真実は人を幸福にするか?

真実は人を幸福にするか?

桑田義雄が、うかんだり、もぐったりするブログ


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          「摩訶般若波羅蜜多心経」

      観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。
   度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。
   色即是空。空即是色。受想行識。亦復如是。
   舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。
   不増不減。是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。
   無色声香味触法。無眼界。乃至無意識界。
   無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。
   無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。
   菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。
   心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。
   究竟涅槃。三世諸仏依般若波羅蜜多故。
   得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜多。
   是大神咒。是大明咒。是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。    
   真実不虚故。説般若波羅蜜多咒。
   即説咒曰。
   掲諦。掲諦。波羅掲諦。波羅僧掲諦。菩提薩婆訶。般若心経。
   
   
   観自在菩薩。行深般若波羅蜜多時。照見五蘊皆空。
   度一切苦厄。舎利子。色不異空。空不異色。
   色即是空。空即是色。受想行識。亦復如是。
   舎利子。是諸法空相。不生不滅。不垢不浄。
   不増不減。是故空中。無色。無受想行識。無眼耳鼻舌身意。
   無色声香味触法。無眼界。乃至無意識界。
   無無明。亦無無明尽。乃至無老死。亦無老死尽。
   無苦集滅道。無智亦無得。以無所得故。
   菩提薩埵。依般若波羅蜜多故。
   心無罣礙。無罣礙故。無有恐怖。遠離一切顛倒夢想。
   究竟涅槃。三世諸仏依般若波羅蜜多故。
   得阿耨多羅三藐三菩提。故知般若波羅蜜多。
   是大神咒。是大明咒。是無上咒。是無等等咒。能除一切苦。    
   真実不虚故。説般若波羅蜜多咒。
   即説咒曰。
   掲諦。掲諦。波羅掲諦。波羅僧掲諦。菩提薩婆訶。般若心経。



    観自在菩薩が、
   世界のありのままを観る行を行っていた時、
   宇宙の5つの構成要素は、みな、
   実体が無い(空)と見抜いた。
   我が弟子、舎利弗よ。物質は空に異ならない。
   空は物質と異ならない。
   物質はすなわち空。空はすなわち物質である。
   精神の構成要素である「受想行識」もまた、かくの如し。
   舎利弗よ。
   この世の中のあらゆる存在や現象には
   実体が無いというのが真実の姿なのだ。
   生まれもせず、滅びもしない。
   けがれてもいないし、清らかでもない。
   増えもしないし減りもしない。
   だから実体の無い世界であるがゆえに、物質が無いに等しい。       
   物質以外の宇宙の構成要素も無いに等しい。
   感覚も意識も無いに等しい。
   人間の感覚器官も無いに等しい。
   人間の構成要素も全部、無いようなものなんだよ。
   真理に暗い状態なんて無いし、真理に暗い状態から
   抜け出すなんて事も無いのだよ。
   ひいては、老化とか、死なんてものも無い。
   肉体に老死はあっても、生命は無限だからな。   
   という理由で、老化や死から抜け出すなんてことも無い。
   悟りに至るための方法論なんてものも無い。
   智慧なんてものも無いし、何かを得るなんてことも無い。
   得るということがないがゆえに、
   菩薩らが、世界のありのままを観る行を実践した場合、
   心にこだわりが無くなる。
   もう、なんでもいいやってなるから、
   あらゆる物事に対し、恐怖なんてものを感じなくなる。
   これまでの間違った思想、夢に描いていた悟りのイメージが、
   ぜんぶ、どっか行っちまって、
   それによって本当の悟りの境地に至るんだよ。
   過去、現在、未来の諸仏は皆、
   世界のありのままを観る行を実践する事で、
   宇宙の大真理を悟るんだ。
   だから知りなさい。世界のありのままを観る行は、
   大いなる神の呪文であり、大いに明らかなる呪文であり、
   呪文のうちで、最上のものなんだ。
   これくらいすごい呪文は無いんだ。
   一切の苦悩を取り除いてくれる。
   これは本当だって。嘘じゃない。
   世界のありのままを観るには、この呪文を唱えるんだ。
   「ガテー ガテー パーラガテー パーラサンガテー
    ボーディ スヴァーハー」
        ※訳)悟らせたまえ。
                       悟らせたまえ。
                       真理を悟らせたまえ。
                       完全に悟らせたまえ。
                       叶えたまえ。


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長時間で恐縮ですが、まずは、この動画をご覧いただき、
その上で以下のQ&Aをお読みいただくと、
いっそう理解が深まると存じます。
(YouTubeの動画解説も併せてお読み下さい)

尚、当方、活舌が非常に悪く、いつもながら音声がお聞き苦しい事をお許し下さい。
また、にも関わらず、いつもお聞きいただいている方に感謝します。
それらの方々の福徳が増すよう、日々、お祈り申し上げます。
もし、それによって、かえって悪い事が起ったらごめんなさい。


Q.バガヴァッド・ギーターとは
A.紀元前5~4世紀頃に成立したインドのバラモン教の聖典。
 バラモン教の聖典は、それまで、人の一生では読み切れぬほど膨大に存在したが、
 それを要約したのがバガヴァッド・ギーターである。

Q.バガヴァッド・ギーターの趣意は?
A.人が二度と、この世に生まれ変わらなくて済む、方法論を解説したものである。
 そもそも人生は苦しいものであり、生まれて来る事は不幸だという、
 思想に基づいており、これは仏教にも継承されている。 
 
Q.ブラフマンを一神ではなく、多神とする根拠は?
A.解脱した者はブラフマンに帰るのであり、いわゆるブラフマンは
 解脱者のダンゴ状態である。
 言うなれば、放牧されたヒツジが小屋に戻るようなものである。
 小屋とはブラフマンである。
 尚、漢訳仏典ではブラフマンを梵天と訳しているが、
 仏典では梵天は無数にあって、人々の生活を守っていると説かれている。

Q.ブラフマンは宇宙の創造主か?
A.本文にそのような表現もあるが、誤解を与える表現である。
 宇宙を創造するような生命体は、一つもないと私は理解している。
 宇宙は物理法則によって、勝手に生まれる。

Q.神仏が再び転生する事はあるか?
A.輪廻転生するうち、誕生した生命は、それぞれカルマを積んで行く。
 悪のカルマ(罪業)が消滅すれば、宇宙の中心部に生命は帰って行く。
 そうすれば再び転生する事はない。
 そういう生命を神仏と呼ぶ。
 ただし、衆生を教導する為、自ら生まれ変わる事は出来る。

Q.悪魔とは何か?
A.悪業(罪業と同じ)を積んだ者は、通常、グレードダウンして転生するが、
 あまりにも悪業が重くなり過ぎると、転生せずに、
 そういう霊たちが集う霊界のような所に、長く留まると私は考えている。
 そういう悪業の塊のような霊たちは、人が解脱する事を邪魔する。
 具体的には、人の思考に入り、悪事を起こさせる。
 これがいわゆる「魔が差した」状態である。

Q.「シナリオを描いて生まれて来る」とは?
A.例えば、イエスは、創造主が、人生のシナリオを描いてマリアの胎に宿った、
 というのがキリスト教学である。
 大工のせがれになるのも、奇跡を起こすのも、十字架の上で死ぬのも、
 復活するのも、全てシナリオだと言う。
 イエスの物語はローマ帝国による寓話かも知れぬが、このような事は、
 あり得ると思う。カルマを抱えたまま死んだ霊魂が、それを消すため、
 あえて難しい人生を選択する事があると言われている。

Q.「他力」とは何か?
A.浄土真宗では、絶対他力と言って、世間的に見て、
 良い出来事も、悪い出来事も、すべて阿弥陀仏の計らいであると考える。
 だから、物事に一喜一憂しない。
 バガヴァッド・ギーター(以下「ギーター」と略す)は、
 そこまで極端な他力思想は説いていない。
 なぜならば、出来事というのはカルマ、努力、縁起によって生じる。
 (※縁起とは、他人の働きや自然現象)
 神が出来事を起こしているのではない。
 ギーターにおける他力思想は、神の働きを信じる事である。
 神が自分の為に、常に働いて下さっている事を信じる事である。
 この「信」こそが他力である。
 ただし、現世利益的願望が成就しなくても、
 神が最善を尽くした結果なのだから、その結果を受け容れるのが他力だ。
 
