隣る人 | 真実は人を幸福にするか?

真実は人を幸福にするか?

桑田義雄が、うかんだり、もぐったりするブログ

先日、タレントの中川翔子がいじめ問題について語っている動画を観た。
中川さんは、最近、「隣る人」という言葉が使われ出したと語っていた。
「隣る人」とは、特に何もしないけれども、ただ、隣に居てくれる人、という意味のようだ。
この「隣る人」がいれば、人は、多少のいじめがあっても耐えて行ける。
「隣る人」が一人も居ない事が問題なのだ。

私も、中学時代、いじめを経験したが、何人かの友人がいたので、精神的に、かなりキツかったが、何とか乗り越える事が出来た。
もし、一人も友人がいなければ、不登校になっていたと思う。

ちなみに、私が中学時代にいじめを受けた原因は、私は女子に人気があったからだ。
つまり、モテていた。モテていた。モテていた。
(間違って何回も書いちゃった!)
ラブレターも貰ったし、女子達からアイドルのような絶叫も浴びた。
男の嫉妬により、私はいじめを受けた。
これは、大人になって、分析してわかった事だ。

私は昔、女性アイドルのマネージャーをやっていたが、
女性アイドルは、たいてい、学校時代に、何らかのいじめを体験している!
原因は、「嫉妬」である。
中川翔子は、「自分がオタクだったからいじめられた」と語っていたが、それは原因ではない。
「オタク的趣味がある」という点を利用し、いじめられただけだ。
本当の原因は、男子にモテたんだろうと思う。
自分では気づかなかったのだろうが、かなりモテていたのではないかと思う。
そこで、同性である女生徒の嫉妬に遭い、学校を「追放」された。
 
話を戻す。
確かに隣る人は大事である。
昼、弁当を食べる時。
バスで修学旅行などに行く時。
「隣る人」がいないと、孤立する事になる。

担任というのは、そういう状況を回避させる為に存在すると思うが、仕事しないよね、連中。
 
孤立者って、不思議なもので、どんどん孤立して行く。
「あいつをもっと孤立させてやれ」という、いじめの心理が、もしかしたら全員の中にあるのかも知れない。
人は、自分よりも不幸な人を見ると、快感を得る。
だから、誰の中にも、いじめに加担する心がある。
誰かを孤立させておく事もいじめである。
クラス全員が、誰かを孤立させて、いじめを楽しむ。

いじめのターゲットは誰でもいいが、「特徴のある人」がいじめられやすい。
モテる顔だったり、秀才だったり、オーラを放つタイプだったり。
だから、学校でいじめられていた女の子が、芸能界に入って輝く、という例が、無数にある。

孤立している者を、さらに孤立して楽しむ、という人の習性は、大人になっても変わらない。
だから、社会にもいるだろう。
孤立している人が。
自分も、そういう人を見て、楽しんでいないか?
胸に手を当てて考えてみる。
それを「反省」と言う。

まさに皆で「孤立劇場」を楽しんでいるのであるから、その主人公を、孤立から解放させるというのは勇気がいる。
これは、かなりの勇気だ。
自分がその主人公の代役をさせられてしまう可能性があるからだ。
だから、かなりの、人間としての度量がなければ、「隣る人」にはなれない。

なぜ、孤立する人が増えたのか?
それは、「核社会化」にあると思う。
「核社会化」とは、私の造語である。

昔は、クラスでもグループを作って友達付き合いをするのが普通だった。
今は、まるで結婚するかのように、一対一のペアで友人関係を形成する。
「友達は、あなた以外にはいらない」という事である。

グループというのは、ややこしい。
グループの中では、いざこざが生じる。
三人グループでは、一人は浮く。

このいざこざを避けるには、グループを形成しない。
一対一の友人関係を作って、それを基本にしてやって行く。

だが、これにはリスクがある。
この友人関係が壊れた場合、即座に孤立化する。

あなたが、「よし、自分が、アイツの隣る人になってやろう」と思った場合、注意点がいくつかある。
一つ目は、先に述べた「自分も孤立するかも」問題。
だが、こんな事は覚悟の上の行動だとする。
二つ目は、「ヤバイ人だから孤立している」ケースもある。

例えば、動物虐待の趣味があったり、まったく相手に配慮出来ない人間であったり。

三つ目は、「傷つきやすい」性格(HSPやPTSD)を持っている。

この場合、その人には、誰にも言って欲しくない言葉がある。

その言葉を、もし、軽く口にすると、離れて行ってしまう。

だから、最初から、「もし、話題にして欲しくない事ってある?その事は口にしないから」と確認しておくと良い。

四つ目。これが結構、泥沼に堕ちるケースだが、相手が「境界性パーソナリティー障がい」(ボーダー)であるケース。

この場合、徹底的に依存されてしまう場合がある。

そして、他の人と仲良く話をしているのを見られると、逆上される事もあり得る。

一度、このタイプの人と親密になると、離れる事が難しくなる(共依存)。

オムニバスドラマ「世にも奇妙な物語」の中で、おそらく「境界性パーソナリティー障がい」をテーマにしたものがあった。

60歳くらいになるまで、ずっと友達のいない人と「私たち、友達だね」と、うっかり口にした事が原因で、相手は、ズカズカと境界を越えて侵入し、殺人事件まで引き起こす。

だから、「触らぬ神に祟りなし」とばかりに、孤立している人は危険視され、誰も「隣る人」になってくれないケースが多いのだ。

それでも、私は孤立化を放置すべきでは無いと思う。
孤立化は、死につながるのだ。

では、どのようにすれば、上手に隣る人になれるのだろうか?
それはポッドキャストで解説しているので、聴いていただきたい(文字数の都合上)。

http://poyoyoken2.seesaa.net/article/470126733.html

「隣る人」になる事には、少なからざる配慮が必要だ。
それでも孤立化社会を無くして行くには、多くの人に「隣る人」になる勇気を持っていただきたい。
親友になるとか考えないで、まずは、「ちょっといい」と言いながら、一緒に弁当を食べて、くだらない話をする。

それだけで、その相手は、救われる。

心底、救われる。

「隣る人」は、本当にそれだけで良い。

 


最後に、テーマはがらっと変わるが、日々、ゆううつな気分で眠りを待つあなたへ。
とっておきの方法があるので、ご紹介したい。

まず、手帳の余白に、「人よりも自分が恵まれている点」を書く。
数は二十。
「目が見える事」「耳が聞こえる事」などという事も、無論、幸福な事であるが、今回は、そういう事ではない。
多くの人がした事の無い経験。
多くの人が持っていない技術。
多くの人が持っていない特技。
多くの人が持っていない環境。
多くの人が経験した事の無い出会い。

「これなら人に大抵の人に負けない」というもの。
そういうものを、全部で二十。
丸一日かかっても良いから、がんばって書き出す。
「私って、結構、ラッキーじゃん」と、心の中から思えて来るような事を書く。
そして、それを録音する。
その時、テンションの上がる歌をBGMにすると余計に良い。

私の場合は「風と雲と私」が好きだ。
そして、夜、眠りにつく時、その音声を繰り返し流す。
リピート再生だ。
すると、あら不思議、心地よい安眠に就ける。
爽快な目覚めまでは保証出来ないが、強い気持ちで起きられると思う。

最後に、もう一度言いたい。
その人が、孤立し、自ら命を落としてしまう前に、隣る人になろう。

 

 

あなたの「隣る人」になりたい。
真言三昧流です。

(思いっきり、宗教の宣伝じゃん!)
 

色々動画をUPしていますので、ご興味があればご覧ください。

https://www.youtube.com/user/kuwatayoshio/videos

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