前回の自分のリーディングの様子。
これまでの自分の体験を整理したいのと、そのストーリーに終止符を打ち、”目覚める”ために。
これまでの体験があったからこそ、叡智に心を開く方向へと導かれた。
これまでの体験が、「心」に向き合わせてくれた。
背負えない、目をそらしたい、逃げたい、と放棄した時期も含めて、今は、全て、ありがたい奇跡だったと気づく。
私の軸を育てるはずの幼少期から青年期まで、機能不全な環境で過ごした。
私の土台はガタガタ、ぐにゃぐにゃ、すかすか。
土台がガタガタだということはエネルギー、生命力も無いし、つくろうにも生み出す力がない状態。
誰かに依存するしかなかったけど、だからこそ共依存になってしまう。
共依存とは欠乏の信念を持ったもの同士が、お互いのエネルギーを奪い合う関係だから、いっこうにお互い満たされない。
どっちかにエネルギーを取られ、またそれを奪い返す。
で、力がなくなるからまたゲームを仕掛けて、相手からエネルギーを奪う。
グルグルと欠乏感のスパイラル。
共依存は身体も心もむしばんでいく。
そんな「罪悪感」のストーリーの中にどっふり浸っていた。
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私の母は、母の話から、幼少からも、結婚してからもあまり幸せそうではなかった。
そしてよく私に嘆いていたことは、両親が結婚して4年目くらいの時、せっかく建てた家を次男夫婦に譲らないといけなくなったこと。
私の父の弟の叔父さん夫婦が、事業の失敗か何かで実家に頼る事になった。
祖父は、「長男が建てた家に次男が住まわせろ。長男は実家に戻れ。」となった。
家を建てたお金は長男の父と母が払いつづけたまんまいうことだった・・・。
(お金の恨みは凄まじいです。この事で、母の怒りと悲しみと恨みを持ち続けていました。)
私たち家族は、祖父母のいる古くてボロい実家に移った。
私も小さいながらに、なぜ、新しい家に帰れなくなったのか理解できなかった。
小学1年のころも学校帰りに、今まで住んでいた新しい家を素通りして、そこから歩いて15分くらい先にある古い祖父の家に帰らないといけない。(小学、中学、いつも前の家を通るたび、いつこの家にもどれるのかな~と切なかった。)
古い実家は、ふすまで仕切られた昔の造りで、自分の部屋は無いし、隙間がいっぱいある。
最悪なのは、前々回書いたように、戦争体験者の祖父のこと。
今なら、なんらかの病名がつくと思いますが、妄想癖やパニックで定期的に暴れていた。
いつも母が標的で、怒鳴られていました。
そして、実家だから盆暮れ正月は親戚一同集まってくる。
その気遣いにもヘトヘトな母。
近くの小姑も、毎回顔出しては、ある事ない事いろいろ告げ口され、母は追いつめられていた。
挙げればきりがないほど、問題が絶えなかった。
機嫌の良い母を見たこと感じたことがない。
私も弟も、母から激しく叩かれたり、「あんた達(私と弟)を生まなければよかった、そしたら離婚できるのに!」と怒鳴られた。
そして、母は何度も家を出て実家に逃げ帰っていた。
長男である父は、親と母の間で葛藤し、そして結局どうにもならずに問題を放置していた。
なんどか、私たち家族4人で家を出ようとするが、最終的に長男の父は祖父の方を選び、母を説き伏せるのみ。
そして、父も49歳の時、くも膜下出血で倒れ身体に障害が残ってしまう。
その後、顔面神経痛で顔が歪んだ母、とうとう離婚を決意し家を出た。
父も、母の苦しみを知っていたので、承諾した。
だけど、父は、その寂しさと依存の矛先を「私」に向けた。
父は淋しさを埋めるようにお金を散財するようになり、私はその度父のお金の工面をしなければならなくなった。
また、父は定期的に私に母の様子を伺う。
その精神的なフォローもしなければならなかった。
母は母で、今度は自分の母(祖母)との終わっていなかった親子関係の傷と葛藤が噴き出していた。
いつも父と母は苦しんでいた。
そんな父母を見たり感じたりするのが死ぬほど辛かった。
幼い頃からずっと父母の機嫌を見張っていたのだ。
親に頼るような気持ちは幼い頃から持つことがなかった。
ただただ幸せになってほしかった。
そして、苦しかった。
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私は心理学や真理をひも解くようになり、「苦しみ」と「平安」をあらゆる角度から研究した。
もう、それはそれは、研究した。
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「平安」は心の中にずっとあった。
馴染み深かったイエスキリストの言葉の中にもあったし、仏陀の言葉の中にもあったし、神道の祝詞の中にもあった。
神羅万象の中に、人と人の出会いの中に、「平安」はあったのだった。
至る所にあった。
ただ、それを観ていなかった。
深い夢の中にいた。
自我の夢の中にいた。
これまで出会った大人達も、見つけたかったんだと感じた。
見つけられなかったからこそ、それを次の世代に渡せなかった。
それだけなのだ。
シンプル過ぎるがゆえ、みんな素通りする。
だけど、ひとたびこの叡智に気づけば、真実へとシフトする。
私が信じている世界が目の前にあっただけ。
夢見の世界。
それを体験していただけ。
「罪悪と罪」
ここは私の住まいではなかったんだ。
氣づくまでは、その世界しか知らない。
本当は、住まいは「心」にある。
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「過去」の記事への、気づきの追記・・・(R6.5.27)
『どこまでも、自分が信じていることを体験してきたんだなぁということ。
信念を取り下げたら、実相に満ちていました。
"問題"だと思っていたことは、勘違いでした。
そして、そもそも、ただただ満たされていました。
「過去」のできごとがゆるみ、なんでもないもの、そして祝福へと変わるとき、
自我という時間軸は全体へと統合されます。』
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