Q.「自力」とは何か?
A.自分の力で修行できていると過信する事である。
 目には見えないが、神々や先祖や人々に支えられて、修行が出来ている。
 本来、もっと大きな苦悩を受けて、カルマを消さねばならぬ所を、
 この信仰に出会う事で、修行する代わりに、受けるべき苦悩が小さくなり、
 日々、何とか生きて行けるのである。
 目に見えぬ者の支え、人々の支えに感謝する事が他力であり、
 全て自分の努力であると勘違いするのが自力である。

Q.「自分の身体を使って神が修行している」とはどういう状態か?
A.経や真言を忘れたら、神様が思い出させてくれる。
 仕事から疲れて帰って来ても、「よし、お祈りをしよう」という
 気持ちにさせるのは神の働きである。
 神仏が我々の修行をバックアップしてくれているのだ。
 怠け者の我々が、自力で修行できるわけがない。
 科学的根拠もない事にエネルギーを費やせるわけがない。
 我々が信仰や修行が可能なのは、神が我々をそうさせているのだ。

Q.安室奈美恵をどう思うか?
A.俺のタイプではない。だが、事務所のトラブルとか色々ある中で、
 歌に打ち込んで、よくがんばったと思う。

Q.「成功や失敗を気に止めるな」というのは無理。
A.神々の働きの末の失敗というのは、必ず、何らかの幸いにつながっている。
 神々は失敗を失敗で終わらせる事は万に一つもない。
 仮にそれが病魔に負けて死んだ、という失敗でも。
 失敗して落ち込むのは人情。
 せめて、それを他人に当たり散らすな。
 笑えなくても平然としたふうを装え。

Q.仏と神の違いは?
A.ない。
 ただし、仏と仏の眷属。神と神の眷属には違いがある。
 眷属は「仲間」の意味だ。
 例えば、薬師如来の元には医療関係者の霊が集まっており、
 いわゆる彼らが薬師如来の眷属である。
 眷属であっても、必ずしも解脱しているわけではない。
 よく神社に行くとカラスがいる。
 単に神社には森が多いという理由があるが、
 カラスは日本の神の眷属とされている。
 中には、本当に神の眷属のようなカラスがいて、
 彼らは人に危害を加えない。

Q.どうすれば入我我入のサマディー(三昧)の状態になるのか?
A.修行が進むと信仰が深まる。
 信仰が深まるとサマディー(三昧)に入れるようになる。
 インドで有名な坊さんの故ラーマクリシュナは、
 一日の大半、サマディー(三昧)状態だったらしく、
 一見・・・だな。

Q.どうして高橋ジョージと三船美佳は離婚したと思うか?
A.夫婦関係ではなく、親子関係のようになってしまったのだと思う。
 しかも、高橋ジョージは自分の考えを人に押し付ける。
 高橋ジョージは過去に創価学会の会館で何度か見た。
 ファーストシングル「祈り」を生で聴いたがダサかった。
 熊木杏里の「祈り」は素敵だから聴いてみて。

Q.チョイチョイ無関係なQ&Aが入るのはなぜか?
A.長い記事なので、飽きさせないような配慮だ。

Q.三昧を経験すると欲に執着しなくなるというのは本当か?
A.どうも本当らしい。
 例えば親に「ソーセージ」と言われて、魚肉ソーセージを
 食わされていたのが、ある日、牛肉、豚肉のソーセージを食ったとたん、
 魚肉ソーセージに見向きもしなくなるようなものだ。

Q.神や仏の姿は見えるか?声は聞こえるか?
A.神仏は姿を人に見せない。声も聞かせない。混乱させるからだ。
 神仏と会話した、という人がいたら危険人物なので気をつけよう。
 神仏は声なき声で、人の心に「気づき」や「警鐘」を与える。

Q.「わたし」はブラフマンを示す場合と、宇宙エネルギーを示す場合がある
 と言うが、なぜ、そんな紛らわしい文章表現をするのか?
A.「詩」だからだ。
 また、生命であるブラフマンと物質である宇宙は本来、異なる。
 だが、同じ波動を有している。
 だから、同一と言えない事もない。
 例えば、あなたの髪の毛や、爪が、あなた自身かと言えば、
 あなた自身だろう。しかし、切れば別の存在となり、あなたではない。

Q.「義務を果たした者が供儀すれば御利益がある」というが、義務とは何か?
A.人のために役立つ事。神々のために役立つ事が義務である。

Q.邪馬台国は九州だと思うか、近畿だと思うか?
A.最初は九州にあったのが、中国大陸からの防衛の為、
 近畿に遷都したと勝手に想像している。卑弥呼も両方に住んでいた。
 ちなみにアマテラスオオカミは、卑弥呼だと思う。
 個人的には「日巫女」と書くようにしている。

Q.バラモン教と原始仏教と密教と、いったいどれが正しいの?
A.それぞれ一本の木から枝分かれしたものだと考えている。
 だから、どれも一長一短あり、それぞれ法(ダルマ)の一面を説いている。
 完全に正しい宗教など無いので、折衷する事が大事だ。

Q.悟りは段階的に悟るのか、一気に悟るのか?
A.段階的に悟る。
 人間の脳では、完全な悟りは開けない。
 解脱し、肉体から離れて、初めて完全なる悟りを開ける。

Q.ちなみに、霊魂に思考能力はあるのか?
A.死んだらわかる。

Q.仕事に「自力」と「他力」があるとは?
A.仕事とは、修行や使命の事であり、
 自分の努力で、それをしていると考えるのが自力の仕事。
 神々の働きによって、させていただいていると考えるのが他力の仕事。

Q.「魂が成長するために生まれて来た」と考えるのは間違いか?
A.カルマ(罪業)を消滅させるために、生まれて来たのである。
 カルマ(罪業)が一つ滅びるたびに、人間性が結果として深まる。
 ただし、カルマ論を知らないと、
 苦しんでも、「なぜ私ばかり辛い思いをするの?」と世を恨むので、 
 人間性はいっこうに深まらない。
 これを仏教では「愚痴」と言う。

Q.神仏はなぜ人を救おうとするのか?
A.一切衆生は神仏の後輩である。
 先に解脱した神仏が、衆生を解脱させようと考えるのは自然である。
 なぜなら、輪廻転生は苦悩の繰り返しだからである。
 神仏はそれを傍観できない。

Q.仕事で疲れて、お祈りも瞑想も出来ません。
A.まずは祭壇の前に座る事である。
 あとは神仏に任せなさい。
 マントラを聴きながら通勤しても、効果はあります。
 眠る時は「この問題を神様にゆだねます」と言って、眠るべし。

Q.象の姿をしたガネーシャ像を本尊としても良いか?
A.ガネーシャ、つまり聖天は、像を本尊として信仰しないほうが
 良いと、聖天信仰のお寺では言われる場合があるようだ。
 絵画として壁に飾るのは良いが、拝むべきでは無い。
 聖観音などを本尊として、聖天は真言のみに留めるべきである。
 ちなみに、聖天は禍を福に転じる力がある。

Q.煩悩即菩提と言うが、煩悩は肯定すべきではないか?
A.煩悩は乗り超えるべきものである。
 「即」を「転」と読み替えて下さい。

Q.独身で生きて行くのはさみしい。
A.釈尊の言葉として
 「仲間の中におれば、休むにも、立つにも、行くにも、旅するにも、
 常に人に呼びかけられる。他人に従属しない独立自由をめざして、
 犀(サイ)の角のようにただ独り歩め」とある。
 世間的幸福から抜け出し、ダルマに生きる幸福を追求するなら、
 横を見ずに前を向いて歩いて下さい。
 人が人と結婚し、人を生むのは地獄の連鎖である。
 それに、あなたは一人ではない。
 神様は常に一緒である。
 家に帰れば神様は「おかえりなさい」と言ってくれます。
 心で聞いて下さい。

