部活が終わっちゃった〜! | 神戸大学女子バレーボール部

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こんにちは、せんです。


先日部活を引退しました。それですぐブログ担当日が割り当てられて、いそいそ書いていますメモ


入学したての頃、皆がSNSで着々と交流を深め、情報収集しているなんてつゆ知らず、家でぐうたらしていた私は、高校からのチームメイトのりのに誘われてバレー部に行きました。体験期間という名の、やりたいときにバレーしに行き、先輩にお昼ご飯に連れて行ってもらうという罪深い期間ののち、罪悪感と謎の使命感からようやく入部を決意しました。それから、約3年が経ち、1.2回生を残して早くも引退することにしました。
その3年間の思い出を抜粋して書きます。



・かいとの出会い爆笑

バレー部にはかいという面白い人がいたので紹介します。かいとは同じ時にバレー部に入りました。北海道出身で、北「海」道から、「かい」が爆誕しました。

かいの接続詞はほとんど「したっけ(北海道の方言)」です。方言は直してると言っていましたが、「したっけ」だけは、会話のそこかしこに出てきていました。

かいは私が今まで会った人の中でトップレベルに陽気です。りのと同じくらいお喋りです。もう終わりそうだなという会話で、必ずかいが一言発します。皆はもうその会話を続ける気はないので、かいの一言に対する返事はありません。そのせいで、皆でかいを無視したみたいになる空気があり、フレッシュだった私達はそれだけで爆笑していました。

かいの家で、かいとふうと味噌煮込みうどんを手作りしたことがあります。小麦粉をこね、細く切って、鍋に入れました、そこまでは良かったと思います。誰が見ても順調でした。ところが、紐状にした小麦粉は、鍋の中で再び塊になろうとしていました。それに対してこちらもまだくっついていない隙間に菜箸を差し入れ、揺らして剥がそうとしましたが、その甲斐なく、小麦粉の塊が茹で上がりました。後から来たりのにその丸いうどんを食べさせようとすると、残り物だと文句を言われました。はじめから丸かったんですけど。

こんなふうに私達は何かしら「パーティー」をやっていました。コロナが猛威を振るっていた頃、このパーティーの後にかいがコロナになりました。私達1回生は濃厚接触者となり、部活を休みました。その際、4回生には相当迷惑をかけました。それもあって、私は唾も飲み込めないほど喉が痛かったのですが、コロナにかかったと言い出せず、休み中の体温をごまかして、濃厚接触者としての自宅待機期間(ちょい短い)で部活に行ってしまいました。この機に反省の意を示させてください。すみませんでした。



・リーグ終わりの焼き肉焼肉

リーグ終わりに焼き肉に行くのがルーティンでした。といっても2回です。大阪の辺鄙なところなのに、奇しくも2回とも同じ店舗にお世話になりました。負け続きで試合直後は焼き肉なんて行く気持ちではなく、
えー行く??どうする?、と渋るのですが、行ってしまえば、とにかく時間目一杯、腹12分目まで食べます。れんさんとあきがバナナオレにハマり、それぞれ5.6杯飲んでいました。そこまで二人を虜にするバナナオレを私も飲みたくなり、頼んで飲んでみました。美味しかったですが、1杯で満足でした。

そして、お店から出る頃には、お腹いっぱいで腰を曲げないでは立っていられない集団が出来上がります。帰り道、私達は駅に電車が来るのを見ました。せっかちな関西人が中心にいて、相手は田舎の何十分に一本しか来ない電車という状況で、私達は全力でダッシュしました。

プシュー。。。

敗北しました。駅の外で私達は腰を曲げながら電車を逃したことを悔しがりました。



・初めての合宿グラサン

初めての合宿は6人でした。とにかくずっと動いていました。6人ですから、練習中の待ち時間などありません。高校の、時間あるなら練習!というようなストイック強迫観念に囚われていたような気がします。階段を登って水を汲みに行くのも足が重く、ヘトヘトでした。しかも、水を汲みに行った人は休憩時間がなく、そのままコートへどうぞ、といった感じでした。2日目から体はバキバキでした。そんな私達を見兼ねた源さんが、休むときは休め、と言ってくださり、そこでようやく、あーもうちょっと休んでいいんかーと気付きました。

それから、3回合宿に行きましたが、特にれんさんがれんさんらしさを発揮していました。3人部屋に1人土足で過ごしていたり、プリンをその日に食べず、次の日の朝に食堂に持って行って食べたり、プロテインを牛乳に溶かすのを後輩2人にやらせたり。合宿から直で北海道旅行に行っちゃいました。

合宿関連では、りのが1年生に合宿を説明する時、いつも食堂のオニオンリングが美味しい話をするのですが、りのが異様に感動していただけで、オニオンリングがそんなにいうほど美味しかったのか疑問でした。もし、それを期待した子が合宿に行ってオニオンリングを食べて、思ってた程じゃないなと思ったらどうするのでしょうか。オニオンリングの面子丸潰れじゃないですか。それを密かに心配していたのですが、オニオンリングはレアメニューだったのか、それ以降献立に出てこず、自身に向けられた失望をオニオンリングに味わわせるというような事態が起こらず安心しました。



