友人T君から「おわかれはモーツァルト」を借りる時、「汚しても良いか」と聞いてみました。即座に「ダメ」と返事がきました。僕は本を読む時、あまり丁寧に扱いません。借りた本を汚さぬよう、気を配って読むことにします。
学生時代は文庫本を持ち歩いていました。本屋さんで買うと、その場できれいなカバーを外して「これいりません」と渡します。薄茶色の文庫本こそ、質実剛健の証だと威張っていました。バンカラを気取っていたのです。
バンカラとはハイカラの反対語で、野蛮な男を表すという解釈です。女学生に「あまり清潔そうでないところが素敵」などとからかわれて、ほくそ笑んでいました。しおりは使いません。読みかけのところは斜めに折って印をつけます。
文庫本を丸めてポケットに突っ込んだり、表紙や見返しなどはメモ用紙代わりに書き込んでいました。とにかく、乱暴に扱うことがカッコ良いと思っていたのです。「物はボロでも心は錦」が決まり文句、若気の至りです。
母から「道具を大切にしないとバチが当たる」と叱られました。でも、物に心があるとは思えません。その代わりといっては妙ですが、人の心は大切にしようと思います。もちろん自分の心も。これを唯心論者というのでしょうか。
イチローさんは、打った瞬間バットの先を地面に置いて走り出します。グローブもスパイクも、毎日磨いてしまうそうです。道具にも心があると思うのでしょうか。どんな物にも心が宿る、汎心論ともいえそうです。
翔平君はホームランを確信するとバットをポイっと放り投げます。WBCの優勝シーンでグローブを投げました。バチが当たったという話は聞きません。日頃は道具を大切にするそうですが、イチローさんほどではないようです。
僕は自分の物を大切にしようと思いませんが、人から贈られた物や借りた物は大事に扱います。それは、相手の心を大切に思うからです。物に魂が宿るのではなく、物から相手の心が伝わってくると思うのです。