Q.ぶっちゃけ本尊は何がいいですか?
A.「特にこれ」というのは無い。
 わからない人には神鏡をお勧めしている。
 それで不満という人には、日本人に馴染みのある阿弥陀像を勧める。
 観音像でも良いのだが、観音様はもともと女神アナーヒタなのに、
 胸をはだけた像が多いのが難である。
 その代り、観音様と類縁関係にある弁天像を祀る方法もある。
 http://amzn.asia/d/2oo7GgZ
 (仏縁堂ブランド 弁才天 木掘り)
 金メッキよりも、高くても木彫りを選んだほうが良い。
 私のご本尊はダキニ天だが、もしダキニ天を信仰するならば、
 豊川稲荷でお札を入手し、それを代りにするか、
 信心が難いのであるが、豊川ダキニ眞天の画像を検索して、
 適当なサイズに印刷し、額に入れる事。

Q.「信心が難しい」理由は?
A.ダキニ天は元々、インドの売春婦である。
 それが法(ダルマ)により仏の使いになったのだが、
 現在も、性をもてあそばれて無念の死に方をした女性の霊が、
 ダキニ天の救いを期待し、集まって来る事が考えられる。
 ダキニ天はキツネを従者とするが、動物霊が寄る危険もある。
 信心を欠かしたり、適当だったり、思考が欲にまみれていれば、
 そういう存在の影響を受ける可能性がある。
 ダキニ信仰の長所は、ダキニ天は社会底辺者の味方だという事だ。
 底辺者の願いを聞き届け下さる所が、この女神信仰の特徴である。
 ダキニ天のみならず何かの像を安置すればこのリスクはある。
 浄土真宗の蓮如が「真宗のご本尊は木像よりも絵像、
 絵像よりも名号(南無阿弥陀仏)が良い」と言われているのは、
 そのようなリスクを考えた発言だ。
 
Q.ご本尊を新たに安置した場合の開眼供養はどうすれば良いか?
A.坊さんに高い金を払ってやってもらっても、
 低俗な坊主がやったら逆効果である。
 真心を込めて、自分でやるのが宜しい。
 やり方に決まった形は無い。気持ちを込めて行うべし。

Q.ご本尊とブラフマンの関係は?
A.たとえば数珠を想像して下さい。数珠全体がブラフマンである。
 大きな珠は、阿弥陀如来や観音菩薩。小さな珠はその他の神仏。
 どの珠一つ、つまみ上げても、数珠全体が持ち上がる。
 すべての神仏はブラフマンの一部なのである。

Q.阿弥陀如来が仏教で重視される理由は?
A.阿弥陀如来はゾロアスター教の神アフラマズダという説がある。
 ずっと昔からいるし、よくわからんけどボスキャラという感じだ。
 阿弥陀信仰は極楽浄土への転生を目的とする事が多い。
 しかし、阿弥陀信仰のむこうにブラフマンをイメージして祈れば、
 転生せずに解脱する。
 繰り返すが、解脱を目的とした阿弥陀信仰というものもあるのだ。
 そのためには、極楽浄土ではなく、ブラフマンを常に意識する。
 阿弥陀如来をブラフマンへの案内人と考えるべきである。

Q.親鸞は、極楽往生の他に、成仏について語っていたのはその事か?
A.浄土真宗の開祖である親鸞は、妻帯し、子をもうけながら、
 僧侶同様にお布施を受けて暮らしていた所に、私は反感を持つ。
 しかし、著書『教行信証』はギーターに通底する所がある。
 浄土真宗は、往生ではなく、成仏(=解脱)を目指すべきである。
 尚、阿弥陀如来の現世利益を説かなくなったのは近年であり、
 『教行信証』でも、阿弥陀如来の現世利益を説いている。
 
Q.本尊を複数、並べて安置する方法はいかがか?
A.総理は一人で良し。本尊も一体で良し。

Q.ヨーガ(三昧)は、いつやれば良いか?
A.いつでも構わないが、私は主に勤行の後に行う。

Q.サットワ(創造)、ラジャス(維持)、タマス(破壊)を詳説せよ。
A.仏教では「成」(創造)、「住」(維持)、壊(破壊)、空(無)
 を説く。世の中は、創造と破壊が繰り返される。
 今、我々のいる宇宙も、やがて収縮して消滅する。
 その時の生命は、他の宇宙へと居場所を変える。
 ブラフマンも、どこかの宇宙へとお引越しをする。
 エネルギーは消滅する事が無いので、一つの宇宙が消滅したら、
 そのエネルギーは再びビックバンして新たな宇宙を生み出す。

Q.日本は破壊に向かっているように思える。
A.文明も成住壊空を繰り返す。
 一つの文明が滅び、新たな文明が生まれる。
 今の日本は、一つの文明の崩壊にさしかかっているように思える。
 釈迦牟尼も祖国マガダが滅びるのを静かに見つめていた。
 我らもこの変化を見つめよう。
 
Q.世間的な幸福感を放棄し、人生に何の喜びがあるのか?
A.法(ダルマ)の修行だけが、人生の喜びである。
 かつて釈迦牟尼も、そうであったように。
 世間的な幸福感を追い求めて生きれば、再びこの世に転生する。
 法(ダルマ)の修行だけでは退屈ならば、散歩をせよ。音楽を聴け。

Q.法(ダルマ)に即した生き方の知恵的なものは?
A.人間関係でトラブルが起ったら、相手にお詫びする事。
 自分にも非があるのではないか?
 無くとも不徳のゆえと考え、お詫びすること。
 運命を転換するのはお詫びである。

Q.神や、その眷属は、生まれ変わって来ていると思うか?
A.思う。だが、カリスマ的教祖のようにならず、
 これまでにない方法論で、静かに法(ダルマ)を広めると思う。

Q.何度も何度も、同じ壁にぶち当たる。
A.職運に恵まれない。金運に恵まれない。人とのトラブルが多い。
 慎重に行動しているのに、なぜか、失敗する。
 という人がいる。
 現実的合理的に努力して、尚、このようである場合、
 カルマ(罪業)が原因している可能性が極めて大きい。
 こういう時は、祈りを絶やさない事。
 人に親切にする事。
 法(ダルマ)を語る事。
 そうすれば、いつかその悪循環が終る。
 間違っても、占い師を頼らない事。
 余計なアドバイスをされるだけである。
 占い師に払う金があるなら、募金せよ。
 人生で行き詰る度に、この記事を読み返して下さい。

Q.空海の地水火風空識とは?
A.地上の構成要素の事。
 地とは大地。
 水とは雨、川、海。
 火とは太陽。人工的な熱。
 風とは風。
 空とは宇宙のエネルギー。
 識とはそこに住む人々のカルマ。
 これらを六大と言う。
 人々のカルマが増大した時、空である宇宙のエネルギーが遮られ、
 地水火風が乱れ、災害が生じる。 

Q.あなたのギーター解説は正確なのか?信用できるのか?
A.私は神の生まれ変わりでも、サンスクリットがわかるわけでも無い。
 個人でやってる研究者、行者に過ぎない。
 しかし、誰が正確な解釈が出来ると言えよう。
 紀元前500年も前の本を。
 ほぼ私の解説は当たっていると自負している。
 正確さを求めて、アチコチうろつくよりも、
 多少の誤差があったとしても、私の解釈を信じて実践したほうが、
 人生の時間の使い方として無駄が無いと考える。
 無くした金づちを探すより、そこにある石を使え。
 自身が研究者になるならば別だが、心の平安を求めるならば、
 仮に砂が混じっていたとしても、この解説を信じる事を勧める。
 余裕があれば、ギーターの本を購入し、読むべし。
   神の詩―バガヴァッド・ギーター (TAO LAB BOOKS) 田中嫺玉訳
   http://amzn.asia/d/aGDMe11

