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世界経済での製造業の位置づけ

金融経済がグローバル社会の中心となりつつある現代、製造業の経済効果とは。

私たちは、年金を考える場合、とかく金額だけで考える。とくに外国との比較のさい、各国の年金額だけで比較する。そういう比較をすると、日本の年金額はかなり高い。しかし、日本の社会は老人が安い年金で暮らせるようにはできていない。老人にたいする社会資本の投下も少ないし、物価、とくに基本的な食料品などが高い。日本の年金は平均二〇万円以上だが、デンマークでは夫婦ひと組当たり月一〇万円だ。しかし、デンマークの一〇万円のほうが、日本の二〇万円より生活をしやすいという人が、北欧に住んだ経験を持つ人のなかには多い。これは非常に重要な点ではないだろうか。


日本には高齢者に向けた公共投資が少ないうえ、他に利用できる福祉の施策にも限界がある。また、日本の都市は老人には住みにくい都市になっている。それは段差が多いといった問題だけではない。日本の高齢化対策は、年金を出して医療を提供するというだけで終わっており、少なくとも老人が生活しやすい都市づくり、町づくりといった発想は少ない。日本の行政は総合的に考えるということが少ない。たとえば、少子化の社会というと、女性にこどもを産んでもらうという発想しかない。そこで児童手当をふやせばいいのでぱないかという考え方がでてくる。


しかし、先進国で問題となっている少子というのは、児童手当を上げれば、こどもを産む女性がふえるといった単純なことではない。女性のほうからみると、こどもを産んで育てるというのは、とても厄介なことであり、自分の仕事にも差し支えるし、決して楽しいだけのものではないという考え方が主流になりつつある。だから、女性がこどもを産んでもいいと思うような社会環境をつくる以外にうまい方法はない。そういう環境はそうかんたんにできるものでもない。


東京には東大系の病院と慶応系の病院がある。つまり、医学部の学閥が強くて、それぞれの病院が、東大系か慶応系の医師によって固められている場合が多い。もともとは存在しているものという意味で、学閥を意味するようになった。これは何も東大と慶応だけの問題ではなく、全国いたるところにこの学閥は存在している。

カザフスタンでは、カザフ人の哲人であるアバイの生誕一五〇年祭(一九九五年)、キルギスでは、英雄叙事詩である『マナス』の1000年祭(一九九五年)が大規模に行われ、民族的伝統がそれぞれ誇示された。ウズベキスタンでは、ブハラおよびヒヴア建都二五〇〇年祭(一九九七年)も行われている。各都市の大通りの名前も、従来のロシアーソビエト的名称から各民族の英雄や哲人、民族的故事にちなんだ名前に変わっている。五力国の言語政策でも、ロシア語離れ、ナショナリズムの機運が高まっている。各国では基幹民族以外に他の中央アジアの諸民族やロシア語系市民(ロシア人、ウクライナ人、ドイツ人など)も居住しているが、それぞれ基幹民族の言語を唯一の国家語と定めている。


チュルク語系のウズベク語、カザフ語、キルギス語、トルクメン語とペルシャ語系のタジク語である。公務員の文書作成は国家語によるものとされ、学校、大学でも国家語による授業が増大している。これまでの公用語だったロシア語は、カザフスタン、キルギス、タジキスタンでは相対的に地位が低い民族間交流語(第二公用語)とされている。ロシア語は事実上の行政言語となっているものの、カザフスタン、キルギスなどの憲法では、大統領候補は国家語を読み書きできる者、という規定がある。大統領を主要民族に限定する狙いであるが、国家語を基本的に習得していないロシア語系市民は高級官僚や行政機関から排除される傾向も強まっている。


カザフスタンでは、九一年の独立時に全国民の五〇%近くを占めていたロシア語系市民は現在、三〇%前後になるなどヽロシア語系市民の流出がつづいているっただヽバルト三カ国とは違いヽ国家語の取得が市民権の条件になっているわけではない。国家語となった各国の言語の表記文字も、ウズベキスタン、トルクメニスタンでは、従来のロシア語と同じキリル文字からラテン文字に切り替えられた。カザフスタンでも数年内にカザフ語をラテン文字に変える計画である。各国の言語の文字は一九二八年まで改良アラビア文字が使われ、二八年から四〇年まではラテン文字になり、四〇年からはキリル文字だった。ソ連の言語政策に翻弄されてきたのだが、今日、各国の独自の言語政策が前面に出ているのである。


