苦しみの効能 | 真実は人を幸福にするか?

真実は人を幸福にするか?

桑田義雄が、うかんだり、もぐったりするブログ

一切皆苦(いっさいかいく)と釈尊は説いた。
人がこの世に生を受け、味わう事はすべて苦悩なりと。

恋人が出来た、嬉しい。
LINEで送るメッセージ。
即座に返信が返って来る。
たわいのない会話。
これが幸せなのだと思う。
だが、時が断ち、互いに不信が高まって行く。
好きなのに。
LINEの返信も既読無視から始まり、やがて既読マークすら表示されなくなる。

あ、メッセージが来た!

「ごめん、やっぱ、これ以上、無理」
たった4つの文節で、目の前が真っ暗闇に変わる。
明日から、どうやって生きて行けば良い?
何を生き甲斐に、働いて行けばいい?
恋人との決別はまさに、身を引き千切られる思いである。

幸福と思っていた事が不幸に変わる。
人生とは、まさにそのようなものである。

進学、就職、恋愛、結婚、出産。
世間で尊ばれる五つの幸福。
これは本当に幸福と言えるのか。

釈尊は言う。
それは本当の幸福とは言えない。
この世のものは、一切が変化し、滅びる。
一つの状態を示し、それを幸福と呼んではならない。
なぜならば、掴み得た幸福は、絶対不変のものではない。
それはやがて逃げて行く。
その時、人は安穏ではいられない。

健康というのも、そうかも知れない。
健康に生活していた者が、ある日、突然倒れる。
病院に担ぎ込まれる。
目覚めると病室のベッドの上。
医者に説明を受ける。
絶望のメッセージ。

生まれながらにして、障がいを抱えている者もいる。
なぜ、自分は、こんなふうに生まれて来てしまったんだろう。
普通の学校には通えない。
特殊な学校に通学する。
勧められて障がい者スポーツなるものをやってみる。
上手になれば、パラリンピック出場も可能であると。
楽しい。
意外に楽しい。
当面の生き甲斐になるかも知れない。

「あなた、活き活きとしてますね。障がいを抱えていながら、笑顔で生きられる理由は何ですか?やはりスポーツですか?」

どこかのマスコミの取材を受ける。
私は、活き活きして見えるだろう。
スポーツは楽しいし、人前で暗い顔は見せられない。
だが、部屋に帰ると泣いているのだ。
健常者同士の美しい恋愛ドラマ。
単に私に苦悩をもたらす害悪に過ぎない。

笑顔の障がい者も、一人になれば泣いている。
健常者は、そこに気づかないようにしている。
何も出来ないから。
何も助けてあげられないから。

仏教の入門書を買ってみた。
「六波羅蜜」の説明が書いてある。
これをやると、もう二度と、生まれて来なくなるらしい。
その中の項目の一つ。
精進波羅蜜。
説明が書いてある。

「怠ることなく、勤め、励む事」

そんなのあたり前じゃん。
なんで、そんな当然の事、書くわけ?

そう思うのが自然だ。
説明が間違っている。
お寺の宿坊に泊まると、精進料理というものが出て来る。
不味い。
酢漬けにしたカブ。
すりごまをかけた豆腐。
どれも腹を満たさない。
肉なんて、ひとかけらも入っていない。

そう。
精進料理とは、世間一般の人が食べる者ではない。
出家者の食べるものである。
出家者とは、「出世間者」という意味である。
世間から飛び出し、世間一般とは違う価値観を持って生きる。
それが本来の出家者の意味。

富、名声、セックス、家族。
これが世間一般の価値観ならば、
精進とは、この価値観を捨て去り、仏法の価値観で生きる事。

釈尊は言う。
苦しめ。
苦しむが良い。
そうする事が、そなたの魂の汚れを洗い清め、安楽の境地へと導くのだ。

苦しむ事を「善き事」とする価値観。
こんな事、学校では教えてくれない。

孤独、悲しみ、苦しみ、失望。
こんなの不幸としか思えなかった。
だが、釈尊は違う見方をした。
孤独、悲しみ、苦しみ、失望。
これらを甘んじて受け、嗚咽し、涙を滝の如く流す。
その中で、魂は磨かれて行く。

多くの苦しみを受けた者は、人の苦しみに共感する力が増す。
あなたの涙は、私の涙であるから。

ネットで観音さまのポスターを買ってみた。
仏具も揃えてみよう。
本物のロウソクは危ないので、百均で売ってる電池式のにしよう。
お水を入れるやつと、お供物を載せる皿も、百均で適当に。
香呂と線香は、ちゃんとしたのをネットで買おう。

香呂は寝かせるタイプが、線香が残らないし、危なくないからいいかな?

 

観音さまに、生まれてはじめて手を合わせる。
「ネンピーカンノンリキ」と唱えるといいよ。
誰かが言っていた。

「ネンピーカンノンリキ。ネンピーカンノンリキ。ネンピーカンノンリキ・・・」

なんで、自分の人生はこんなに辛いんだろう。
どうして、人間は、こんなに悲しいんだろう。
とめどもなく、涙が流れて来る。

「ネンピーカンノン・・・」

声も出ない。
手を合わせながら、観音さまのポスターの前に突っ伏す。
そのまま10分、泣いただろうか?
20分、泣いただろうか?

苦しみは魂を磨く。
そんな言葉を思い出す。

今の自分に出来る事は、一歩ずつ、足を前に進める事。
ひきづりながらでいい。
一歩ずつ、進んで行く。
明日もきっと、つらい一日だろう。
だけど、このポスターの観音さま。
見ていてくれるかも知れない。

そして、いつか寿命を終えた時、こんな方が出迎えてくれたらいいな。
「よくぞ生きた」と、抱き締めてくれたらいいな。




色々動画をUPしていますので、ご興味があればご覧ください。
https://www.youtube.com/user/kuwatayoshio/videos

 

 

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