Q.何言ってるか、さっぱりわかりません。
A.とにかく何も考えずにハリーマントラを唱える事を勧める。
 音声はこの下にリンクしておきます。


「神聖な御名であるマハー・マントラを唱える者は、すべての耐え難い罪から解放される」

マハー・マントラ

ハリークリシュナ ハリークリシュナ
クリシュナ クリシュナ
ハリー ハリー
ハリーラーマ ハリーラーマ
ラーマ ラーマ
ハリー ハリー





蹴落とし社会を生きるにはPart2
http://poyoyoken2.seesaa.net/

メール:kuwatayoshio(アットマーク)gmail.com 桑田義雄まで
※ご相談やご質問には極力応じたいと思いますが、ご返事までお時間を下さい。

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久々にブログを更新したいと思います。

生物の運命として、老人になるほど頑迷になり、若者ほど発想が柔軟だと言うのは基本としてあると思います。
それにも増して、現代の日本社会では、若者に比べて、あまりにもヒドイ老人が多い。

これには時代的な理由があります。
今の高齢者は、戦中戦後の生まれであり、まともな教育を受けられませんでした。
最近、各界でパワハラが問題となっていますが、今の高齢者の若い時代は、パワハラという言葉はありませんでした。
学校でも、職場でも、運動部でも、殴る事が教育でした。

また、戦中、民主主義が否定され、戦後になり、ころっと民主主義教育が始まりました。
ですから、今の高齢者は、民主主義が良くわからないうちに、高齢者になってしまいました。

ちなみに、文部省の作った「民主主義」という良書があります。
http://amzn.asia/d/2gsEh5n


さて、皆さんは、現世利益が欲しいですか?
私は欲しいです。
札幌に成田山系のお寺があって、そこのお坊さんが、「現世利益なんて、そう簡単に叶いません」と言っていたのがショックでした。
現世利益で商売して来た、成田山がです。

確かに、モノによっては叶えるのが大変です。
簡単に叶うのは、おそらく、努力だけでも実現するような事です。
問題なのは、努力で叶わない事を、どう叶えるかです。

ご存知の通り、私はインチキ臭い宗教人です。
お金を誰から貰ってないので、「宗教家」ではありません。
ですが、ある学術団体の会員なので、研究者ではあります。
でも、残念ながら無所属なので、お金が生まれません。

で、そんな私なので、相変わらず今回もインチキ臭いです。
この前、YouTubeにUPした「バガヴァッド・ギーター解説」を最後まで聴いていただいた方は、
私の臭いがついていますので、職場に行く前にファブリーズして下さい。
じゃないと、職場で何かを唱え始めます。無意識に(恐)。


私は基本的に密教者なのですが、そこにゴチャゴチャ、合わせて拝んでいます。
教義も、何かを絶対的に信じてるわけじゃなく、やっぱりゴチャマゼです。
理性と経験から、自分なりの教義を立てています。
今回は、それに基づいた話です。

私が思うに(以降、この言葉略)、現世利益が叶わない原因に、以下の事柄があります。

1.物理的に不可能。
2.努力が足りないか、努力の方法が間違っている。
3.ヘンなものを拝んでいる。(セミの抜け殻とか)
4.祈りが足りないか、祈り方が間違っているか、集中できていない。
5.「叶わないほうが良い願いだ」と神様やご先祖様に判断されている。
6.「まだ早い」と神様やご先祖様に判断されている。
7.過去世から現世にかけて、悪い事をしていて、それが障害になっている。
8.その願いが叶うほどの福徳が無い。
9.霊障がある(生霊を含めて)。
10.偶然(世の中に偶然はあります)、願いが叶わないような事態に遭遇した。例えば自然災害。事故。
11.不摂生、感染症などで病気になった。

12.どこかであきらめている。


仏教や、その母体であるバラモン教では、現世利益よりも、解脱(げだつ)する事が大事だと言います。
解脱とは、再び、どの惑星にも生まれ変わらない事です。
天上界と言われる、善人の集まる民主的(かどうかは知りませんが)な惑星に生まれ変わったとしても、
果報(運)が尽きると、また地球のような所に生まれ変わります。
そうすると、またキビシイ人生が待っています
動物や虫に生まれ変わる事だってあります。
だから、二度と生まれ変わらない、すなわち「解脱」こそが仏教、バラモン教の目的です。

人が災難に遭って苦しみを受けるのは、過去の罪を清算する為です。
綺麗な顔に生まれ、アイドルを目指しているのに、なかなかなれない娘がいるとします。
そういう娘は、過去の罪により、他の職業で、苦しい仕事をしなければならないという運命かも知れません。

お金持ちになる事は、仏教やバラモン教では素晴らしい事ではありません。
貧乏な人生を歩む事で、カルマ(罪業)を消滅する人もいるからです。
カルマ(罪業)を消滅させないと、輪廻から解脱できません。

創価学会は仏教団体と名乗りながら、解脱の思想を語りません(知りません)。
現世利益しか言いません。
これだけで、創価学会がどういう宗教かわかるでしょう。
だいたい、創価学会経営の美術館が、なんで大金を使って有名な絵画を買い集める必要があるのでしょう。
自民党は自己責任政党であり、新自由主義の政党です。
明らかに仏教思想に合いません。
なぜ、そんな政権にいつまでも、くっついているのですか?
保身の為ですよね。
創価については以上です。

(創価学会員の人で、不信感はあるけど、今やってる信心は捨てられないという人もいるでしょう。
そういう人は、美輪明宏さんに学んで下さい。あの方は、正しい方法で、日蓮仏法を信仰しています)


さてさて、誤解されそうなんで言っておきますが、神様や仏様が、あなたの運命を決めているわけではありません。
運命を決めるのは、カルマと自分の意志です。

先の例で言えば、他の職業で苦しむ為に、アイドルになれない娘の話をしました。
アイドルにさせてくれないのはカルマです。
ですが「他の職業で苦しむ」なんて酷な方法ではなく、他の手段で罪滅ぼししますから、どうか、アイドルにさせて下さい、と祈ると、アイドルになれちゃう場合もあります。
これを「運命転換」と言います。

重い病気で苦しむ事で、カルマを清算するという運命の人がいるとします。
これも、運命転換の法を使う事が出来ます。
では、運命転換の法を言います。
メモして下さい。

大事な話ですが、ブログなんで二度、言いません。

カルマ(罪業)とは、過去世に悪い事をしたという魂の記録のようなものです。
こんなものがあるから、こんな腐敗した世の中に生まれて来てしまいました。
それは、罪人が懲役を受けるのと一緒です。

例えば、あなたがどこかの絶対君主制の国の王様で、ある罪人が、
「他の事で償うから、懲役だけは勘弁して下さい」と言って来たら、どうしますか?

運命転換の法とは、そういう事なんです。
無茶な要求をしているという事です。
懲役が嫌ならどうする?
懲役に代わる代償って何だろう?
例えば、一人殺してしまいました。
無期懲役になりました。
それを避けるにはどうしたら良いでしょうか?

とにかく、謝りに謝るという事です。
これ以上無いほどに謝るという事です。

お百度参りというのがあります。
真夜中に、神社の石段を上り下りするやつです。
裸足でやります。
百往復です。
ですから、足は血だらけになります。
これを何日もやります。
それは神様を通じ、過去世(生まれて来る前の人生)に迷惑をかけた人に「お詫び」をする行為です。

チベット仏教(ラマ教)では、五体投地しながら巡礼するという儀式があります。
シャクトリ虫のように進行しますから、非常に時間がかかります。
体力も無くなります。
そこまでして「お詫び」するのです。

仏教ではお詫びの事を「懺悔」(さんげ)と言います。
ザンゲではなく、サンゲです。

お経本の中に「懺悔文」というのを見た人がいると思います。
でも、そんなの毎日、読んだからと言って、地球に生まれるほどの重いカルマが消えるような甘い話はありません。
釈尊ですら、巡礼したのです。
八十才になるまで、お椀と杖だけ持って、インド中を歩き、法(ダルマ)を説いたのです。
大変な事です。

「釈尊は三十代の頃に悟りを開いて解脱しているから、修行など必要ないはず」だって?
違います。
解脱には二種類あります。
まず、理屈でわかった、頭の中だけの理屈。
いわゆるスポーツ理論を本で理解したようなものです。
次に、現実にカルマ(悪業)を全て捨て去る解脱。
これがシンドくて、お釈迦さんだって死ぬまでかかったのです。
三十で仏になったとか、お釈迦さんを神格化しちゃうのは、インド人の誇大表現体質による所です。

