裁判ドラマが多い理由は、正義の大安売り | kuwanakenのブログ

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前を向いたり、しゃがんだり、
振り返ったり、無理をせず、
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 裁判ドラマは人気があるようです。番組改編があっても途切れることなく、ひっきりなしにどこかの局で流れています。果ては朝ドラにまで登場する始末。かくいう僕ら夫婦も、「寅に翼」を欠かさず観ています。

 

 多くの裁判ドラマのおもしろさは、水戸黄門のような勧善懲悪です。弁護士が主人公の時は、悪い検事を負かして無実の被告を助ける。また、検事が主人公の時は、犯罪者を助けようとする弁護士をやっつける。単純な善と悪の戦いです。

 

 主人公は正義を振りかざし、悪人は事実を曲げようと企みます。「HERO」では、「法律というより、人としてどうかという問題です」などという、裁判の基本から外れた正義論まで飛び出します。正義の大安売りです。

 

 ウルトラマンの怪獣は、悪さばかりして必ず退治されます。でも、ゴジラは絶対的な悪ではありません。水爆実験の影響を受けた怒りという、一つの正義を持っています。そして、退治されたように見せかけて、毎回蘇ります。

 

 誰が言ったか「正義は人の数だけある」まさにその通りです。もともと「義」とは、人間の行うべき正しい道のことです。一つしかない「義」に、自分に都合の良い「正」という文字を加えてしまったことが諸悪の根源なのです。

 

 朝ドラの寅ちゃんは、「女のくせに生意気な」と言われ「はて」と考えます。そして、反対意見を口にします。50年近く前、美しい恋人は「はい」しか言いませんでした。そこで「いやだね」という言葉を教えました。

 

 そしたら「いやだね」としか言わなくなりました。反対意見を口にできるようになったのです。新しい正義が生まれたというわけです。その後、僕の正義が通らなくなり、今では妻の正義の方が明らかに強くなりました。

 

 女性が反対意見を言えるようになって、正義の数は倍に増えたことになります。数多の正義を裁くことが、裁判所の役割となりました。拠り所は正義ではなく法律です。その法律こそ、「義」から外れないようにして欲しいものです。