・二水会🚰🚰

引き継ぎで私が任されたのは二水会連絡係でした。この係を遂行中に私は数々の失敗をしでかしました。

ドリンクを買っていなくて、自販機にめいを連れて行って、ガラガラ買ったり、
援助金願の封筒を片っ端から閉じていったところ、中身が足りなくなって重なりがあることが発覚し、すべての封筒をペリペリ開けるはめになったり。

以上の失敗はなんとかなりましたが、冗談では済まされないその他の失敗を書き連ねることは、私の反省の気持ちが誤解されてしまうおそれがあるので控えます。この係は自分がポンコツな分大変でしたが、先輩方との繋がりとしての部活動であることをよく感じ、多くの学びを得ました。



・部員数!!

今の2回生が入部するまではいつも人数ぎりぎりの部活でした。
私達が入部した頃は先輩3人と私達1回生が4人で、リベロを入れて人数ぴったしでした。先輩が引退すると、試合できないという危機にありましたが、マネージャーがプレーヤーに変更したり、ゆずとあきが入ってなんとかリーグに出ました。そして、れんさんが入って人数増えて良かったと思っていたら、1人辞め、また1人辞め、そしてふうが大怪我をしました。
誰かが風邪を引けば、試合ができなくなる人数で、集中講義も、濃厚接触も、就活だって致命的でした。
ある練習試合では、ウキン(中国からの留学生。)を入れてぎりぎり試合できるという状況でした。ウキンの眼鏡にボールがあたり、血が出ていましたが、ウキンはできると言って、試合に出てくれました。そのとき、れんさんが爆笑していて、人の心無いんかと思いました。
三商戦では、直前に辞めた1つ下の後輩に連絡して、試合に出てもらいました。楽しそうでしたが、退部の意思は覆りませんでした。
部員3人と、留学生2人で始まった合宿もありました。
そろそろ次のリーグが始まろうとしていて、初心者の留学生に出てもらうしかないという状況の中、入部してくれたのが今の2回生でした。
ずっと人数が少なくて、1つ下の後輩が0人になった時、もう私達の代でバレー部終わるかもと喋ったこともありますが、先輩が冬まで残ってくれたり、留学生が入ってくれたり、やっと後輩ができたりして、なんやかんや練習を続けてこれて、廃部の危機も免れました。



・新歓晴れ

ずっと部員数が目下の課題だったので、新歓が重要でした。あきのバレーボールのカチューシャ、れんさんのインスタ、ツイッター、ユニフォーム闊歩、動画(私も動画作り担当だったのですが、編入試験のための英語試験が迫ってると言ってれんさんに全部任せちゃいました。でもすごいのができたので良かったです。)、皆で回したこのブログなど、頑張りました。

私はイベント係だったので、新歓のご飯会を計画しました。イベント係として出し物を期待されたので、ジャグリングとけん玉とマジックとクイズを企画してました。ジャグリングはテニスボールで練習しました。マジックもトランプマジックを調べて練習しました。でも、どちらも上達しませんでした。りのから、マジックはできへんから面白いねんと言われましたが、そんなことあるわけないと思いました。当日は、飛行機オタクのれんさんに飛行機クイズを出して、皆に見てもらうという、構造としては東大王みたいなクイズをしました。劣化版とは言わせません。
それに加えて、けん玉を持って行ってたのですが、皆の前でやる勇気がありませんでした。私は、とめけんは勿論、飛行機、ふりけん、日本一周、世界一周、灯台(すべてけん玉の技の名前です。)だってできるんですよ、実は。
出し物が少ないので、席替えで楽しんでもらおうと、ガラガラ抽選機を手作りしました。しかし、席替えでの使い方が思いつかなかったので諦めました。でも、頑張ったので見てほしくてグループラインで写真を送ったら、皆褒めてくれました。



まだまだ思い出は尽きませんが、長くなりすぎると、楽しく読んでても、飽きてきて最終的につまらなかったなんて言われると悲しいのでここまでにします。
面白くて優しい人たちに囲まれて楽しく過ごせました爆笑




1週間の半分以下の練習日で、バイトも勉強もしながら、また個人的には時間も体力も余力がありながらやってきました。それが自分たちでやり方はどうにも変えられるという中で、人に頑張ったと言いにくく感じることがあります。部活が終わって振り返ると、大学生活のほぼすべての思い出が部活関連で、嬉しいとか悔しいとかを思って、最後にすべてひっくるめて楽しかったなあと思えることが、いわゆる全身全霊というようなやり方ではないけれど、私がやってきた部活の意味だと今は思います。ちゃんと頑張ってきた部分もありますし。
今まで本当にありがとうございました。