悟る事よりも、悟りを実行するほうが難しいのです。


お釈迦さんの出身国であるマガダ国は、お釈迦さんの生きている時に攻め滅ぼされました。
その時に、出家していないマガダの王族は、全員、殺されました。
お釈迦さんは、出家した事で、その危機を脱したのです。
なんせ王子様ですから、出家してなければ、80まで生きられませんでした。
お釈迦さんは、出家によって運命転換しました。


願いを叶えるという事は、本来、自分の受けねばならぬ運命を変えていただく、という事なんです。
懺悔するのはもちろんです。
ちなみに、西田天香さんが書いた「懺悔の生活」という本があります。
古書でしか買えませんが、読んでみて下さい。

懺悔+アルファが必要です。
そのアルファとは何でしょう。

1.何らかの奉仕活動
2.懸命なる祈り
3.動物の肉を断つ
4.人の悪口は言わない

色々書かなくても、他にもご自分で思い浮かぶと思います。
本当に運命を叶えたいなら、思い浮かんだ事を片っ端からやってみて下さい。
仕事から疲れて帰って、メシ食ってすぐ寝るんじゃなく、そこでフラフラしながらでも、
1時間でも2時間でも祈る。
それくらいの事は、チベットの巡礼者を見たら何でもない。

毎朝、1時間早起きして、通勤途中に近所の神社に寄る。
それくらいの事、お百度参りに比べれば屁です(失礼)。

そして、一番大事なのは、運命を変えていただいたかわりに、
何をして生きるのかを考える事です。
バガヴァッド・ギーターというバラモンの聖典には、
福徳を積むには、教え(ダルマ)を広めるのが一番だと書いていました。
罪業の対義語が福徳です。
福徳を積めば罪業は消えます。
まずは、「教え」について勉強してみませんか?

私の話ですが、入門としてはわかりやすいと思います。

https://www.youtube.com/user/kuwatayoshio/videos?view_as=subscriber

今、宗教の話を普通の場でするのは難しいです。
ですが、これはどこかの宗教団体に勧誘するわけではない。
金も取らない。
ただお茶のみ話に「解脱」について自分の知っている事を語るだけです。

特に、家族に語って下さい。

知ってて語らないのは非情です。

余裕のある時、「こんな話があるよ」と言って話し始めれば良いのです。

拒絶されたら、次の機会を待つんです。

宗教は押し付けるとかえって反発されます。



引き寄せの法則というのがあります。
ちょっと昔、ジョセフ・マーフィーの本が大量に売れていました。
生長の家という宗教団体もあります。
今有名なのは『ザ・シークレット』です。
言ってる内容はみな同じです。
いわゆる「ポジティブ教」です。

これについては、上のURLを開くと、批判している動画がありますので、聴いてみて下さい。
「ポジティブ教」のずるい所は、「絶対に叶う」と念じても、心のどこかで「叶わないかも?」
という不安を少しでも持てば、叶わないほうが実現するという言い訳を用意している点です。
これで、基本的に連中がインチキであるとわかります。
だって、「叶わないかも?」という疑念は絶対払拭できませんから。

仏教(広い意味で)のすごい点は、現世利益は一往は肯定します。
その為のお手伝いもしてくれます。
(護摩供養とか修験道修行とか巡礼とか)
ですが、ただ念じるだけで叶うなんて、安易な事は言わないし、
現世利益は、仏教の入門であって、その先には成仏という最大事があると説明する所です。

もし、不安な気持ちが出て来たら、ひらすら修行するんです。
不安を抱えたままで良いから、修行するんです。
真言(マントラ)を唱えても良い。
瞑想でも良い。
すると、不安だからこそ神様、仏様が助けに来て下さる。
不安な時こそ、観音様のような方が現れて、
目には見えないけど、そばにいて離れないで下さるのです。
そして、運命が転換されるように、手助けしてくれるのです。

「不安!ウェルカム」

これが仏教なんです。


YouTubeをよく観るのですが、私も不安症で通院の身なので、その手の動画を検索します。
すると、うつ病の人が泣いている自撮り動画がたまにあります。
「この人、本当にここまましんじゃうかも知れない」という動画もあります。
フリ、なのかどうなのかは、私にもわかります。

そういう人を見ると、うつ病の深刻さがわかります。
バガヴァッド・ギーター(先出)には、このような人の事も書いてあります。
世の中には3つの性質の人がいます。

1.高レベルの宇宙のエネルギーを受けて、輝いている人。
2.欲に従い、世間的幸福感の中で生きている人。
3.宇宙のエネルギーから離れてしまって(物理的距離ではなく魂の距離)、陰鬱としている人。

うつ病の人は、何らかのキッカケで宇宙のエネルギーから離れてしまったわけです。
こういう人々は、ブラフマン(解脱した神々)をイメージするだけで、エネルギーを受けられます。
このエネルギーを受ける為の補助として、マントラ(真言)があります。
それが聖音オーム、マハーマントラ、ガヤトリーマントラ、シャンティマントラなどです。


聖音オーム
https://youtu.be/H3CO2HrrGYA

マハーマントラ(最初の1分は無音)
https://youtu.be/5Wj5gEhbRfE

ガヤトリーマントラ
https://youtu.be/AvN1SLlgQuM

シャンティマントラ
https://youtu.be/bAFlCR312Y4

明日を守られるイエスさま
https://youtu.be/1W4DxdyBa6A


最後の「イエスさま」は単なる私の趣味です。
全知全能の創造主がマリアの胎内に入って、産まれたのがイエスというのがキリスト教義です。
全知全能という所が気に入らないのですが(ならばなぜこんな腐った世を創った?)、
キリストを拝めば、それはキリスト的役割の神様が来て守るんだろうな、とは思います。

日本にも漢字で当てた種々の真言が伝わってますが、
宇宙エネルギーを浴びたい!という目的の場合、
上記にリンクしたマントラのほうが、オリジナルのサンスクリット語のままなので

おそらく宇宙の波動にも、よりマッチしているのだろうと思います。
まずは、繰り返し聴いて下さい。
数が大事です。

次に、自分で唱えてみる事です。
ガヤトりーマントラとシャンティマントラは、日本人には唱えるのは難しいと思います。
ですから、最も大事な聖音オームとマハーマントラを唱えて下さい。

マハーマントラの詩は

ハリークリシュナ ハリークリシュナ
クリシュナ クリシュナ
ハリー ハリー
ハリーラーマ ハリーラーマ
ラーマ ラーマ
ハリー ハリー


です。
「クリシュナ」と「ラーマ」はインドを代表する神の名です。
「ハリー」は所説ありますが、私は「罪業を滅ぼせ」の意味で捉えます。
マハーマントラはメロティーをつけて歌ったほうが良いです。

動画を参考にして下さい。

 

聖音オームとマハーマントラと繰り返し唱え、ガヤトりーマントラやシャンティマントラ、
伝統的な日本の真言なども、不安で眠れない夜に聴くようにすると、
心がエネルギーに満ち、うつ病が消えて行きます。

マハーマントラは罪業を消す。
つまり、運命転換も実現するマントラです。

ご自宅に仏壇や神棚はありますか?
無ければ、とりあえず神鏡を棚の上に置いて下さい。
http://amzn.asia/d/hUt14Vp

神鏡はブラフマン(神仏のいるところ)に通じています。
毎日、なま物を避けて、お供えして下さい。
お供えして、神鏡に対しマントラを唱えれば、より効果的です。


とても長い記事になりました。
最後に。
上のほうにも列挙した、現世利益が叶わない原因はさまざまです。
それらにより、叶わない事もあります。
しかし、例えば、あなたが会社の中で無くし物をして、
会社の人たちが一週間、全力で探してくれたとします。
それでも見つからなかったとしたら、諦められるでしょう。

