの過去であれ、あなた自身の過去であれ、あなたが知覚する通りの過去をまったく引き合いに出さずにすべての人を眺めることを学んだとき、あなたは、今、自分が見ていることから学べるようになる。(テキスト 第13章 Ⅵ 2:1-3)】
【あなたは兄弟の無罪性を裁くのと同じように自分の無罪性を裁き、
兄弟の無罪性を受け入れるのと同じように自分の無罪性を受け入れることになる。
(テキスト 第9章 Ⅵ 4:9)】