こうしたロシア語離れと国家語使用は、各国の主要民族のアイデンティティを育成しているだけでなく、ナショナリズムの台頭を促すものになっている。ロシアが自国主導のCIS(独立国家共同体)やその集団安全保障条約機構などによって、中央アジア各国をロシアの勢力圏に組み込もうとしているのは、周知のことだ。だが、各国のナショナリズムの台頭は、ロシアに対して友好的な国を含めてそうした支配・従属の関係を昔日のものにしている。中央アジア各国は国によって高低の差はあれ、イスラム復興の波に洗われている。それは、まず第一に人々の日常生活のなかにイスラムが回帰してきたことであり、二つ目にはウズベキスタン、タジキスタンを中心とする政治化したイスラム過激派勢力の台頭である。


この地のイスラムはソ連時代には、他の宗教と同じように迫害されながら、公認されたイスラム指導者のもとで形式的なものとして、あるいは社会的な儀礼や習俗として辛うじて命脈を保ってきた。それが、各国の独立前後から、社会の再イスラム化かすすみ、世界的な現代イスラム再興の大潮流に巻き込まれていったのである。かつてはイスラム地帯だった各地で、ソ連時代に閉鎖あるいは倉庫などに転用されていたモスク、マドラサ(イスラム学院)の再開や修復、そして新たな建設が相次いだ。子どもたちのためのイスラム学校の開設、メッカ巡礼者の大幅な増加、コ上フンなど基本文献の翻訳と流布などが急進展した。日常生活では、ラマダーン(断食月)、一日五回のお祈りも復活した。

実は退職強要するような会社は、決して業績が悪いところだけじゃない。むしろ、好成績のところが業績を伸ばすためにやったりするんですよ。彼らが考えてるのは、どれだけコストを払わずに売上を上げるか、配当にその分を回せるか、なんですよね。こういう手法って、企業にとって見れば、極めて合理的じやないですか。街には失業者が溢れ出るんですけど、結局、企業の利益ということだけ考えたら合理的なんですよね。そういう社会的に見ればひどいんだけど、企業から見て合理的な人材管理の仕組みを、パッケージング、アウトソースしている会社というのが、どうもあるみたいなんですね。それを今、僕らも調べたいなと思っているんです。


そういう人材管理の仕組みというのを、自社でやったノウハウとして提供したり、実際にそこの企業の人事労務担当者が顧客の会社に行って、そこで労務管理をやったりだとかしてる会社があるみたいなんです。そこは僕らも全貌が見えてないところなんですけどね。昔は、教えることは投資だったんですよ。最初は損だけど、将来的に元を取れればいいよ、みたいな。でも今は、教えることがただのコストになっちゃうんですよね。だから、発想自体がたぶん根本的に昔とは変わってるんだと思います。


昔から、部下をいじめて、退職に追い込んでしまうような上司はたくさんいただろう。むしろ、パワーハラスメントという概念が浸透し、バワハラはよくないことという認知が広がってからはそういう上司は減少しているように思うし、許されない風潮もきちんとできてきた。しかし今、そういう厄介な上司による個人的な行為ではなく、組織的に、利益を上げるための経営手法として、社員を社内失業に追い込み、退職強要する手法が広まっているのだ。そういった退職強要の被害者に「仕事は自分で探すもの」「前向きに頑張れ」なんて言えるだろうか。彼らはむしろ被害者だ。あなたは、被害者の傷に塩を塗るようなことをしていないだろうか。


主に若手社員教育の不備という観点から、社内失業発生の原因を明らかにした。中堅社員が会社から去り、新卒教育のノウハウが社内から失われた。また、新卒にさえ即戦力が求められるようになり、企業の教育が疎かになっていた。職場も変化し、業務のIT化などにより職場コミュニケーションの機会が減り、上司と部下とのつながりが希薄になっていった。そこを襲ったリーマンーショックによって、若手社員が大量に余ってしまった。仕事のない若手の教育を、企業は現場に、現場は本人に押し付け、結果として若手を放置することになった。仕事を適切に与えることができず、こうして社内失業者が生まれていった。


日本国内の仕事量そのものが減少していく中で、職場の仕組みや構造が現状に対応できず、業務をうまく若手に割り振れない現状を見ていく。また、事なかれ主義が新しい仕事の創出を阻み、仕事を作り出すことさえできない。そんな状況について解説していきたい。実は、日本経済が高いプラス成長を維持できていた時期は、職場に多少、教育の不備など社内失業者を生み出しやすい構造があったとしても、これらの問題は顕在化しにくかった。なぜなら、会社が成長を続け売上が増えていけば、基本的には仕事の量も増え続けていくからだ。前出の図の雇用保蔵数の推移を再度参照してみると、バブルが到来していた80年代後半から90年頃にかけては、日本中で300万人ほど人手が足りない状態になっていたことが分かる。