会社の人たちというのは、神様やご先祖の事です。
一生懸命に祈り、努力すれば神様やご先祖が協力してくれます。

ですから、とにかく一生懸命に運命転換に励んで下さい。
最後まで読んで下さったあなたの願望が実現する事をお祈りいたします。

これを見て、実践して下さった方へ。
あなたはきっと、最後は守られます。
他人から、どんな形に見えたとしても、あなたの心は満足するでしょう。



※YouTube動画は突然、消えてしまう事があるので保存をお勧めします。
 PCから以下のURLにアクセスして下さい。

https://www.onlinevideoconverter.com/ja/video-converter
(Online Video Converter)









 


テーマ:

かなり久しぶりの投稿となる。
ポッドキャストにする時間がなく、ツイッターでは長くなるので、ここに書く。

物事には潜伏期と顕現期がある。
例えば太るという事。

潜伏期には、いくら食べても体重が増えない。
だが、顕現期に入ると、いっきに体重が増える。

ダイエットはその逆で、いくらダイエットしても、潜伏期には体重は減らない。
顕現期に入ると、ガクンと体重が落ちる。

人生も同じであり、潜伏期と顕現期がある。
潜伏期に、悪い事をして儲ける。
潜伏期には、順調に儲け続ける。
だが、顕現期になると、悪事が露呈して、制裁を受ける。

潜伏期にいくら善を行っても、良い結果が出ない。
だが、顕現期になると、良き報いがあらわれる。

潜伏期と顕現期はやっている内容や、その人の持つカルマの大きさ、信仰の度合いにより異なる。
だが、目安を言うと、6という数字が面白い。

6日間ダイエットしても体重が変わらなかった。
これは潜伏期である。
だが、7日目に体重計に乗ると、落ちている。

小学校の6年間の努力は、中学入学とともにあらわれる。
中高6年を勉学に捧げれば、ランクの高い大学に入学できる。

仕事も、入社して6年頑張れば、7年目には認められる。
短いスパンで言えば、半年頑張れば、会社の扱いも変わって来る。
ただし、ブラック企業で半年頑張っても、返って不幸な顕現期を迎える。

人生で、何歳から何歳までが潜伏期で、という捉え方は基本的に出来ない。
しいて言えば、6の倍数で繰り返す。

0~5潜伏期
6~ 顕現期
12~潜伏期
18~顕現期
24~潜伏期
30~顕現期
36~潜伏期
42~顕現期
48~潜伏期
54~顕現期
60~潜伏期

以下略

潜伏期を正しく生きれば、顕現期に美しい花が開く。
潜伏期に間違って生きると、顕現期に醜い花が咲く。

潜伏期は花開く前で、数々の試練とも思える事が起こる。
この時に、その試練を正しいやり方で乗り越えると、顕現期にすがすがしい風が吹く。
潜伏期に、試練に対し、間違った対応をすると、顕現期に絶望を迎える。
しかし、それによって、間違っていた事に気づけば、修正はきく。

6という数字は不思議な数字で、たとえば6週間、ダイエットをすれば、7週間目には、目に見えて

痩せる。
だが、この6週間が我慢できない。
そのためには、カレンダーに、一週目、二週目と書き込む。
毎日、体重計に乗ってもあまり意味が無いので、週の初めに体重計に乗る。

6週間、人の悪口を言い続けたり、悪口に耳を貸したり、人を呪ったり、バカにしたりすると、7週

間目に何らかの形で天罰が自分に下る。
たとえば、病気になったり、アクシデントが起こる。
だが、そこで天罰であると気づけば、運勢を逆転出来る。
雨降って、地固まるという言葉がある。
天罰に気づいた時から、行いを正しくし、神仏に非を詫びれば、天罰が返って、自分の利になるよう

な事に転じる。
だから、まず、天罰(神が下すのではなくカルマの発現)に気づく事が大切であり、天罰と気づいた

ら、心の中で懸命に詫び、行いを正し、人のためになる事をする。
最も肝心なのは、人のために祈る。

 

祈り方を知らぬ人は、観音菩薩の姿をイメージしながら、「ネンピーカンノンリキ」と唱える。
漢字で書けば「念彼観音力」となる。
意味は「かの観音の力を念じる」となる。

一日単位でも言える。
一日を6時間ごとに区切る。

深夜12時から朝6時まで熟睡出来れば、午前中は快適に過ごせる。
午前中に午後の仕事の段取りを組んで、午後に仕事を集中する。
午後6時から深夜12時まで、自分の時間にする。

そのように言っても、実際は、どの業界も拘束時間が長く、このようには行かないと思うので、各自、工夫していただきたい。

ハッキリ言うが、現在の8時間労働は長い。
これでは、働くのが中心になって、自分の時間が僅かになる。
残業すれば、もっと少なくなる。

だが、北欧のような福祉国家ではなく、日本に生まれた以上、我々は労働のカルマがある。
労苦により、カルマを解消するというのが、与えられた道なのだ。

話は尽きそうも無いので、また別の機会に書くが、今回の話の核心部分は以上である。



以上、何らかの参考になればと思い、記した。


テーマ:

1.自分の出した結論に対し、自分で反論してみる        
2.一例だけを見て、結論を出さないようにする
3.良い面を見たら悪い面も探し、悪い面を見たら良い面も探す
4.そう考える根拠は何か?について紙に書き出してみる
5.少ない判断材料では、結論は出さない
6.小さな失敗は忘れてしまえ
7.成功、失敗は天にまかせて、チャレンジを重ねる
8.クズは悲惨な最期を迎えると信じて、他人への憎悪に縛られない          
9.人にレッテルを貼らない。人には色々な面がある
10.相手が悪い場合もある。社会が悪い場合もある


テーマ:
前回の記事だが、実は、本当に言いたい事を言うのを忘れたのである。

そこで、今回は本当に言いたい事を書く。


ポジティブ理論は「あきらめるな」に尽きる、と前回では言いました。
そこに“最後まで”をつけたところで、要は「あきらめない」事が重要です。
ここが肝心ですが、あきらめないためには、強いメンタルが必要なのです。

そうなのです。
何かを成そうとする時、重要なのは強いメンタルです。
メンタルが追い付かないと、まったくダメなのです。

何かを実現しようと、人は頑張るわけですが、そこにはメンタルが必要です。
ところが、あまりにもしんどい状況だと、メンタルが追い付かないのです。
多くのポジティブ理論を書いた本は、この「メンタル的にきつい場合」が書かれていない。

今の時代って、万事にわたって、「きつめ」です。
だから、メンタルがきつくて当たり前。
なのに、「あきらめるな」と言われても、無理です。
そういう場合は、あきらめなさい、という事。
あきらめないと壊れるから。

「いや、あきらめたくない。どうしても実現したいのだ!」

というのならば、頑張ってみなさい。
ただし、希死念慮とか、そこまで行ってる人は、あきらめないで、メンタルの手入れをしたほうがいいです。
あきらめない人が偉いわけではありません。
あきらめても、他人に迷惑をかけない人が偉いんです。

テーマ:
ポッドキャストを聴いていただいている方はご存知だろうが、俺は基本的にネガティブである。
正確には現実的である。
現実的になればなるほど、ネガティブになる、と俺は思っている。
釈迦は言った。

「一切皆苦」(人生のすべては苦悩である)

しかしながら、ネガティブな言葉は嫌われる。
本当は自分だってネガティブのくせに、ネガティブな主張を嫌うのだ。
よって、ネット上でも、ネガティブな俺は避けられる。
非常に面白くない。

ジョセフ・マーフィーの頃から、本屋に行くと、ポジティブ本にあふれている。
そんなに、この系統の本って売れるのか?
売れるのかもね、俺もさんざん買ってたし。

しかし、家の床が抜けるほど、ポジティブ本を買いあさった俺に言わせると、その手の主張って、単純だ。
ウヨク(あえてカタカナ)の主張が「愛国心」の一語に尽きるように、ポジティブ本の主張も、一語で終わるのだ。
それは、

