東野圭吾「クスノキの番人」、念の伝え方 | kuwanakenのブログ

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プラス思考は、好きじゃない。
前を向いたり、しゃがんだり、
振り返ったり、無理をせず、
幸せレンガを、積んでいこう。

 東野圭吾さんの「クスノキの番人」を読みました。本屋さんがポップ広告を書くとしたら、ファンタジースピリチュアル小説とでもするでしょうか。主人公の生まれ育ちは重っ苦しいところもありますが、当人はどこ吹く風。

 

 若い男女が謎を解くミステリーの面白味もあります。「夢幻花」とか「危険なビーナス」とか、東野作品に良くある設定です。「マスカレードシリーズ」も似たような雰囲気、どれもマンネリというか安定感というか。

 

 物語の舞台は大きなクスノキです。「直径5メートル 大樹の脇には、巨大な穴が空いていた。その大きさは、大人でも少し屈めば楽に通れるほどだ・・幹の内側には洞窟のような空間があり、広さは三畳間ほどある」

 

 このクスノキの穴へ新月に入って念を入れると、クスノキがその念を留めてくれる。そして、その近親者が満月にこの穴の中へ入ると、念を受けることができる。いわば、遺言を保存する記憶装置のようなものです。

 

 そんなまどろっこしいことをしなくても、直接伝える方が確かだと思います。僕は父を幼い頃に亡くしました。陶器や写真など趣味の多い人だったと母から聞いています。自分も兄も、母を通して父の遺志を受け継いでいると感じます。

 

 母は百歳まで元気に生きてくれました。それこそ、言葉からも背中からも、多くの事を教わりました。今の自分の生き方は、母の真似をしているところが多々あります。クスノキの力を借りなくとも、念を受け止めたと思っています。

 

 この町にも大楠があります。幹の太さは約10メートル、高さは約30メートル、枝張りも約30メートル。天正年間に植えられたという記録があるので、樹齢450年といったところです。いかにもご利益ありそうな。

 

 僕の死後、美しい妻は子や孫に僕の念を伝えてくれるでしょうか。そもそも、僕の念とは何だったか。大したこともしていないので、伝える念はないかも。まあ、楽しい人生を送ったことくらいは、感じ取って欲しいと念じます。