有償ボランティア、献身的、趣味 | kuwanakenのブログ

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プラス思考は、好きじゃない。
前を向いたり、しゃがんだり、
振り返ったり、無理をせず、
幸せレンガを、積んでいこう。

 ミニバスケットボールの帯同審判をするときは、交通費も出ません。派遣審判をすると交通費と弁当がもらえます。車椅子ツインバスケットでは、交通費、弁当、日当、宿泊代も出ます。同じことをしているのに、こうも違うとは。

 

 学園祭の同窓会主催模擬店では700杯のうどんを作ります。材料費に加えて日当がもらえます。ミニバスケットボールのイベントでは100人にうどんを振る舞います。材料費だけ出ます。チームのイベントでは30人前。これは全て自腹。

 

 バスケットボールの審判も、模擬店のうどん屋さんも、やることは全部一緒。それなのに有償無償の差があるのは、単なる主催者側の都合です。自分としては何の変わりもありません。やりたいことをやっているだけです。

 

 世間では「お金をもらったらボランティアではない」という人もいます。YMCAのKさんは「ボランティアの概念は有償無償ではなく、献身的かどうかだ」と教えてくれました。それでは、献身的とは何でしょうか。

 

 言葉通りなら、身を捧げることです。山本常朝さんの葉隠では「武士道というは、死ぬことと見つけたり」とあります。これは比喩ではありません。本当に死ぬのが当たり前の武家社会です。しかし、それは武士だけの常識でした。

 

 明治以降は、その犠牲を庶民にも求めました。爆弾を抱えて戦車に飛び込んだり、捕虜にならいよう崖から飛び降りたり。命までとはいかなくとも、奉仕ともなれば仕事や生活は二の次です。お国のために献身的であらねばなりません。

 

 今の時代、ボランティアの献身的とは、命も生活の犠牲も求められません。自分の余暇を人のために使うといった程度でしょうか。それだけでも、美しい人生といえます。時々、勘違いして家族を犠牲にする人がいますが、それは論外。

 

 ただ、僕の場合はツインバスケットの魅力に取り憑かれているだけです。ゲームを一番近くで見られるという醍醐味を満喫しています。つまり、審判は単なる趣味。献身的でもボランティア精神でもないというわけです。あしからず。