「あきらめるな」

である。
その他の事はすべて、蛇足であり、ポジティブ理論はこの一言に尽きる。

ここで、ネガティブ派らしい突っ込みを入れるならば、「あきらめなければ叶うとは限らない」である。
お釈迦さんの「無常」「無我」の思想も、そういう趣旨だ。
だが、俺はネガティブ派だけど、ひねくれているわけではない。
希望を持つ事を否定しているわけではない。
希望を持つ事は大切だ。
そのために努力する事も大切。
その上で、頭の中で「努力しても叶わないかも知れない」という認識は持っていないと、失敗した時に辛いよ、と言っているだけだ。

叶わないかも知れないけど、希望を持ちましょう。
そして、「あきらめるな」というのは無理なので、ちょっと書き換えましょう。

「最後まであきらめるな」

“最後”の二文字をつける。
いつが最後なのかは、自分で現実的に判断する。

ポジティブ理論の本なんて、読まなくていいし、セミナーなんか行かなくてもいいざんす。
がんばっている人にとって、必要な言葉は、これに尽きる。

「最後まであきらめるな」である。

そして、最後が来たら、あきらめよう。


さて、話が変わる。
先日、YouTubeに動画をアップした。
非常に面白いと自負する内容である。
前半と後半を合わせて90分。
ぜひ、御覧下さい。


これだけ仏教【前半】

これだけ仏教【後半】




テーマ:
久しぶりにこのブログを更新します。

今回は、憎しみの感情をテーマにします。
憎しみは悪い事でしょうか?
私はそうは思いません。
許しがたいヒドイ事をされたら、憎むのが当然です。
自然の心理です。
この心理を否定し、抑圧してしまう事は、自分の精神に悪影響をもたらすものと考えます。

キリスト教では、「右の頬を打たれたら、左の頬を差し出せ」と言いますが、現在のクリスチャンで、これを文字通りに解釈する人はいないでしょう。

原始仏教では、憎しみは煩悩ですから、これから解放されるべく修行します。
ある意味、抑圧的な宗教とも言えます。
これについては、原始仏教なりの特殊な修行方法があり、上手にやれば実現できるのかも知れません。
しかし、現在の我々に、このような修行方法を教えてくれる人はいません。

私は凡人です。
極めて凡人です。
仏教的修行は試みますが、なかなか上手には行きません。

ですから、許し難い人物に関しては憎みます。
それ以外の方法が見つからないからです。

戦争で銃弾が女房子供に当たって死んでしまった。
この時、その銃弾を放った者を憎まない夫はいないでしょう。
また、人として、憎むべきでしょう。

私は毎日、以下のような祈りをします。

「善人は幸福であれ。悪人は不幸であれ」

これを自宅の祭壇に向かって毎日、祈るのです。
この悪人の中に、自分も含まれるかも知れません。
ですが、それで構いません。
私が悪を成したならば、不幸になるべきなのです。

悪人であっても幸福になるような祈りは、間違いであろうと思います。
悪人はきちんと不幸になってこそ、天の正常な法則であろうと思うのです。


では、憎むべき人物が現れた時にどう対処するか?
これはおよそ、私刑と公的刑罰の二つに分けられます。
私刑は個人的復讐です。
これについては、法律では禁止になっています。
下手をすれば、自分が捕まります。

公的刑罰には民事罰と刑事罰があります。
いずれも裁判所によって、刑の内容が決定されます。
残念ながら、日本の公的刑罰は、被害者の思いを、あまり、くんでおりません。
被害者が歯がゆい思いをする事が多いのです。
日本の司法制度は、まだまだ未熟です。
長く長く裁判を継続して行けば、被害者は精神的にも時間的にも、場合によっては金銭的にも失われて行きます。
それでいて、満足する裁判結果が出るとは限らないのです。


ならばどのように対処すれば良いのでしょうか?
以下に言う私の結論には、不服な人も多いと思います。
ですが、現状で私が考えられる結論は、これしかありません。

中国の老子という古典に「天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏(も)らさず」という言葉があります。
これは、天の張る網は、広くて一見目が粗いようであるが、悪人を網の目から漏らすことはない。悪事を行えば、天罰をこうむるという意味です。

また、観音経というお経があります。
その中に、「呪詛諸毒薬 所欲害身者 念彼観音力 還著於本人」(しゅそしょどくやく しょよくがいしんじゃ ねんぴかんのんりき げんちゃくおほんにん)という文句があります。
これは、「呪詛(じゅそ)諸の毒薬、身を害せんと欲する所の者、彼の観音の力を念ずれば、還って本人に著かん」という意味です。
もっと平たい言い回しをしますと、呪いや毒薬をもって、迫害して来た者がある場合、あの観音様の力を念ずるならば、その害はかえって本人につく。という意味になります。
私は、日頃、何か憎しみの心にかられた場合、「念彼観音力 還著於本人」(ねんぴかんのんりき げんちゃくおほんにん)という部分だけを、繰り返し唱えます。
悪い事をした者は、当人に報いがありますように、という祈りです。

実際は、「憎まれっ子世にはばかる」とも言いますし、悪い人物こそ、社会的に出世していたりします。
ですが、私は信じます。
悪人が最後、笑って死ねる事など、決して無いと。


公的刑罰には限界があります。
私刑は自分へのリスクが高過ぎます。

また、いつまでも憎悪にとらわれてしまいますと、自分の人生の足かせになるという事も起るのです。
ですから、私はいつも、「天網(てんもう)恢恢(かいかい)疎(そ)にして漏(も)らさず」「念彼観音力 還著於本人」と念じ、悪人には天罰が下るように祈ります。
現状では、それ以外に方法などありません。

ですが、上手な方法を考えれば、私刑も可能です。
たとえば、自分をいじめ抜いた者を復讐する際、彼が就職試験を受けるたびに、彼がどんなに卑劣ないじめを行っていたかを、手紙に書いて就職先に送る、などです。
これで彼は永遠に就職が不可能になるでしょう。
また、奴が結婚しそうになったら、結婚相手に手紙を送る、等です。
手紙の力を使えば、社会的抹殺は簡単です。
ただし、やり過ぎれば報いは自分にも来ます。


仏教は善悪を二分して考えません。
「善の中に悪があり、悪の中に善がある」という考え方をします。
一方、古代ペルシャのゾロアスター教では、明確な善悪二元論を説きます。
私は以前は、この善悪二元論を、極端だと思い、共感できませんでした。
しかし、だんだんと、この善悪二元論が理解できるようになったのです。
それは、世の中には、明確に、悪人が存在するという事です。
一方的な被害者が存在するという事です。

例えば、秋葉原の無差別殺人事件を思い出して欲しいです。
犯人は車で、秋葉原の歩行者天国に突っ込み、ナイフを持って、通行人を無差別に刺して歩きました。
これは同情の余地の無い、一方的な悪です。
そして、被害者はそれに対すれば善です。
被害者には、何の過失も存在しないのです。

世の中には、何の過失もないのに、被害に遭うという事が横行しています。
いじめなどが、その代表です。
なんの過失もないのに、いじめられるのです。
ですが、いじめられたほうは「私に何か問題があるのかも知れない」と思い込んでしまうのです。
そして、その人は病んで行きます。
問題など存在しないのです。
いじめを受けている自分に、微塵も非はないのです。
連中は、ただ気に入らなくて、また、ただ面白くていじめているだけなのです。
なのに、いじめられている側は、自分の中に原因を探す。
無いはずの原因を探す。
これで病んで行ってしまうのです。

明確な善悪二元論は、世の中に存在します。
この事は、世間の人々はハッキリと理解すべきでしょう。

そして、悪人は裁かれるべきです。
法が満足に裁けないならば、天によって裁かれるべきなのです。

悪人を許す必要など無いのです。
それほどまでにひどい仕打ちをされたのであれば、一生、憎めば良いのです。
ですが、自分には自分の人生があります。
いつまでも、そんな悪人に、付き合ってなどやれません。
ですから、司法に任せ、それで不十分ならば天に任す。
これしかなかろうと思うのです。


そして肝心な事は、この世から悪を廃する事です。
多くの人は、自分の事ばかり考えて生きています。
ですが、それでは世の中は良くなりません。
善人が報われ、悪人がキチンと裁かれるような、そんな社会になるように、自分の出来る範囲で良いので、努力して行くべきではなかろうかと思うのです。


現在の日本では、なぜか被害者が多く苦しみ、絶望し、死にたいほどの苦悩にさいなまれる。
一方、加害者はのうのうと生きて、それなりに楽しい一生を送ってしまう。
こんな事は絶対に許してはなりません。

何度もいいます。
悪人こそ苦しむべきであります。
善人は救われるべきなのです。

私も、本当に微力ながら、そういう社会になるように活動して行きたいと思います。


テーマ:
ゴールデンウィークも終了し、皆さま、いかが苦難の日々をお過ごしでしょうか?

本日、原始仏典を抜粋したPDFファイルを作成いたしました。
ご関心ある方は、下記URLより、ダウンロードして下さい。


原始仏典を読む
http://firestorage.com/download/4bc55241286991ef1b8d68434bda914f2848ac1f


前回の記事でもご紹介しましたが、私が原始仏教について解説したものもあります。


現代に生かす原始仏教の思想.mp3
http://firestorage.com/download/58da30a194cb32dbca019e357748db1a3b224254

現代に生かす原始仏教の思想.pdf
http://firestorage.jp/download/521f58c1943c1e52f150300abb1eee69190d1c8a


今まで、色々、お釈迦さんについて語って来たのですが、その中で出て来ていないマメ知識です。

お釈迦さんは出家者であり、政治とは関わらなかったと思われるのですが、ひたすら宗教活動するだけでは限界があると感じ、国家を指導するような行動も行っていたそうです。
お釈迦さんの理想としていたのは共和制です。
共和制とは、王様が独裁する政治システムではなく、国民みんなでルールを決めて、国家を運営しようというやり方です。
(現在の日本も、共和制なのです。天皇がいるから君主制だ、という人もいますが、天皇は権力が無いので、やっぱり共和制です)
この辺は、中村元先生の文献によって知りました。

お釈迦さまは分かち合う事を教えています。
ですから、もう少し、お釈迦さんが政治に踏み込んでいたならば、社会主義に近い考え方になっていたのではなかろうかと思います。


それでは、シンドイ毎日ですが、なんとかギリギリ生き抜いてまいりましょう。

テーマ:
本日は、風邪をひいている中、凄まじい荒行を敢行した。
原始仏教の解説音声ファイルの収録である。
原始仏典の、本当の要所については語った事もあったが、
それらが入門編とするならば、今回は実践編。
当然、内容も長くなる。
長くて、恐らく最後まで眠らずに聞き通せる者は皆無であろうと思うが、
まあ、一往、UPしてみた。

ダウンロードは、音声ファイルであるmp3と、印刷できるpdfがあるので、二つともダウンロードして欲しい。
金は一切、かからない。
かけるほどの作りでもない。
だが、内容は色んな意味でインパクトあると思うので、聞いてみて!



ダウンロード↓

現代に生かす原始仏教の思想.mp3
http://firestorage.com/download/58da30a194cb32dbca019e357748db1a3b224254

現代に生かす原始仏教の思想.pdf
http://firestorage.jp/download/521f58c1943c1e52f150300abb1eee69190d1c8a



「宝彩有菜のスッタニパータ」より
http://homepage3.nifty.com/hosai/dammapada-01/suttanipata-all-text.htm


59 世の中の遊戯や娯楽に、満足を感ずることなく、心ひかれることなく、身の装飾を離れて、真実を語り、犀(さい)の角(つの)のようにただ独り歩め。
(※サイは鼻に一本、長い角があり、ジャングルではサイの姿は草に隠れて見えず、角だけが一本、移動して見える)

78 身をつつしみ、ことばをつつしみ、食物を節して過食しない。

102 「おびただしい富あり、黄金あり、食物ある人が、ひとりおいしい物を食べるならば、これは破滅への門である。」

184 「ひとは信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。勤勉によって苦しみをを超え、知慧によって全く清らかとなる。」
(※1146に「信仰を捨て去れ」とあるのは、邪教への信仰である)

204 この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。
(※ニルヴァーナとは、悟りの世界の事)

267 修養と、清らかな行いと、聖なる真理を見ること、安らぎを体得すること、──これがこよなき幸せである。

275 もしもかれが荒々しいことばを語り、他人を苦しめ悩ますことを好み、獣(のごとく)であるならば、その人の生活はさらに悪いものとなり、自分の塵汚れを増す。

276 争論を楽しみ、迷妄の性質に蔽われている修行僧は、目ざめた人(ブッダ)の説きたもうた理法を、説明されても理解しない。

311 昔は、欲と飢えと老いという三つの病いがあっただけであった。ところが諸々の家畜を祀りのために殺したので、九十八種の病いが起った。

331 起てよ、座れ。眠って汝らに何の益があろう。矢に射られて苦しみ悩んでいる者どもは、どうして眠られようか。

397 会堂にいても、団体のうちにいても、
何人も他人に向かって偽りを言ってはならぬ。
また他人をして偽りを言わせてもならぬ。
また他人が偽りを語るのを容認してはならぬ。
すべて虚偽を語ることを避けよ。

400 (1)生きものを害してはならぬ。(2)与えられないものを取ってはならぬ。(3)嘘をついてはならぬ。(4)酒を飲んではならぬ。(5)婬事たる不浄の行いをやめよ。(6)夜に時ならぬ食事をしてはならぬ。

630 敵意ある者どもの間にあって敵意なく、暴力を用いる者どもの間にあって心おだやかに、執著する者どもの間にあって執著しない人、──かれをわたくしは<バラモン>と呼ぶ。
(※バラモンとは、当時のインドにおける僧侶階級。釈迦は世襲による階級を否定した)

657 人が生まれたときには、実に口の中には斧が生じている。愚者は悪口を言って、その斧によって自分を斬り割くのである。

663 種々なる貪欲(どんよく)にふける(むさぼる)者は、ことばで他人をそしる。──かれ自身は、信仰心なく、ものおしみして、不親切で、けちで、やたらにかげ口を言うのだが。

704 婬欲(いんよく)のことがらを離れ、さまざまの愛欲をすてて、弱いものでも、強いものでも、諸々の生きものに対して敵対することなく、愛著(あいちゃく)することもない。

705 『かれもわたしと同様であり、わたしもかれと同様である』と思って、わがみに引きくらべて、(生きるものを)殺してはならなぬ。また他人をして殺させてはならない。

707 腹をへらして、食物を節し、小欲であって、貪(むさぼ)ることなかれ。かれは貪り食う欲望に厭(あ)きて、無欲であり、安らぎに帰している。

742 執著(しゅうちゃく)によって生存が起る。生存せる者は苦しみを受ける。生れた者は死ぬ。これが苦しみの起る原因である。

762 他の人々が「安楽」であると称するものを、諸々の聖者は「苦しみ」であると言う。他の人々が「苦しみ」であると称するものを、諸々の聖者は「安楽」であると知る。解(げ)し難き真理を見よ。無知なる人々はここに迷っている。

825 かれらは論議を欲し、集会に突入し、相互に他人を<愚者である>と烙印し、他人(師など)をかさに着て、論争を交わす。──みずから真理に達したものであると称しながら、自分が称賛されるようにと望んでいる。

968 怒りと高慢とに支配されるな。それらの根を掘りつくしておれ。また快いものも不快なものも、両者にしっかりと、うち克つべきである。

972 眼を下に向けて、うろつき廻ることなく、瞑想に専念して、大いにめざめておれ。心を平静にして、精神の安定をたもち、思いわずらいと欲のねがいと悔恨(かいこん)とを断ち切れ。

1123 師は答えた、
「ビンギヤよ。ひとびとは妄執(もうしゅう)におちいって苦悩を生じ、老いに襲われているのを、そなたは見ているのだから、それゆえに、ビンギヤよ、そなたはおこたることなく励み、妄執を捨てて、再び迷いの生存にもどらないようにせよ。」
(※仏教では、輪廻転生から解き放たれる事を目的としている。“生存にもどらないようにせよ”というのはスッタニパータでは度々出る文言であり、二度と生まれ変わるな、という意味である)

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